発行所:聞光寺発行人:釋温成寺報

第84号 2014/1/1発行

第83号

なぜ人間に生れてきたんだろう!

新しい年を迎えて

新年明けましておめでとうございます。

今年も多くの心温まることがありますように願いましょう。

地球温暖化のせいか?人間のわがままなせいか?何れにしろ世界中で今まで予想してこなかった想定外の事が沢山起きています。

人類の生きざまを見つめ直さなければならないですね。

最近、ちょっと何か変だなぁと感じることを書いてみます。

「久しぶり」と言う挨拶で始まる人達とお会いする機会、または、沢山の方々と初めてお会いする機会が多くなりました。

それは私の親の世代の方々が亡くなられるようなお歳になられておられる事と、私の子の世代、姪甥達が結婚する年頃になってきたからなのでしょう。

関係するもので参加できるものは全部参加したいものです。

しかし、多くの出費を必要とするので悩んでしまうけれど、自分の出来る中での出費で出席したらいいのでしょうね。

これから歳を重ねるごとに会いたい人となかなか会えなくなっているなかで、会わせていただける機会なので大切にしてゆかなければならないご縁なのです。

そのような大切なご縁なのに、葬儀式の時にでも、仕事があるといって、中途半端で帰られたり、遅くなってからの参加だったりしている方を、多く見かけますが、さみしく感じるのは何故でしょうか。

亡き人とのお別れは、自身の血肉にまでなっている人との最後のお別れと同時に、私が歩んだ生きざまに、大いに関わってくださった方々との、改めての出会いであり、自分を見つめ直し、新しい一歩を歩みだして行く為の場として、悲しい中ではあるが、私に下さった亡き人からの最後のメッセージと同時に、真向かいに出会って感謝してゆく時でもあるのです。

出会いよりも、今後生活をエンジョイするための仕事、すなわち、お金が優先させているように感じられるからなのでしょうか。

また、結婚式に出席するというのは、信頼されていることの証明であり、私達から育ってゆく次世代を応援してゆくことの責任を持つ事で、応援して行く為の縁作りの集まりと感じとった方が良いように思います。

何処までも、ご縁と共に生きて行かなければならない私達ですので、しっかりと受け取って歩まなければならないのです。

ご縁には「良いご縁」も「悪いご縁」も有る事を忘れていませんか。

自分に都合のいいご縁だけを願っているのではありませんか。

ならば、しっかりと受け止め、悩み、迷い、苦しみながら、それを乗り越えて行かなければ、「生きている、生まれてきてよかった」と言う実感をもてないのではないでしょうか。

本山報恩講

11月の本山の報恩講に参詣する事が出来ました。

全国から、個人、団体等色々な形で参詣されておられますが、みんな真剣なお姿でお参りをされておられるのに感動いたしました。

報恩講に、聞光寺門徒の方々と一緒にお参りが出来たらうれしく思います。

毎年。2泊3日で参拝予定をたてようと思います。

ぜひ時間を作りご参加ください。

1年に1回は本山へ行く機会を作っておきたいです。

人数が少なくてもゆきたいと思っております。

11月28日 報恩講御満座

2013年を振り返って

聞光寺当院 釋 宗温

2013年中も色々な事がありました。

3月に行われた聞光寺本堂の落慶法要には多くの方々がお集まりになり、皆さんと共に本堂の完成を喜び合いました。

この落慶法要を含めた本堂再建という大事業は、お集まりになられた方々をはじめ本当に多くの方々の力によって成されたのだということを改めて感じました。

またこれからもこの本堂に多くの人達が集まれる様に、皆が集まれる場所としてこの本堂が開かれていくようにしていければと思います。

家族の中では、妹が結婚して家を離れたという大きな変化がありました。

一緒に暮らしていた家族が居なくなるというのは少し寂しい所があります。

けれども、妹が結婚した事でその結婚相手はもちろんの事、その家族や親戚等新しい多くの方々との御縁をいただきました。

こうやって人と人とのつながりを広げて行く事が結婚するということなのかと改めて感じました。

忘れている日本の良さ

この一年、嬉しいこと、感動する事が多くありました。

特に東京でのオリンピック・パラリンピックが2020年に開催されることが決まり、元気が出てきたように感じます。

まだたくさんありますが、その中でわたしが、嬉しいけれど気になったことがあるのです。

それはユネスコによって、富士山が世界文化遺産に、そして日本食が無形文化遺産になったことなのです。

富士山は、独自でも美しく感動する景色なのですけれど、世界の人達からみると、日本人の日常生活でのものの考え方や行動などが富士山を中心にして生きている事が文化となっているように感じられているのですね。

また日本食が世界遺産として認められたのは、日本の食そのものが、人間が優しく生き生きと生活しながら生活してゆくための模範となるものであるからなのでしょうね。

しかし、私達日本人は、いつもの事なのでその良さを見つけられなくなってしまったように思います。

「おふくろの味」や季節によって旬のものを食べる習慣を忘れてしまい、食物の季節がわからなくなっているようです。

そんな私達に、もっと日本を見つめ直し新しい出発をしなければならない事を教えてくださった出来事ではなかったのでしょうか。

西洋文化がたくさん入ってきてより素晴らしい社会になってゆく事はいいことなのですが、私達の魂として育てられてきた長い歴と文化を、もう一度見つめ直した上での歩みをしなければならないと思います。

その実現の為には、家庭を中心にした生活を取り戻すところから始まるのではないでしょうか。