発行所:聞光寺発行人:釋温成寺報

第89号 2015/4/1発行

第88号

自我は、ものを二つに分ける心。

インドで感じたこと

今年2月に、実兄の住職50周年在職を過ぎて、この6月に、子供と住職を交替するので、最後の研修として、インドの仏跡を訪ねるという企画を計画されたので一緒にいってきました。

仏教発祥の地であるインドは人口12億人という大きな国です。

仏教発祥の地と言いながら、仏教徒は0.8パーセントしかおりません。

一番多いのはヒンズー教徒で80パーセントを超えております。次に多いのがイスラム教徒の13パーセントとなります。0.8パーセントと言っても960万人になります。

紀元前3世紀にはアショカ王が仏教を広めるために尽力され、沢山の信者が国中に生まれたといわれています。

13世紀になってアラブで生まれたイスラム教が、東へ進行してきてインドをイスラムの国にしてしまったようです。それまであった仏教に関係する建物や仏像を壊したり、削ったり、埋められたりしました。

30年ほど前に行った時も発掘作業をされていましたが、今でも発掘と修復が続けられていて、遺跡の場所もひろくなっていました。

そして、ちょうど私たちの行った遺跡で、時代にかかわるものが今日発見され、これから考古学者や役人が来るのだと休憩されていた風景に遇いました。

17世紀になって、ヒンズー教の信仰が盛んになり今のような信仰形態になったようです。

ヒンズー教は、日本の神社神道のように、それぞれの地域に住んで生活している人たちが、家族や地域の幸せを願い、自然を大切にしようと八百万の神を信仰する行動が、見慣れた風景のように感じられました。

しかし、そんな風に、色々な物に神が宿っている事を感じているならば、町がもっと綺麗であってもいいような気がします。

また、インドの憲法には今は無くなっているのですが、まだ生活や社会の中では、差別(カースト制度)がのこっています。その国で共にやさしく生きる社会を作るのは難しくはないでしょうか。

イスラム教徒に追われ逃げる際に、ヒンズー教徒の最下層に組み込まれて生きてきた元仏教徒は多くいるのです。

非暴力の仏教は小乗仏教としての歩みが大きかったせいか、信者である民衆を守る事が出来なかったようである。

独立後のインドでは仏教徒は少しづつ増えているということです。

特に今の時代は、非暴力であり、平等、特にいのちの平等を高らかに叫ぶ仏教に変わってくる人たちが多くいるということです。

ヒンズー教の最下層の人達が特に多いようです。憲法が守ってくれるからなのです。

日本の憲法も、世界中の人の「いのち」の平等を保証するはずです。

タージマハル

先祖の事・お墓の事

最近日本は、少子高齢化が進んで、後継者、特に後継ぎの問題を考えるようになりました。

そして、終活と言って自身の晩年の生活や葬儀、納骨そしてその後を見つめ準備をしておく人が多くなったと聞きます。

子供がいない。先祖や苗字を護ってくれる子供がいない。子供がいても遠くに居てもう戻って来る事がない方々が、多くなってきており自分の最後やその後が心配なのではないでしょうか。

お寺が前記の事を気にするのは、家の継続と先祖のお骨(お墓)をどうしたらいいのかの相談が多くなってきたからなのです。

十年ほど前から考えていたことなのですが、震災によって後回しになったのですが、今考えなければならない時期に来ているのだと感じています。

今回は、お墓のことについて考えてみようと思います。

  1. 今後お墓を守ってくれる人がいない。
  2. 子供がいるが、皆苗字が遠い墓をずっと守れない。
  3. 分家したが、1. 2.なのでどうしていいか分からない。
  4. 跡取りは居るが、遠くで生活をしていてもう帰らない。

これからのお墓の事を考えると、以上の4つに分類されるのではないでしょうか。

1.の場合は、御実家の墓に入れて頂けるといいと思いますが、だめならば、旦那寺(菩提寺)の檀家さんなら誰でも入れる共同墓に入れて頂くようにお願いされたらいいと思います。

2.の場合は、御実家にお願いするか、ずっと守って下さる子供の嫁ぎ先に合祀して頂くか、信頼のできる御寺院の共同墓に入れて頂く事がいいと思います。

3.の場合も御実家にお願いするか、同じ宗派の御寺院の共同墓に入れて頂く事がいいのではないでしょうか。

4.の場合は、今後増えてくるのではないでしょうか。

苗字を継いでくれる子供はいるのだけれど、生活の基盤が遠くで、もう故郷へは戻ることがないけれど、今の場所で先祖も親も、面倒を見てゆく気持ちを持っている。

しかし、墓や先祖のお骨を持って行くことが難しい時などは、親が元気なうちは、今まで通りで、その後、お世話ができなくなった時には、お寺の共同墓に入れて頂く事をお願いするか、その時、生活の基盤となっている近くのお寺で同じ宗派のお寺にお願いし墓地等を求めて移すのがいいと思います。

先祖のお骨は全部持って行かれるのが本来でしょうが、難しい時は、少しだけ新しいお墓に入れ、後の土にまみれたお骨は今のお寺の共同墓にお願いしたらいかがでしょうか。

お寺の共同墓のお願いした時は、お寺の維持費とは別に多少の寄付(永代供養料)が必要だと思います。

他にも色々なことが考えられるでしょうが、そんな時は、お寺の住職に相談シて下さい。

宗派によって違いますので、浄土真宗以外の人にはあまり相談しない方がいいと思います。聞光寺におきましては、20年ほど前から小さいけれど共同墓はあります。もう大勢の方が入っておられます。

これからの事を考えると、きちんとした聞光寺に合った大きさの共同墓を造ろうと思っております。

合掌

編集後記

最近話題になっている事を考えてみましたが、伝統的なところからの発想になってしまいます。

色々な考えがあっていいと思いいますが、私にまでなっておられる先祖の方々を偲ぶことが出来る形があるといいのではないでしょうか。

山や海への散骨もいいと思いますが、宇宙への散骨はやらないでほしいです。何故ならばゴミとしか見られないからです。

合掌