2005東京国際マラソン 2月13日(日) 2時間32分38秒=80位

 今年で8回目の出場となる東京国際マラソン。自分の中では年間最重要レースのひとつであり,自己ベストもセカンド記録もこの東京で出したものだった。しかし自己ベストを出した2000年大会以降,途中棄権,34分台,途中棄権2年連続とすっかり相性の悪い大会になってしまった。その原因は20km1時間10分の関門時間。例年は1分以内のギリギリ通過で粘ってゴールのパターンがここ2年は関門閉鎖時間に間に合わず収容バスに直行となっていた。
 しかし,今年はなぜか関門閉鎖時間が20km1時間12分になっていた。これならよほど体調が悪くない限りは通過できると確信があった。今年もだめかもと張り詰めていた気分がほぐれて楽になった。そして前半は余裕をもって,後半勝負して2時間30分切り,最低でも国立競技場に帰ってくるそんなレースを頭に描いていた。

 今年の大会は3連休と重なっており,航空券の安いチケットはその時期の販売はなかったので,3連休に入る前の前日最終便でエァドゥスペシャルを使っての上京となった。宿泊代を余計にかけてでもそのほうが安い。金,土と朝練習でコースのポイント地点をジョギングして頭に記憶を叩きこんだ。宿泊先は36km地点にあり,この2年は往路しか通過してないし,例年は前半のオーバーペースで記憶もとぎれとぎれになっているところだ。こうして朝練習で走ってみると意外と短く感じるものだったし,四ツ谷の坂もそれほど苦になるものではなかった。

 大会当日は前日まで雪がちらつくのではとの予想であったが,曇りで時々日が差す程度。気温も低めではあるが,風がほとんどないので寒さは感じなかった(スタート時気温5.8度,風速00.8m)。昨年同様ソンス妻が先に競技場に行ってスペシャルの受付を済ませておいてくれたので,スタートの3時間40分前にもち入りスープ,おにぎり3個半の朝食をとり,スタート2時間前にのんびりと競技場に到着した。しかしアップを済ませて着替えているとアクシデント発生。調子の悪かった時計が使用不能になったのだ。この時計はマラソンの賞品でもらったソーラー式の時計だったが,昨年秋くらいからいきなり充電スタンバイ状態になって時間はリセット,ストップウォッチは使用不能になるという実に使えない腕輪に変身してしまうのだった。まだ2年ちょいしか使ってないのに困ったものだ。さっそくまだスタンドにいたソンス妻に連絡をとり,別の時計と交換してもらって事なきを得る。1kmごとのポイントをしっかり確認しながらでないと不安でしょうがないのだ。幸先からなんか縁起が悪いなぁ。

 12時10分に国立競技場の第1コーナー付近をスタートする。いつもなら1周80秒を少し越えるタイムで周回するが,今回はもうスタートからリラックス状態。1周目は86秒を要した。このペースを続けていっても20km関門はギリギリ通過できるけど,せめてキロ3分30秒の1周84秒ではいきたいところ。次の1周は80秒にペースアップ。1kmも3分26秒通過と最初の1周を除けばむしろ速いペースになっていた。前方を見るとハイペースを公言していた高岡選手と数人がもうすでに飛び出していた。
 競技場を出てロードに入る頃になると選手の帯はだんだん集団に変わってくる。まだこの時点ではスタート直後なのでちょっと頑張れば前の集団に取り付くこともできるが,まだまだ長丁場無理はしない。だいたいキロ3分半を少し切るぐらいの7〜8人くらいの集団につくことにした。3kmは10分半を少し切る程度。いいペースだ。ここから四ツ谷の下りにさしかかり,体も自然に前に進む。帰りは苦しめらるであろう坂だけに行きは逆にブレーキをかけないで貯金をつくるくらいのペースでいきたい。手元の時計を見ると4kmは13分49秒くらいになっており下り効果か3分20秒ちょいでいけた計算になる。5kmは17分18秒。入りの5kmは17分20秒くらいでいきたいと思っていたので満足できる序盤だ。気温が低めなのでそれほど給水にも神経は使わなくても良かったので,5kmの給水はパス。東京は例年ゼネラルテーブルは水しかないので糖分を摂取したいならスペシャルドリンクは必須。今回は5km毎にヴァーム,それに加えて25kmからはエネルギーゼリーを容器にくくりつけておいた。6kmで東京ドームを左に見て,水道橋を右折。神保町から大手町を経てもう10kmとなった。気分的にもう10kmというのは気分的に乗っている証拠か。34分46秒(17分28秒)で通過。ここで前にいた集団5〜6名を吸収してちょっと大きな集団になっていた。これなら20km70分そこそこでいけそうなペースである。
 昨年は芝公園手前で遅れていったっけ。と思っていたら,今年もなんと同じ展開で自分ひとりが集団から遅れ出した。足に乳酸がたまったみたくなり足取りが重くなってきたのだった。ポイント練習はトレッドミルばかりだったので,路面の固いアスファルト練習が不足していたのだろうか。前の集団と自分との距離はどんどん開いていった。ちょうどそのあたりでソンス妻が応援している。昨年の東京,福岡といいソンス妻の応援するあたりでズルズル遅れ出すという変なジンクスが定着してきたのだろうか?このあたりはキロ3分40秒ほどかかる区間もあった。15kmは52分40秒(17分54秒)。まだ辛うじて5km18分を切っているが,次の5kmは18分オーバーは確実だろう。品川付近は例年応援が多く,ここでも知人が応援してくれていたのが嬉しかったが,八つ山橋の登りはリズムがつかめず苦しかった。ポツンと単独走。ある意味,声援を一人で受けられるので贅沢な感じもするけど,東京まで来て単独走なんて嫌だなと思いつつ走る。立会川の20km地点は1時間10分57秒(18分17秒)。例年ならここでバス乗車のパターンだが,今回は2分関門緩和されたので通過できる。あとは5km毎が19分ペースの関門時間が設定されているが,ここまでくれば余程のことがない限り引っかかることはないだろう。
 20km地点で後ろから4〜5名の集団が追いついてきた。この5km以上を単独走で走って余計なエネルギーを使っていたと感じていたので,集団につかせてもらい,少しエネルギーの温存を図ろうと思う。自分のペースはキロ3分40秒前後で推移していたが,この集団はキロ3分35秒前後,集団についていけばキロ5秒速くても案外楽なもので,足取りの重さも緩和されてきた。中間点は1時間14分51秒と数字を見た限りではまだ2時間半を切れるペースであるが,体力的な感覚でいけば2時間30分切りは赤信号となってきたようだ。中間点を過ぎると大森海岸の折り返しとなる。この集団のペースは安定していた。きっちり3分35秒ペースに近いペースを刻み,前から落ちてくる選手を拾っていく。25kmは1時間28分54秒(17分57秒),このままズルズル自分のペースが落ちるのではないかと心配していただけにまたペースが上がって俄然やる気が出てきた。帰りの八つ山橋は行きとは違ってイケイケといった感じで登って行く。ちょっと無理をするとまた足が重くなりそうなので急加速は禁物である。30km手前で集団から1人が前に飛び出す。自分もついていきたかったが,ゴールまで持つかの自信がなかったので待機することにした。30kmは1時間46分58秒(18分4秒)。33キロ過ぎで集団のタイムが落ちてきたようだったので前に出ることにした。ここまで来ると前から落ちてきた選手がけっこういたのでその選手を一人一人拾っていくことが目標となる。35kmは2時間5分20秒(18分22秒)と自分ではペースアップしたつもりがあまりあがっていないようだった。残り7kmちょいだがとても25分以内でカバーできそうにはない。びわ湖もあるので気持ちは守りに入ってきたようで,無理にストライドやピッチを上げるまでもなく,一歩一歩ゴールを目指すこととする。とはいえもう足にきており,このマラソン練習で一度に25km以上の距離を踏んでいなかったツケがここで出てきた。単調な水道橋から四ツ谷までも二日前の朝練習効果で例年より短く感じた。四ツ谷の坂はやはり一番苦しい地点にあるだけあって厳しい上りだった。40kmは2時間24分28秒(19分08秒)とこの大会で初めて5km19分を超えてしまった。楽しかった?コースも残り2km,外苑に向う直線ではすでに2時間30分を切れないことがわかっているため,いろいろ考えながらの走りとなる。「果たしてまた東京のコースを走ることができるのだろうか」,もう参加資格は次のびわ湖か夏から秋のレースで再挑戦しなければならない。競技場に入った時にはすでに2時間30分を超えていたが,頑張ってラストの直線はちょっとペースアップしてゴールした。2時間32分38秒。完走して競技場に戻ってくるという最低限の目標は達成できてホッとした。2時間30分切りは次回以降の宿題となってしまったけど。
 
 今回のレースでは足にはきたもののスタミナ切れの空腹感とか脱力感はあまりなかったのが救いだった。お陰でドリンクに付属して準備したエネルギーゼリーのお世話になることもほとんどなかった。餅を朝食に摂ったり,大豆ペプチドを補助食品で使った効果かもしれない。普通レースが終わったあとは,次に向けて走ろうなんて気は起きないのだが,今回は幸いにも終わったあとに「次はびわ湖」でとなぜか意欲満々で,競技場裏手でふだんフルではあまりしないダウンジョックをやったほど。次は関門は厳しいけど,チャレンジするしかない。

スタート レース中盤 表彰式
競技場内(後ろ5人目が私) たぶん16km地点(走歯さん撮影) 表彰式

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