第33回釧路湿原マラソン 7月31日(日) 1時間45分09秒=3位
今年で3回目の出場となる釧路湿原マラソン。昨年は士別ハーフとぶつかり出場を見合わせたけど,気候的にも涼しい釧路。真夏でも25度を超える日が少なく走りやすく,北海道マラソンに向けての脚試しにはもってこいの大会だと参加を決めました。
いつもならレース後に1泊して道東地区の後輩たちと一杯というのが,レース以上の楽しみとなっていたけど,今年はレース翌日に会議が入ってしまいレース後すぐに旭川に戻らなければならなくなり,レース後の峠越え込み5時間半の運転も辛いので,汽車(電車じゃありません)で往復することにしました。
しかし,北海道の鉄道はほとんど札幌中心のダイヤが組まれており,旭川から釧路まで往復するのはけっこう大変です。結局鈍行列車の旅,ならば休み中限定の「青春18きっぷ」を使い,金曜日に夏休みをとって2泊3日の鉄道遠征としたのです。どうせなら2006年4月で廃止予定の「ちほく高原鉄道(ふるさと銀河線)」に乗りました。
「ちほく高原鉄道」 | 途中下車で硫黄山へ | 川湯温泉駅でのワンマン列車 |
金曜の夜は網走に宿泊。そして,翌日は釧網本線で網走から釧路へ。途中川湯温泉で途中下車して,駅前の共同浴場に荷物を預かってもらって着替え,硫黄山や川湯温泉街をジョギングしてひと風呂浴びて釧路入りです。釧路湿原に入ると急に釧路名物の霧が立ち込め,降りると半そででは肌寒いくらいです。
土曜の夜は競技場から至近の後輩の家に泊めてもらいました。後輩は全道の中学大会とか地元陸協の強化合宿とかでほぼ10日ぶりの自宅だとか。明日も湿原マラソンの審判とのことでご苦労さまです。
翌朝起きてみると,また霧でした。その霧のつぶがどんどん大きくなったかなと思ったら雨でした。歩いて会場に向かい,雨をしのげる場所はないかなと思ったらスタンド2階に室内走路があって広いスペースがあってここに荷物を置場とします。ネットランナーのお知り合いに挨拶のあとすぐさまアップ。雨は若干小降りになってました。
9時30分のスタート直前にまた雨が本降りになり,号砲がなってスタートするといよいよ雨は激しくなりました。さて今回のレースのテーマは「1キロ3分半=1時間45分」でいくこと。この「1時間45分」これには意味がありまして,とある大会でサブ30をバンバン出しているベテランランナーの方が「30kmを1時間45分で通過できればあとの12.195kmをキロ3分40秒に落としてもサブ30で行けるよ」と。だから「1時間45分」がサブ30挑戦へのひとつの目安になるのです。しかし,疲労困憊で1時間45分でゴールしても意味はありません。余裕を残してでないと。
さてレースに戻ります。先頭集団は5名のようですが,1人がこぼれてきたので抜いたあとは前の4名の差は広がるばかりです。雨は相変わらず激しくコンタクトレンズが落ちるのではと心配になるほどです。額が広い分こんなときは苦労します。帽子被っておくんだった。
5kmは17分8秒の通過。予定より速い通過でしたが,体感はキロ3分半なのでリズム自体は悪くはないのでしょう。新釧路川の河川敷に出る頃には雨は止み気にならないほどになってきました。また路面は未舗装区間に入り水溜りを避けて走ります。この大会には同じ30kmでウォークの部があってひと足先にスタートしてます。ちょうど折り返してきたウォークの部の人が応援してくれるので時々手を少し挙げてエールの交換。前方を見ると先頭集団に動きがあったようで1人が集団から脱落したようです。橋を渡って釧路湿原に入ります。看板で「ここから湿原」とか「直線5km」と,単調な世界に耐えられるかなと試されているようです。本当に何もないところですので,人が集まっているところは関門かスポンジポイントしかありません。10kmは34分20秒(17分12秒)。最初の5kmと同じリズムで来ているようです。関門では,地元高校生がプログラムで名前を確認して実名で応援してくれるのが嬉しいです。あとで聞いたら地元の私立高校の生徒だそうで,ボランティア活動とかにも熱心な学校とのことでした。しばらく行くと霧が濃くなり,チラチラ見える前を行く選手も真っ白な世界の中に吸収され見えなくなりました。こうなると不思議なものでこのレースで初めて力みが出てきます。視界が遮られるとこんなところに余計な力がかかってくるんですね。心の中は早くこの単調な世界から抜け出したいって気持ちです。長かった直線に別れを告げてカーブを曲がってしばらくするとトップの選手が折り返してきました。ちょっと差が開いて二人の並走。オープン扱いの招待選手は二人ですから,一般参加の選手(地元釧路の先生でこの春までS急便の選手)が食らいついているようです。そのあとT洋大のK嶋監督が折り返していきました。自分はそのあと。15kmの通過は折り返し地点かなと思ったらその手前に「15km」とペイントしてありました。おっとラップは押し忘れたけど,頭の中でピッと51分45秒とこの5kmは17分25秒。力んだけど設定ペースに近くなっていました。折り返すと続々と選手とすれ違います。往路では霧が気になっていましたが,復路は視界が開けそれほど気になりませんでした。あの白い世界はどこに行ったのだろう???で見えたら見えたで遠くに見える20km関門がなかなか近づいてきません。ずいぶん心の中は勝手なもんです。脚のほうは10km過ぎで力んだ影響なのか右ふくらはぎ下がかなり張っています。最近のレースでよくこの症状が出てくるのがちょっと気になります。20kmは1時間09分23秒(17分38秒)と20kmのこの通過タイムが今季の20kmのベストです。設定タイムを初めてオーバーしました。
20kmを過ぎるとコース的には軽い上りあり,未舗装ありとちょっとイヤな区間に入ります。3年前に出場したときは強烈な向かい風もあって18分を唯一切れなかった区間です。リズムを崩すことなく駆け抜けたつもりですが,25kmは1時間27分44秒(18分21秒)と大幅なペースダウン。このまま引きづれば1時間46分くらいになるでしょう。まだ脚は残ってましたので25kmから26kmで(ここから1km毎の表示になる)ちょっと頑張って確認。3分30秒くらいになってましたのでこのままいけば設定どおりだなと少し安心。沿道は市街地になって応援の人が出て頑張りポイントです。運動公園の手前の残り1km(29km地点)まで綺麗に3分30〜31秒のペースを刻んでこの4kmは14分05秒。競技場に入ってから少しペースを上げて1時間45分09秒(17分25秒)で順位の変動もなく,オープンの実業団選手を除いて3位ゴールでした。
レースを終え,帰りはファイアーさんと鈍行列車の旅。午後3時過ぎに釧路を出て,帯広乗換えの午後9時40分頃旭川に到着。お酒をあまり飲まないファイアーさんに,帰りの列車まで水分補給を抑えていたソンス。途中で買った池田駅の十勝ワインがちょっと効きましたが,お話ししながらの楽しい帰路でした。
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