2003 IAU100kmワールドカップ(台湾) 11月16日(日)

 今年最大の目標レースはサロマ湖100kmでした。そのレースでたまたま陸連登録の部で北海道最高も出せたし、4位にも入ったので満足満足。夏はあまりレースにも出ず、9月はせいぜいハーフマラソンまでの距離を走っていました。ところがちょうどその頃、サロマの事務局でもあるR社から11月に台湾の台南県で開催されるIAU100kmの出場意向確認の封書が届きました。そういえばサロマのゴールの時に過去にその大会に出場経験のある選手もそんなことを言っていたような。正直「また100km走るのかな?」と少々迷いもあったけど、一応日本代表というのも名誉だし、世界大会なんてどんなものか興味が湧いてきて、結局届いて翌日にはR社に「出場させてください」と出場の意思を伝えました。
 いざ出場を決意したものの、なかなかウルトラ用の練習をする気にはなりませんでした。そうサロマ前は計画的に段階を踏んで距離を伸ばして脚をつくっていったけど今回は良くいえば自然体、悪くいえば適当、10月は532km走ったけど、一度に走った最長距離でもハーフまでで、フルの前の鍛錬期の練習量より少ない練習内容でした。それでも最後の悪あがきか1週間前にキロ4分ちょいのウルトラマラソンを意識したペースで30km走を行い、なんとか走れるかな?との目処もついてきましたが、肝心の集合時間やレース概要についてわかったのが出発の数日前。上位入賞とか狙うのであればそのへんは神経質に気にするのかもしれない事態です。一番到着が遅かったのがユニフォームで辛うじて出発前夜に届きました。危うくJAPANを着れずに出場するところでした。さてその届いた要項をみると(1)コースは12.5kmを4往復。(2)平均気温は21度(最高31度・最低15度)(3)高低差はスタート地点は標高130mで最高点は360m、途中1kmで最高65mの高低差がある(4)参加数は29カ国129名等々。平坦低温のサロマ湖と比べると相当タフなコース・気象条件になりそうです。

レース前々日(11月14日)
  台湾の中正国際空港でこの大会に参加する成田・関空・福岡から選手・役員が一同に会するが、なかなかお出迎えというかバスが来てません。確か主催旅行会社の案内には「バスの送迎スタッフが日本選手団のステッカーを持ってお待ちしている予定です」とあったはずだけど。役員の人が確認していると渋滞で遅れているらしいとのこと。よく海外旅行とかで時間に正確な日本人がその国の時間のルーズさにカルチャーショックを受けることがあると聞くけれど、いきなり先制台湾タイムの洗礼を受けることに。。。このあとレース前後は台湾タイムをもう結構ですと思うほど体験することになりました。そして送迎スタッフとおぼしきおっさんがいきなり登場であるが、そのおっさん日本語はもちろんのこと英語も満足に通じない。しかもこれからこの約20名の団体をどこに送り届けるのかもうまく把握していない状況???大丈夫かなと思ったら途中、自動車整備工場で車をちょっと修理するは、サービスエリアのガソリンスタンドで洗車はするは、道が判らないのか道を尋ねるはで思ったより時間がかかって夜の8時半すぎに選手村である台南のハイビスカスリゾートにやっと到着。
 
  レース前日(11月15日)
  朝6時30分に起床。台湾は日本より1時間遅れの時差なので体感的にもグッスリ寝たなぁという感じ。すぐに朝練習というか軽いウォーク&ジョックに出掛けました。昨夜は闇の中だったので周りの状況は把握できてませんでしたが、山と渓流に囲まれた熱帯雨林の中といった感じです。ホテルのすぐ前の道路はコースになっており、川の上流に向けて片道3kmほどをゆっくりと進みます。もっと登りがきついのかなと思っていたけれどアップダウンが繰り返しあって全体的に登っている印象。ただ路面の硬さと荒れ方は日本以上なので着地の際は注意を要すると思われました。暑いとは聞いていたけれど朝は湿度があるものの少し涼しさを感じます。練習後は朝食。ここの選手村は3食付き、しかもバイキングでアルコール以外は食べ飲み放題なので、何もない田舎でも食事には何ら心配はいらない。食事後に選手・役員のミーティングがあって昼からのテクニカルミーティング(代表者会議かな)での要望事項や明日の大会に向けての準備についてチームとしての話し合いを行い、あとは開会式まで自由行動となり、近くのYHの売店で買い出しをしたり、暑くなった日中に軽くジョックをして暑さ慣れを行うなどして調整を行いました。
 午後4時からオープニングセレモニーということで、その1時間くらい前にホテルを出発して、徒歩5分くらい離れたイベント広場に向かいました。ここではアトラクションや挨拶が延々と続き、終わったのは日も暮れかけた5時過ぎになってしまいました。さらにイベントは続きますホテルのプールサイドで前夜祭。ここでもアトラクションののち午後7時にようやく食事にありつけました。レース前日なら炭水化物食だけど、ここにある炭水化物ならビーフンかチャーハン、あとはケーキ・パンとかしかありませんでした。ちょっと油っぽいのが難点ですが、何回かおかわりをしてエネルギー補給完了。あとは翌朝はやっぱり白飯ということで近所の小さな食堂で「我欲白飯」(中学で習った漢文が役に立ちました)と書き、あとはジェスチャーで3個包んでほしいとお願いすると快く応じてくれました。これで料金は30台湾ドル(約100円)、明日の準備もバッチリです。ところが肝心なものがまだありませんでした。それはなんとナンバーカード。これがなければスペシャルドリンクの目印も作れません。聞くところでは大会参加者のイニシャルを間違えてナンバーカードを作り直しているとのこと。その夜はナンバーカードの受領を諦め翌朝と思いましたが、11時前に内線電話が鳴り無事受領することができました。

 レース当日(11月16日)
 朝食は6時から。日本人用にちゃんとご飯が用意されていました。日本人はご飯ですが、外国人は何を食べるのかなと同席していたドイツ人?の食事を覗くとコーヒーに砂糖をたっぷりいれてトーストをかじっている。その横で自分は昨日の食堂で購入したBIGサイズのおにぎりをほおばる。スタート時間は当初8時30分だったのだけれど9時に変更となっていました。第1陣は8時に出発、ソンスは第2陣の8時30分に出発。これもスタートラインまで徒歩5分で行けるという気軽さでしょう。もういつでも走れそうなランパンシャツ姿でスタート地点に行くとどうやら25kmや50kmの部の選手も同時スタートらしくスタートラインは人だかりで一杯。せめて時差スタートにでもしてくれると助かるんだけどなぁ。台湾タイムはスタート時間も遅れるのではないかと思ったけど、定刻通り9時にスタートとなりました。
 スタートしてすぐ下りがあって、しかも他の種目の選手と同じなので自分のペースがあまりよくわからない状況。ただ走っていくうちにワールドカップ出場選手は前後にナンバーカードがあって、それ以外の選手は前だけだということに気づき、それに目標物にして走ることにしました。昨日の朝練習で走ったところまではあっという間に過ぎ、4kmを超えたあたりから登りがきつくなり始めてきました。途中は5km毎にスペシャルとゼネラルのテーブルが、5kmの中間にスポンジテーブルと給水所が用意されることになっています。ソンスはヴァームとエネルギーゼリー少々をスタッフに預けていましたが、日本から持ってきた絶対数が少ないので最後までもつかどうか?節約しながら飲んであとはゼネラルのスポーツ飲料や本場台湾バナナに頼るしかない状況でした。気にしていた暑さはスタート時点ではあまり感じず5kmへアップダウンがあるものの19分54秒とやや速いかもしれない滑り出し。でも呼吸も脚もまだまだ楽なので得意な登りで少しでも前に行っておきたいとの心境の表れだったのでしょう。いちばんきつい登りもピッチで登り、ストライドの広い外人選手にも追いつくくらい脚が進みました。6kmくらいはちょうど曾文水庫(曾文ダム)のちょうど湖を堰き止めるダムの上なのでコース上唯一の平坦な場所が500mくらい続きます。そこを超えるとなだらかな登くような状況です。途中着飾ったコンパニオン風のおねえさんが消毒液のようなにおいのするシャワーを選手にかけていました。これってSARSの時に使った消毒薬の使い回しだったりして。。。ここらへんには休憩所とかもあるので声援加油(ちゃーよ・頑張れの意か?)と声をかけられる。ダムを超えると木々の間の細い道を登るので体感的にはまだ涼しい状態でした。路面はたぶん大会前に突貫工事で舗装したと思われる新しいアスファルト面が続いています。
 10km地点ではマネージャーさんがスペシャルドリンクを手渡しでくれました。ここでもボトルが少ないので、この区間はすぐ折り返してまた戻ってくることになるのでボトルは手にもったまま折り返して再度降りてくるときにテーブルに戻そうと考え、そのままボトルをもって走りだしました。10kmは41分13秒と登りの分タイムは悪いですが、まだ足取りは大丈夫。しばらく行くと先頭が折り返してきました。ここではサロマの優勝者K林さんもしっかり集団にいました。数えてみると意外なことに日本人では2番目で、全体でも20番くらいのような感じでした。もしかしたら今日は調子がいいんだかそれとも他の選手が自重しているのかその時はわからなかったのですが、初出場ということで完全に舞い上がってしまいオーバーペースだったみたいです。
 折り返すと一転してダウンヒルに。ソンスは下りがうまくありません。どうしても脚にブレーキがかかってしまい、着地下手もあって膝とかにきてしまいます。でもまだ余裕があるのか流れに身を任せて下っていきます。途中、予定どおりスペシャルをテーブルに戻し、すれ違う他の日本選手とエールの交換。往復のコースはこうして何回かすれ違うことができるところがいいですね。すれ違う時に「ガンバ」って声をかけられたり、手で合図するだけで気分が前向きになってきます。そうしているうちにN村さんがすごいスピードで抜いていきました。彼によると途中キロ3分20秒くらいで下っていたとか。15kmは1時間1分13秒でこの5kmはちょうどキロ4分のペースなのでちょうどサロマと似たようなペース配分になってきました。ただしあのときは涼しかったけどこのペースがいつまでもつことやらちょっとこの辺から暑さをだんだん感じ、汗がだらだら流れてくる状況で下れば下るほど暑くなっています。途中の急坂のカーブで緑色したいかにも南国風のヘビが死んでいたのにはビックリしたな。よく考えればここらへんは北回帰線より南の熱帯雨林の中だからそんな動物がうようよしたっておかしくない。
 20kmは1時間21分39秒(20分26秒)。下りの割にはあまり伸びてないタイムで急な下りでかえってブレーキをかけすぎたか?急坂を下りると太陽に向かって延々と見える続くアップダウンを走ることになり、サングラスを用意すれば良かったとちょっと後悔。22kmで選手村のハイビスカスリゾートを横目に見えるところでK藤さんに抜かれ、一瞬ついていこうかなと思ったけど、脚はここで疲労を感じており、ちょっと暑さで少し動きも緩慢になってきているようでじわじわとその姿は遠くなっていきました。スタート地点を少しかすめたところに折り返しがあって、そこからスタート地点付近を周回して2往復目となる。
 25kmの通過は1時間42分51秒(21分12秒)。ここらへんは応援も多く、エイドも各国毎に延々と続いているので少し元気が出てきます。この付近にはスペシャルは置かなかったのでゼネラルで用意されているコーラを飲み干す。コーラはレース中に飲むのはちょっと抵抗があるけど、エネルギーになりそうな感じのため。実際飲んでみると炭酸なのでさらっと飲めたけど甘ったるいな。下ったあとの登りはやはりきついです。これがあと3往復続くと思うとちょっと憂鬱。この辺から外人選手に抜かれまくりでやはり気分的にきついと思うと弱気になってしまいます。心の中に完走は難しいのではないだろうかそんな考えが頭の中をよぎってきたのもこのあたりからだと思います。30km地点は結局タイムを計測することができず、ドリンクをもらって再度急坂に挑む。1往復目は登りで貯金だと思った地点が今度は歩くようなスピードで「早く登り終わってくれないかな〜」と弱気モード。ダムを超えてだらだら登りにさしかかる手前でN城さんにも抜かれて、日本男子では後ろから2番目になってしまいました。
 35kmは2時間30分20秒(この10kmは47分29秒)とやはりラップ上ではキロ4分30秒以上もかかっており、体感的にもかなりペースダウンといったところか。次のエイドではマネージャーさんにエネルギーゼリーを渡してもらい補給する。35km以上しかもアップダウンのコースなのでもっとエネルギー切れが早くるだろうと思っていたが、まだエネルギー切れの感じはないけど早め早めの補給と心がけておくことにしました。でもこれが最初で最後のエネルギーゼリーなんだな。バックの中に結局1個しかないようでした。余談ですが、このエネルギーゼリーはサロマ入賞で24個もらったうちの1個です。またほどなくしてK林さんが折り返してすごい勢いですれ違いました。ペースがソンスと違って比較にならないほど速く、もうすでに独走態勢に入っている模様。前回の覇者のイタリア人選手も後方に置かれていました。待ち望んでいた折り返し約37km地点、下り坂に入ってもペースは上がりません。女子もトップあたりとも相当差が縮まってきているようで大女のイタリア人選手が迫っています。女子の2位はS谷さんでしたが、すれ違うペースで見ても明らかに自分よりいいペースで走っているようです。学生のS戸さんはソンスと同じウルトラマラソン2回目でちょっと歩きが入っている頃でした。下りに入ってもペースは上がらず、それどころか途中で立ち止まりも入ってしまいました。どうも膝のあたりにもきているようです。一度立ち止まるとダメですね。次の一歩からがえらくきついです。
 40kmは2時間54分33秒(24分13秒)と下りが多い区間にもかかわらずまたペースは落ちています。すれ違う日本人女子選手とのエール交換で少しは元気になるものの走りに精彩はなし、1往復目ではあまり景色を見ている余裕はなかったけど2往復目は気分転換というか暑さ、苦しさを紛らわせようと右手に広がる曾文水庫を眺めることにしました。曾文水庫は台湾でも最大級のダムだそうです。水の青、緑の青、涼しげな風景です。頭はぼーっとしてたけど。ダムを過ぎての急坂にさしかかると体全体でブレーキをかけることで脚のみならず腹筋もつりそうでした(>_<)。ここまで補強といえば腹筋を少々しかしてなかったので。ウルトラマラソンには脚だけじゃなく他の部位も鍛えないとダメですね。
 急坂を過ぎると再びアップダウンが続き、正面に太陽の光を受けまたも我慢の区間に突入です。45kmは3時間20分27秒(25分54秒)とほとんどが下りにもかかわらずキロ5分オーバーとなりました。途中スポンジポイントがありますが、スポンジの水は危ないので飲まないようにとの指示を受けてましたが、
苦しくなるとスポンジが口にいってしまいます。「いけない。いけない。」とハッと我に返りテーブルのコップの水を探すもないので、近くにあったミネラルウォーターの大きなボックスから水を汲んで飲むけど、ぬるくてさまし湯を飲んでいるようだ。
 「50kmで止めよう」。ちょっと頭はぼーっとしてきた中で自分の中で完走しようという意欲は全く失せてしまいました。この大会は国別対抗の団体戦があるので自分の棄権がチームにとって迷惑がかかるのは非常に心苦しいのですが、この暑さの中でもう2往復いや1往復も走りきる自信はなかったのです。汗も出なくなってなんか体が熱っぽい状態でちょっと自分の中で感じてしまった限界モード。
 50km地点、時計のボタン押すのを忘れてしまいましたが、この5kmは27分くらいだったと思います。こうして世界初挑戦は3時間50分弱で終了しました。  
  
 スタート・ゴール地点にいた関係者に一言声をかけて一旦宿舎に戻り、バスタブで体を冷やすとやっと生き返りました。そしてまた再びスタート・ゴール地点に戻って今度は応援に回りました。9時のスタートから7時間と少したった頃、トップのイタリア選手が大会2連覇でゴールテープを切り、女子もイタリア勢がワンツーを決め、団体戦も男女イタリアが優勝でした。午後5時には日が暮れてきました。男女12人中9人が完走。男子はN城さんが6位、K藤さんが10位で団体戦4位。女子はS谷さんが5位で団体3位でした。暗くなってからも続々とゴールするウルトラランナーを見てウルトラマラソンは完走しなきゃ絶対に損だなと思いました。苦しくなってからがウルトラマラソン、痛いとか苦しいとか暑いとかを言い訳にしちゃダメですね。もうすこし精神面を修行してからウルトラマラソンに再挑戦(いつになるやら)したいと思います。
 
 この4泊5日の遠征では別の世界を体験できました。ひとつの世界は世界各国からの選手と選手村やレースで身近に交流ができたこと。たまたま食事の席でスパルタスロンや100kmワールドカップで入賞歴のある選手といっしょになりました。日本の役員の方によると彼の口癖は「ノープロレム」。やはりウルトラをするには細かいことに気にせずおおらかに走るのが良いのでしょうか?見知らぬ選手とレース前に健闘を誓いあったり、記念写真をとったりいい経験になりました。
 ふたつめの世界はウルトラマラソンの世界。今回行動を共にした選手の人たちは何週間か前の四万十川の100kmを走ってすぐこの大会に挑戦したり、この大会の翌週からレース計画を入れていたり、24時間走のことまで話題に出てました。ゴールに入って間もないのに「来年のサロマを走って、オランダ(来年のワールドカップはオランダです)にも出たい」とか皆さん超人です(^_^;)。特に走っているときでも女性の方は楽しみながら走っているようでした。
 同じウルトラを走るならやっぱり楽しく走らないと損ですよね。そんなことも感じました。
 最後に役員やマネージャー、関係者の人たちも御苦労さまです。なんといっても炎天下の森の中で水も食べ物もあまりないところでサポートしていただいたのですから疲労は選手以上だったでしょう。残念ながらそのサポートに報いることはできませんでしたが、この場を借りてお礼申し上げますm(_ _)m。 

ハイビスカスリゾート JAPANユニフォーム 曾文水庫 スポンジポイント
選手村のハイビスカスリゾート 憧れのJAPANのユニフォーム この川の上流に向かって走ります スポンジポイントです
選手団記念撮影 スタートゴール 給水所
日本選手団全員集合 スタート・ゴール地点 コース上のオアシス給水所。国別になってます

番外編

レースが終わって11月17日と11月18日は団体・自由旅行となりました。

 IAU100kmワールドカップの熱戦の終わった翌日は朝7時に選手村のハイビスカスリゾートをチェックアウトしました。ちなみにハイビスカスは中国語では「山芙蓉」と書くそうです。台南県から台北市までは高速道路を通っても4〜5時間かかるそうです。台湾は高速道路が整備されており、台北と台湾第2の都市高雄をつなぐ高速道路は平行して2本あるそうです(途中工事区間あり)。

バス  台南から台北まで乗ったバス。往路は高速道路のSAでいきなり洗車を始めた問題運転手のバスでしたが復路は運転手も代わり現地案内人が付いて、いろいろ台湾の話が聞けて勉強になりました。
 見づらいかもしれませんが「IAUウルトラマラソン台湾遠征様」と表示があります。 台湾の長距離バスはとにかく立派です。まず着座位置が2階で1階が荷物庫です。1+2列シート、全座席に液晶モニター付きなんていうのもあります。
マンゴーの塔 のモニュメントの上に乗っているものなんだかわかりますか?
「マンゴー」らしいです。
台南はマンゴーが名産
品らしいです。
高速道路のSA 飲茶 台北市内での昼食は飲茶料理でした。
お昼だというのに早くもビールタイム
回転テーブルにはビールが林立しています。
(緑色の瓶がビールです)
龍山寺 中正紀念堂 忠烈祠
龍山寺:1738年創建の寺院で仏教寺院が前に道教寺院が後ろに仲良く同居しています。おみくじは無料でしかも大吉(^o^) 中正紀念堂:蒋介石の業績を讃える建物後ろにかすかに見えるのが、紀念堂でこの建物はアーチで高さ30mあります 忠烈祠:戦争で命を落とした英霊をまつる、日本でいえば靖国神社みたいなところ。
1時間毎に儀仗兵の交替の儀式が行われまさに一糸乱れない動きです