2001年4月15日 全州群山国際マラソン

1 申し込みまで 
 その年の2月の東京国際マラソンは無念27kmのリタイアだった。何か不完全燃焼のような心の中。もう1本レースが走りたい思いにかられた。でもすでに春のシーズンの申し込みはほとんど終わっており適当なレースがなかったので、思い切って韓国のレースに出場することにした。
 年に1回は酒を飲みに?韓国旅行に行っており今回の旅行はGWに行こうと思っていたのを前倒しでレースに絡めてというわけである。韓国にはマラソンオンライン(http://www.marathon.pe.kr/)という韓国のランニング情報について総合HPがあり、適当なレースがないものか探したところ全州群山国際マラソンを見つけた。スタートから延々と桜並木が続くロケーションのいいコースで、ソウルからもバスで3時間と近く、おまけにアマチュアの部(韓国ではマスターズ部門という)にも6位まで賞金が出るという。旅行費用も賄えるならとの不埒な理由も手伝ってエントリーすることにした。ところがエントリーはインターネットでフォームに入力後、期日までに銀行振込で申し込む方法であった。自分パソコンでは韓国語は読めても、送信する時は相手には文字化けしてしまうことは確認済みだったので、まずは事務局に電話し、外国人であるが参加したいのでフォームをプリントアウトしたものを書き込んで封筒に参加費30,000ウォン(約3,000円)を入れて送っても良いかと尋ねたところOKとのことで早速実行した。ウォン紙幣は両替で余ったものを家でストックしていたものを使った。
 もうひとつ問題があって、この大会ではナンバーカードや記念品は事前に宅配されるとのことであり(この大会に限らず事前配送は韓国の大会では多いように思う)、しかも大会の一週間前だという。万が一行き違いになっても困るし、海外だから追加料金を取られてもとの思いから、現地受け取りを希望する旨伝えるとこれもOK。これで大会エントリーへの準備が整った。

2 全州まで
 4月12日の最終便の1つ前の飛行機で東京に入り、翌13日の10:00の便で成田から移転したばかりの韓国の新玄関口の仁川国際空港に12:20分に到着。ここから大会の会場である全州に行くバスが出ているが、それには乗らず、空港から90分の水原市に向かう。ここは1998年に1年間住んでいたところでその当時の知り合った人たちがたくさんいる。水原に行く目的は。。。ズバリ、お酒を飲むため。
 着いてからはまず宿の確保からということで常宿の石山観光ホテルに行ったが、折からのワールドカップ前の景気の良さか強気の価格設定になっており、65,000ウォンだったのが90,000ウォンくらいになっていた。たかが日本円で2,500円差と思うなかれ、私の心の中はすっかり韓国人モードになっており円計算は頭の中から消えていた。そこで旅館街に足を向け亀甲荘旅館20,000ウォン也に宿を決めた。ちなみにこの亀甲というのはその昔、豊臣秀吉が韓国に侵略した際に、それをうち破った韓国の英雄李瞬臣の乗った船、亀甲船から来ているようである。あとで飲み会の時に宿の名前を言ったら笑われた。
 飲み会は最近日本でその名も知られたサムギョプサル(厚めの豚のバラ肉)と焼酎。焼酎は23度をストレートで。大会前であることを忘れてすっかり飲んでしまい、最後はフラフラでタクシーで旅館に帰ってきた。
 翌日はちょっと頭が痛かったが、朝早くから開いている食堂へ行き、何を食べたかは忘れてしまったが、汁物を食べたように思う。韓国では二日酔に効く朝食があって私のような呑んべーで朝は繁盛するようである。9時頃のバスに乗り、高速道路を約3時間で全州に到着。
全州は全羅北道の道庁所在地で人口は50万人と聞く。食の街としてビビンバ発祥の地であり、二日酔いの味方コンナムルクッパ(もやしスープ)の名店が軒を連ねる街である。高速のインターチェンジを降りて街中心部に向かう途中にワールドカップ競技場が見えた。
 バスターミナルからタクシーを乗り継いで全州コアホテルへ。ここはほぼ中心街で隣がコア百貨店と立地は申し分なし、宿代は120,000ウォン(1泊)と破格である。水原では90,000ウォンをケチったのになぜここではという気がするが、連泊で貴重品を残して大会に出場するには旅館のようなところではセキュリティーに問題ありなので保険料の意味合いもある。昼食はもちろんビビンバでしかもガイドブックに載っている有名店に足を向けた。ソウルに比べるとサービスのおかずが多いのも○である。昼食を食べてから歩いて10分くらいの選手村のリベラホテルに行き、事務局に行ったところ、全羅北道庁の事務室で預かっているとのこと。どうやら選手村は招待選手の受付所らしくマスターズ部門なのにずうずうしくも入り込んでしまったようである。ま、外国人に免じてご勘弁を。来た道を逆に戻り、全羅道庁へ。ここの事務所では課長室に通されてわざわざ日本からよく来たねとお茶までごちそうになり、無事エントリー必要用品を受領できた。
 ホテルに戻って休憩後はジョックがてら3kmほど離れた全州駅に行く。実はスタートは全州でなく、更に40km離れた群山という街でゴールが全州なのである。そこで群山まではローカル線に乗ってスタート地点に向かわねばならならず、その下見というわけである。韓国は車優先なので車に注意しながら若干遠回りして全州駅に到着した。全州駅に限らず韓国では公共での移動手段はバスが一番充実しているので、駅前はバスターミナルに比べるとやや寂しかった。ひととおり確認すると駅前にインターネットカフェがあったので1時間ほど時間を潰していると日が暮れていた。初めて来た街なので走って帰るのも不安だし、バスで帰ることにした。街の中心地に宿泊したお陰でどのバスに乗っても大丈夫(たぶん)なようである。幸運なことに適当に乗ったバスはホテルの裏に停車し、そのまま食堂へ。韓国はご飯も麺類もあるのでマラソン前でもしっかり炭水化物が摂れる。ただキムチ類は食べ過ぎてお腹をこわさないよう前日だけは控えめとする。翌日の朝用にとコンビニで海苔巻きを買い込んでホテルに戻った。

3 群山まで
 朝は7時45分だったかの列車だったので、軽く散歩して朝食。すぐ駅までタクシーに乗った。駅も列車も日曜の朝ということで閑散としていた。列車は編成の短い確か2両編成だったと思う。乗って通路を挟んだ向かいの座席から一人の学生さんにマラソンに出るのかと声をかけられた。彼は大学生で今回のマラソンではハーフの部に出場するらしい。格好も普通のの学生でリュックの中に走るウェアなどを忍ばせているらしい。いろいろ話すうち地元の学生でランニングは特に趣味というわけではないが運動が好きで体力には自身があることなどがわかった。また徴兵期間を終え復学したばかりなので練習しなくともハーフなら走りきれると答えていた。徴兵期間には重装備で昼夜問わず40kmくらいを歩くとも聞いていたので、韓国の人は意外と距離に対する不安は感じてないのかもしれない。1時間ほど話をしながら列車は無事群山に到着。群山は天気がとても良かった。駅前は人口の割(確か2,30万人の街だと思う)には田舎っぽい雰囲気であった。群山は日本でも少しヒットした「八月のクリスマス」の映画のロケ地になったところであり、時間があればそのロケ地を見たいところであるが、マラソンはここをスタートするとこちらに戻れないのが非常に残念。学生さんと駅からタクシーに乗り出発地点の群山公設運動場へ向かった。
競技場に着くとハーフとフルは集合場所が違うため競技場入り口でお別れ。お互いの健闘を祈り別々の会場へと向かった。
4 レース模様
 気温は半袖でも少し汗ばみそうな気温。風は追い風が強いような感じであった。まずはトラックに全州まで運んで貰う荷物を積むことから始まり、そこからアップを始める。以前いたときに知り合ったマラソン関係者にも偶然会い挨拶する。競技開始30分くらい前にはスタート地点に集まり、ここでは準備体操と称して軽快な音楽とともにエアロビダンスが始まった。それが終わると第1コーナー付近のスタートライン50mくらいに整列するよう指示を受ける。この前にエアロビ等も行わず黙々とアップをしていた招待選手及び韓国陸連登録選手の入場が始まり、間もなく号砲一発、約2000名のスタートとなった。(なおハーフ、5kmの部も合わせると13,000名参加のマンモス大会だった)。
 前半から登録選手みな飛ばしているようですぐ見えなくなった。こちらも5kmを17'41"で通過するが、前はぽっかり空き後ろも人気がない。なんか独りでペース走をしている気分でとても大規模な大会とは思えない。8kmを過ぎてようやく登録選手、大学生かな捕まえることができた。ホッとして10kmを35'16"とこの間は17'35"と追い風を背に受けてペースが上がっているようである。なお10kmを過ぎて選手数人が歩いているのを見た。早くも棄権者続出のようである。前に韓国の陸上指導者から、マラソンの経験の浅い学生選手には行けるところまでトップ集団に食らいつかせあとは棄権させる方法を使っていると聞いたことがある。後ろでマイペースで走るよりこのほうが力がつくんだとも聞いた。この関門毎に結構な数の選手が棄権するのはこの後も頻繁に目撃することになった。この10kmを越えたあたりがこのレースで一番気持ちの良かった地点である。周りは桜の木に囲まれ、独りで走っている私に沿道の人は「ファイト」とかの応援をくれる。沿道は日本の農村地帯を走っている錯覚さえある。ハングルの看板を除けば。
 15kmを53'22"で通過し益山市の南端をかすめ金堤市に入る。20kmを1:11'10",中間点は一大お花見ゾーンのようなところで更に賑わい増していた1:15'00でその地点を通過。中間点だったかで役員が「マスターズで1番」と教えてくれた。残り半分このまま持ってくれればいいなと心の中で念じた。実は2月は300km台、3月も400km台と走り込みが充分でなく、レース1週間前に行った10000mでも最後はキレがなく35分台に終わっていた不安もあったからだ。幸い登録選手で落ちてきた選手を拾いながら30kmまで18'21,18'21と同じペースで刻むが明らかに疲労していた。この前から空腹感を感じていた。ドリンクは水しかなく、暑さから少し多めに摂っていた。糖分が欲しいなと思っていたところで、チョコレートがあった。インシュリンショックで急に糖分を摂ると逆に空腹感を招きかねないと聞いていたので、チョコレートは避けていたのが、欲望に負けてしまいついチョコレートに手が出てしまった。甘くておいしいとひとときの満足。しかしこの満足感も長続きはせず、全州市内に入ると大きな歓迎の門が登場する。ここでは若干の登り勾配となっているのだが、ここでマスターズ部門の選手1人に抜かれた。あとは1人に抜かれると容赦なく女子選手に抜かれた。呉美子選手、地元益山市役所で第1回大会の優勝者でもあった。35kmは2:07'49"と19'57"を要していた。これなら抜かれるはずだ。35kmからはやや下りで昨日見たワールドカップ競技場やアパート団地を通る。応援もコース随一だが何せ力が出ない。更に1人に抜かれる。40kmは2:28'29秒。ついに20'40"まで落ちる。ここでは下りに助けられてのこのタイム。男子トップはおろか呉選手も見えない。40kmを過ぎると空腹感は酷さを増して歩きたい衝動にかられる。競技場はぐるりと回ってゴールに向かうため見えても見えても辿りつけないような感じであったが2:38'29"でマスターズ部門4位。天国の30km,地獄の12kmはこれで終了した。レース後はスポーツドリンクで給水と思ったが、な、なんと韓国のHITEビールが競技場出口で待っていた。しかも無料。綺麗なコンパニオンがなみなみと注いでくれたビールを一気に飲み干し「生き返った!」。しかし疲労困憊後のビールの代償はベンチでゴロ寝するはめになった。
 少し休んでから表彰式が始まった。ちなみに登録の部の優勝者はケニアのカンディエ(2002北海道マラソン優勝者)で2:10'23"だった。マスターズ部門は確か2:33分台の優勝記録だったと思う。4位で表彰を受けた。賞金は700,000ウォン。旅行費用との収支は差引0だろうか。ちなみに5位の人は北九州の方で韓国にはちょくちょく遠征にくるとのこと。高速船で3時間だから国内感覚で来れるだけうらやましい。
 
 5 レース後
 お楽しみのアフター。ホテルに帰り着替え、露店を冷やかしながら昨日のうちに目を付けておいたビビンバ屋に入る。また飽きもせずにビビンバである。さっき呑んだばかりのHITEビールを注文しながら数種類のサービスのおかずとビビンバを食べるが、ここでも量が多いのですぐ満腹になってしまった。ホテルへの帰途、屋台でスンデを買う。スンデは中に春さめを入れた腸詰めである。ちょうどソーセージの中が春さめだと思えばよい淡泊な味で塩をまぶして食べるとお酒にすごく合う一品である。コンビニでビールを買い足し、また部屋でも呑んでしまった。
 翌日、レースのあと内臓が弱っているのに暴飲暴食がたたり、胃は脚以上にお疲れ気味だった。ホテルをチェックインしたあとはいろいろ便宜を図ってもらった事務局に挨拶に行き「また来年も来てください」との言葉をかけられ、帰りはソウルへ戻らず釜山経由で日本に帰ってきた。このレース以後韓国のレースには出ていない。3月にソウルの街のド真ん中で開かれるソウル東亜国際マラソンなんかにも出てみたいが、インターネットで申し込みを開始しても、すぐ満杯になってしまうようでツアーで参加しない限り難しいかもしれない。マラソンオンラインで地道に情報収集しようかな。

群山行き列車 スタート地点 マラソンコース ビビンバ
群山行きの汽車 スタート地点 桜並木が延々と ビビンバ

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