2003サロマ湖100kmウルトラマラソン 6月29日(日)
私が初めてウルトラに初めて挑戦すると口に出したのはとある罰ゲーム的要素から始まる。話は2001年の福岡国際マラソンに遡る。当時私は地区陸協のマラソン記録を持っており(2時間25分29秒)、同大会に出場することにした。ところが当時4年生のK選手もハーフで出場資格を得ており、2人で福岡に遠征することになった。茶目っ気たっぷりに「Kよ、もし初マラソンで地区陸協の記録を破ったら、俺は100kmレース走るよ」と冗談を言っていた。結果は彼は初マラソンで堂々の2時間22分台。それ以来「100kmの話どうなりましたか?」と言われ続けた。
そして1年が過ぎ、2003年のびわ湖マラソンで2時間30分を久々に切り、2005年まで東京とびわ湖の参加資格が延長できたので、2003年はのんびり調整ができること。それに初夏の目標とする大会が財政難による中止。そして極めつけは夏の一大イベント北海道マラソンと全日本大学駅伝の予選会を兼ねた学生駅伝が同一日になっていた。例年なら北海道マラソン参加ということになるが、今年の母校は粒ぞろいで15年ぶりの優勝も期待できるのでそのシーンにはぜひ立ち会いたいと春から決めていたため、あっさり北海道マラソンの出場は見送った。こうなると夏の柱になるレースがほしい。それがサロマ湖100kmマラソンだった。
作戦ははキロ4分でいけるところまで行きそこから粘ること。申込み時の予想タイムは8時間と書いておいた。でも自分の心の中では地区陸協記録の7時間51分と北海道記録7時間11分、そして6時間台とそれぞれのペースを頭に入れて練習してきたつもりだった。でも一度に最長の距離は53km今大会の半分の距離しか走ってないことが気掛かり、もともとゆっくり長く走る練習は好きなほうではなく、途中でペースを上げて苦しくなってハイ終了といった場面も多々あったので途中棄権も頭の中をよぎっていた。
大会当日は2時頃、目覚ましが鳴る前に起床、車中泊は思ったより快適だったが、大会を走る緊張感から夜中に何回か目が覚めた。熟睡した感覚はないが、寝不足感はない。むしろ興奮状態ですぐに起きて散歩に出掛け、すぐ朝食タイム。早朝だからとおにぎり3個とマカロニサラダと前日の受付で貰ったエネルギーゼリーを用意していたが、まだまだ入りそうな旺盛な食欲。もう少し買っておけば良かったかなと少し後悔する。あとはエイドに期待しよう。
軽く体操と早歩きとジョックが混じったようなアップをしてスタート時間の10分前にはラインについた。天候は霧雨が降り、じっとしてては寒いくらい、たぶん気温は10度ないかもしれない。服装は長袖シャツを胸のあたりでカットした手製のシャツの下にユニフォーム、そして手袋、坐骨神経痛も心配なので用心のためハーフタイツの格好である。スタート地点では三重から来たsaiさんとしばし情報交換。大会前に肋骨の怪我もありちょっと心配との様子。
人数が多い割には、フルやハーフと違い雰囲気がのんびりした感じでこれから試練に立ち向かうそれぞれの思いがそんな雰囲気にさせているのかな。カウントダウンの中、5時ちょうどに号砲一発、長い長いレースが開始された。
まずは体育館の周囲の市街地をほぼ一周してから畑作地帯をサロマ湖に向けて走る。最初の1キロは3分56秒。朝練習で4分を切って走るのはえらい辛いことだけど、レースの時はこのペースでも相当落としているなと感じるほど楽な入りだった。それでももう前には6名のほどの集団が出来上がっている。集団につこうかつかないか迷ったけど、集団でいくと引っ張られて楽な反面、ウルトラ初心者ゆえ一度集団から離れるとズルズル落ちそうな予感がしたのでマイペース走に徹することにした。これで雄大な自然で自分の世界に浸れそう(^_^)。集団から離れてポツポツと単独走の選手がいるが、その中に見覚えのある埼玉のH選手がいた。彼は今年の洞爺湖マラソンの優勝者であり、2週間程度のレース間隔でもきっちり2時間30分を切っているタフな選手。てっきり集団についていくと思ったら彼も単独走をしていた。これは願ってもないことなので10m程度の間隔を開けてついていくことにした。5kmの通過は20'48"で予定より30秒ほど遅かったが、ウルトラ経験の先輩諸氏の話を聞くと「入りは遅すぎると感じるほうがいい」というのを思い出し、体が温まったら少し上げるかなと自分に言い聞かせた。霧雨はサロマ湖に入る頃にはほとんど止んでいた。沿道の人が「湧別の街のほうじゃ雨だってさ」という声が聞こえる。どうやらこっちは全く降っていないらしい。砂州にそって細長い集落をくねくね進み10kmは41'13"で若干上がってきている。早朝にもかかわらず元気なボランティアや地元の人の応援の声もすがすがしい。竜宮台の折り返しで自分の順位を確認すると9番目だった。前のほうの集団は元気満々という感じでこれからどんどん離されそう。目標のH選手とも序盤から比べるとその差は開きつつあった。自分も折り返すとそこからはランナーの波、波。圧倒されるランナーの数である。「頑張れ」と声をかけられるとなんか力が湧いてくる。しんいちさんとも声を掛け合い元気を頂く(^_^)。
ランナーの波が途切れた頃に20km地点があった。1:21'33"でペースは上昇傾向。この5kmの通過も1930"に急上昇していた。どうやら風向きも追い風になっているようで無理に上げた感覚はなく、一度は50m以上離されたH選手にも追いつきつつあった。サロマ湖岸を離れ再び湧別町内へと足を進めていたところ大きなひまわりが回っているように見えた。そちらに気を取られてふとそれを持った人はケロさんで声をかけてもらった。あのひまわりにどんなパワーがあるのか、ここからH選手とのここからほぼ並走状態になることができた。湧別に向かうとまた霧雨状態に逆戻りである。せっかく温まりかけた体も冷えそうだ。25kmのエイドではバナナもあって腹八分目のスタートだったこともあり早速いただいた。ナイフできれいにカットされており、しかもたまたま取ったものは食べやすいサイズに中身もカットされていた。その心遣いがうれしい。なお給水給食はほぼ全エイドで摂った。ウルトラレースでは後半に胃がやられて食べ物を受け付けなくなると聞いていたので、前半から食べられるだけ食べようと思っていた。30kmは2:00'54"で通過。この10kmも5キロ19分台をキープである。H選手とともにこのあたりで1人の選手をとらえる。35kmからは国道238号に合流する。てっきりコーンか何かでランナーと車両が区画されているかなと思ったら普通に左側の路肩を走るようである。ここでも脚のほうは快調であった。フルならこの辺りで重い脚を引きづってスタミナ切れを闘いながら一歩一歩ゴールに進むところだが、今はガソリン満タンで脚もまだ充分残っている。40kmは2:41'36"、フルは2:50'20”くらいで通過した。よくR誌の写真に出ているフルの地点月見ヶ浜はここだったんだなと感慨深い。沿道からトップ集団とは6分差と伝えられた。どおりで前は全く見えないし、このまま抜かれることはあっても抜くことは難しい距離なのかなと思うと少々悲しい。幸いまだH選手との並走は続いており、まだまだ気を抜けないのだが。
フル地点を越えるとだんだんアップダウンが激しくなってきた。コースは湧別町から佐呂間町へと変わってきたのである。50km手前で今回初めてのトイレタイム。前日から水分(お酒)を控えただけあってここまで我慢することができた。50kmの中間点は3:23'25"で通過。峠道とトイレタイムを差し引いてもペースダウンした感覚はまだない。で、50km地点はひとつの思いがあった。実はソンス妻は一度サロマ湖100kmマラソンに出場したことがあり(その時は某元野球選手の伴走をするという企画もの)、その時某元野球選手とともにリタイアした地点が50km地点だった。だから例え途中棄権するにしても50kmまでは行きたいなと考えていた。ここを通過すればウルトラの挑戦に関していえば妻を越えたことになる。
50kmから更に坂を下るとレスト地点のホテル緑館が見えてきた。漁村街の中にあって煉瓦色の近代的な建物はとても目立つ。自分はその時まだ緑館がどんな建物かはわからなかったが 、距離や外見からいって間違いないとの確信があった。ここでの楽しみはやはりエイド。いままでバナナやゼリーばかりを口にしていたのでおにぎりが食べたかった。一応荷物をこの地点に預けたのだが、靴もウェアも取り替える気はなく、ぜっかく出してきてくれた補助員の人には手で×の合図をしてお断りした。おにぎりは2個とエネルギーゼリーをいただき早々にレストステーションを後にする。ここまでいいリズムで来ていたのでその流れは壊したくなかったし、自分の性格からして一度休めば休み癖がつきそうな予感がしたため。H選手の並走はここで終わった。調子があまり良くなかったようで、ここで少しエイドを摂ったあとほどなく棄権したとのことであった。並走の友を失い良い意味での緊張の糸も解けてきたのかもしれない60kmは4:06'13"少し脚が疲れてきたかなと感じ始めてきた。ここまでのアップダウンがボディブローのようにじわじわ効いてきたようだ。そしてもうこの距離は自分では未知の距離であるからいつばてても不思議でない。60km付近で前から落ちてきたランナーを抜く。この時点では7番まで上がったことになる。
62kmくらいからまたサロマ湖沿岸を走る。サロマンブルーの澄んだ湖面の色というが、この日は少々風もあり波立っていた。湖面も今日はどちらかというとサロマンブラウンといった感じか?ここでいつもお世話になっている旭川のSさんの応援を受けながらサロマ湖をバックに写真を撮ってもらい少々元気回復する。
65kmは木立に覆われた森の中を通過する。そういえばサロマのコースは暑い日差しの中を走るがここだけは木々が覆われてさわやかとR誌でも読んだことがあったが今日に限ってはその用はなさないが、木々の香りがほんのりする。農漁村のにおいがそれまでを占めていただけにどことなく新鮮な感じである。木々を抜けると、そこは浜佐呂間だった。ここは途中でも比較的大きな集落のようで私設エイドも出ていた。70km手前でペースダウンを伴う疲労を感じた。走る前にウルトラランナーの先輩に70kmの壁を聞いていただけについに来たかといった感じである。おまけに普段は痛くなったことがない左ふくらはぎの下に痛みを感じてきていた。浜佐呂間を抜けるあたりがちょうど70km地点で4:49'57"で通過。この10kmは43分台半ばに落ちてきた。このあたりから1km毎の表示が遠く感じられてくる。再びサロマ湖を左手に見ながら長い直線を走って行く。前に一人選手がいるのが見えるのだが、あまり縮まる感じがしない。また遙か先に鶴雅リゾートの白と緑の建物が見えてくる。ここはサロマ名物のおしるこが用意されているポイントである。看板にも「おしるこまで2km」とかの表示があり、これがランナーを元気づけてくれるのかな?自分は甘い物が苦手なのでそれほど元気にならず、一歩一歩脚を前に進めるのみ。「ラーメンまで2km」と書いてくれたほうが元気が出るのにと、一人の世界に浸りながらエイド到着。もちろんおしるこはパスしてしまい、後に「もったいない」との妻の弁。
エイドを過ぎ右手にカーブを曲がり、サイクリングロードをひた走りようやく前の選手を捉える。福岡のK選手だった。ウルトラマラソンの経験も豊富でレース後にいろいろ話を聞かせてもらった。以前はフルを2時間31分台で通過したとか、ウルトラはなかなか疲労はとれないのでレース終了後1ヶ月は無理をしないこととか、話を聞くうちに新しい世界が見えたようでなんとも新鮮だった。
さて話をまたレースに戻すと80km手前のエイドでは完全に立ち止まって補給した。さきほどの脚の痛みも去ることながら集中力も少し散漫になってきた感覚が出てきた。エイドから100mほどしてワッカに入るが、そこではとんでもない坂が待ちかまえていた。コースを知らない自分は思わず常呂町方面の右手に曲がりそうになったほど。疲れた脚にむち打って急な坂に挑む。登りの距離はさほどでないが、勾配はこのコース随一といったところか。坂の途中で80km地点となる。5:35'49"と45分台突入で6時間台のゴールはほぼ絶望となる。あとは北海道最高記録を目標に走るのみ。残り20kmを1時間35分くらいでいけばいいのだが、これから先どれだけペースダウンをするか見当がつかない。折り返しまでは追い風になっているのでここで貯金をつくり終盤のペースダウンに備えたい。幸い頭の中は残りの距離からどれだけのペースでいけば良いのかを計算する余地はあったようである。
入口の急坂だけでなく、その後もアップダウンは続いた。すでに80kmを走ってきた体には、さすがにこのアップダウンは堪える。「嘘でしょう」と心の中で呟きながら、登っては下り、下っては登る。そうしていくうちにワッカ入口の森を抜けると急に視界が開けてきた。右にオホーツク海、左にサロマ湖。足下には花々。曇っていてその風景はちょっとモノトーンに感じるが、自分の心の中も完全にモノトーン。脚の痛みはあるのもののあったなりに走れるのですっかり惰性のペースで前に進んでいく。これがウルトラなんだなと思いながら。自分は走る前にはたぶん出場したことを後悔する場面がきっと来ると思っていたけど、不思議に後悔することはほとんどなかったが、終盤は痛いとか苦しいという場面があったり、それが麻痺したりの繰り返しだった。
85kmを過ぎるとトップの選手が折り返してきた。ほとんど独走で足取りもしっかりしている。等間隔にその後も選手が続く、自分はどうやら6番手を走っているようだ。視界が開けるあたりからアップダウンは収まっており、風向きも追い風に変わっているのか85〜90kmは5キロ22分台に戻してきた。
荒涼さを感じるワッカであるが、ボランティアの学生の応援には本当に勇気づけられる。遠くから「頑張れ、もう少し」と声がかかる。給水だって道の真ん中の取りやすい場所で両手に水とスポーツドリンクどちらでも取れるように配慮してくれる。折り返しを過ぎるとあとはゴールまで一直線。来た道をそのまま戻ればよい。
ペースは再び向かい風になるのでダウンした感じは否めない。そして折り返しに向かうランナーが今度は妙に速く感じる。今にもペースアップして次々と抜かれるのではないかとの錯覚してしまう。そして女子のトップともすれ違う。全体でも10番手くらいにつけているのではないだろうか。もしかて女子にも抜かれるのではと。
とはいっても気になるのは順位より記録。90kmは6:21'32"で7:11'23"の北海道最高記録までは残り10kmを49'51"で走破しなければならないが痙攣などのアクシデントが起きない限りなんとかなりそう。ほぼキロ4分40秒くらいでいけば余裕を残してゴールできそう。残り4km地点くらいで石川のしんちゃんに「ソンスさんですか?」と声をかけてもらった。私自身初対面なのでびっくりしたが、「そうで〜す」と返してエールの交換。ウルトラをいろいろ教えて貰ったOBの先輩にもこの辺りですれ違う。帰りのワッカの出口の急なアップダウンは痙攣を起こさぬよう安全運転で走った。そこを過ぎるとゴールまであと2km。はっきりゴールのイメージも湧いてきた。そうなると不思議に脚取りも軽くなったような気がする。常呂のスポーツセンター横の照明灯がだんだん大きくなってゴール付近の放送もはっきり聞こえてきた。残りもう少し、道路を右に折れるとその100m位先にはゴールのゲートがはっきり見えた。帽子をとってゴールへ最後の力を振り絞ると審判席から監督が「よくやった」との声が、時計を見ると7時間8分を越えそうだった。
正式記録は7時間8分2秒。全体では6位、登録の部で4位、北海道最高記録を3分21秒更新できた。ゴールしてすぐに監督の元に向かい祝福の握手をすると涙がこみ上げてきた。もう17年もお世話になっている監督の目の前で完走しかも北海道最高記録で走れたことで恩返しできたので感無量だった。
ゴールしてからも胃腸はいたって軽快だった。すぐ念願のラーメンを食べ、サブ9でゴールしたsaiさんからはノンアルコールビールを頂戴した。おかげで表彰を待つ間にぐっすり寝てしまうほど。ただし脚のほうはジンジンして、固い体はさらに固くなり落とした硬貨も拾えない状態だった。ワッカですれ違ったしんちゃんもゴールで再会した。来週は札幌国際ハーフに挑戦するとのこと。凄すぎる。
表彰を終えて帰ろうとする頃に同じ旭川のひろぴょんさんが念願の完走を果たし満足感あふれる顔で帰ってきた。これから夜行列車で旭川に帰るとのこと。これも凄すぎる。
で、ソンスは帰りのマラソンバスに乗ってスタート地点に戻り、自家用車で数十キロ離れた公共温泉に向かった。和室だったのでふとんに寝る時が一苦労。柔道の受け身ととって倒れ込まないと横になることすらできない。何かに掴まらないと立ち上がることもできないし、座ることもできない。
ウルトラの後ってこうなんだねとこれまた感動しながらビール850mlでいい気分になって長い一日は終わったのだった。
5km 20’48 |
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早朝からスタート設営作業が始まります |