壊れる

The Crack-Up

スコット・フィッツジェラルド Francis Scott Fitzgerald

石波杏訳




 生きるとは、壊れていくことだ。言うまでもない。
 そして、人生を決定的な崩壊に導くのは、分かりやすい打撃ではない。分かりやすい打撃というのは、折に触れて思い出しては文句を言いたくなるような打撃、弱気になった時に友人に愚痴りたくなるような打撃、つまり、不意に外からやってくる大きな打撃、あるいは、不意に外からやってくるように見える打撃、そういうもののことだ。
 それとは全く別の種類の打撃がある。内からの打撃だ。それは、手遅れになるまで気付かないような打撃であり、気付いたときには、「自分はもうまともな人間には決して戻れないのだ」と考えざるをえないような打撃である。
 二種類の打撃のうち、前者なら、自分がどのくらいの傷を負ったかがすぐに分かる。だが後者による痛手はそうではない。いったい自分がいつ傷ついたのかさえ分からないままに、自分が侵食されていき、あるとき突然に、それが深刻な致命傷として姿を現す。

 私の短い話を始める前に、一般論をひとつ述べておきたい。――優れた知性とは、二つの相反する考えを同時に信じることができ、しかも、知性としての働きを失わないものである。例えば、未来に希望の無いことを知っていながら、明るい未来を切り開こうと決意するように。そういう思想は、大人になりたての私にフィットした。当時の私は、起こりそうもない事、信じられない事、ありえない事に、直面していたからだ。
 当時の私にとって人生とは、何か一つでも美点がある人間ならば、うまくやっていけるようなものだった。人生とは、知性と努力によって、あるいは知性と努力の適度なミックスによって、簡単に制御できるものだったのだ。
 ベストセラー作家というのは、夢のような仕事に思えた。映画スターほど有名になることはまず無いが、きっと、映画スターより長く名前が残る。政治家や宗教家のようなカリスマにはなれないが、間違いなく、彼らより自由だ。もちろん、どんなに良い仕事でも必ず不満は出てくる、それは分かっていたが、私には、他の選択肢は浮かばなかった。

 私の二〇代を追いかけるように、二〇年代も過ぎて行った。若い頃の私の悲しみと言えば、フットボールで活躍できるような体格や技術が手に入らなかったこと、戦争中に海外派兵されなかったこと、その二つだったが、そんな悲しみは全て、空想という白日夢の中で解決されていった。空想は私を英雄にし、不安な夜にも私を安らかな眠りに導いた。
 人生で大きな問題にぶつかったとしても、時が経つうちに自然とうまくいくだろう、私にはそう思えた。もし問題の解決が困難だったとしても、それならそれで、疲れてしまって俗世間的な事柄に悩む余裕がなくなるので、むしろありがたいと思えたのだ。

 一〇年前の私にとって、私の人生は、ほとんど私だけのものだった。
 私は、相反する二つの感覚のバランスを、保ち続けなければならなかった。努力しなければという感覚と、もがいても意味が無いという感覚。失敗するという確信と、「成功」を目指す決意。――さらには、常にまとわりついて私の足を引っぱる過去と、光り輝いて私を導く未来、その矛盾。
 家庭の問題、仕事の問題、人間関係の問題、そういうありきたりの不都合がふりかかる中でも、バランスを保つことができたとしたら、自我は矢のように飛び続けることができたのだろう。重力に引かれて地上に落ちるまでは何にも邪魔されず、虚無から虚無へと飛ぶ矢のように。

 そういう生活は、私の人生の一七年を――うち一年はあえてだらだら過ごしたのだが――、一七年を占めた。雑多な仕事と明日への希望とともに、私は生きた。苦しい生活ではあったが、「四十九歳までは何とかなる」、私はそう唱えていた。「何とか持ちこたえられる。それ以上を望むのは贅沢だろう。こんなふうに生きてきたのだから」。

 ――そして、四十九歳まであと一〇年というところで、不意に気付いた。私は、既に壊れてしまっていたのだ。



 壊れる、と言っても色々な壊れ方がある。――頭が壊れると、自分のことを決める権利が他人のものになる。体が壊れると、真っ白な病室に身を委ねるしかなくなる。神経が壊れることもある。ウィリアム・シーブルックの妙な著書には、彼が生活保護の受給者になった経緯について書かれている。映画の結末でも語るかのように、誇らし気な調子だ。彼がアル中になり、アル中から抜け出せなくなったのは、彼の神経が駄目になったからだった。この私はと言えば、酒に溺れてなどいなかった。半年間、グラス一杯のビールも味わっていなかったのだ。しかし、私の神経の反応は駄目になってしまった。訳も無く怒り、そして、訳も無く泣いた。

 人生は様々に打撃を受ける、という話に戻ろう。自分が壊れ始めていることに気付くのと、打撃を受けるのとは、同時ではない。自覚は遅れて来るのだ。

 それほど昔の話ではない。私は、著名な医者の診察室で、重大な宣告を受けた。しかし、わりと落ち着いていたように記憶している。そして私は、その町での生活を続けたのだった。それほど思い悩むこともなく、やり残したことがどれほどあるかを考えることもなく、抱えている多くのものがどうなってしまうのか案じることもなかった。小説の登場人物とは大違いだった。私はきちんと保険に入っていたし、どちらにしても、自分の手に残ったものに対して特別な興味は湧かなかった。自分の才能に対してさえも。

 しかし突然に、私ははっきりと悟った。独りにならなければならない、と。もう誰にも会いたくないと思った。人生の中で、私はたくさんの人と会ってきた。出会いの数は人並みだろう。ただ私は、出会った人々に――それがどんな階層の人であっても――、強く共感し、彼を自分自身と同一視してしまう傾向があった。彼の思想を私の思想とし、彼の運命を私の運命と感じた。この点に関しては、人並みではなかった。私はいつも人を救い、人に救われていた。ある日には、夜明けから昼までの間に、ワーテルローの戦いでのウェリントン公の感情の動きを全て経験してしまった。私の世界には、理解不能な敵軍か、深い絆で結ばれた友軍しかいなかったのだ。

 けれども私は、絶対的な孤独を求めた。そのために、日々の雑事から隔絶された環境を整えたのである。

 それは不幸な時間ではなかった。街を出れば、人は少ない。私は疲れきっていた。寝転んで日々を楽しみ、時には、眠ったりうとうとしたりで二十時間も過ごした。その合間には、断固として何も考えないよう努めた。考える代わりに、私はリストを作った。リストを何百枚も作って、何百枚も破り捨てるのだ。騎兵隊長のリスト。サッカー選手のリスト。都市のリスト。ヒット曲のリスト、投手のリスト、楽しい時間の過ごし方のリスト、趣味のリスト、これまでに住んだ家のリスト。陸軍を辞めてから何着のスーツを買い、何足の靴を買ったか(ソレントで買ったスーツは縮んでしまったので数えない。着ないままでずっと持ち歩いていた礼装用のシャツとカラーと靴も、靴は湿気で駄目になったし、シャツとカラーは糊が変質して黄ばんでしまったので、やはり数えない)。さらに、好きになった女性のリスト。人間性でも能力でも私より劣っている人間達から、馬鹿にされた経験のリスト。

 ――と、驚くべきことに、私は治った。突然に、だ。

 ――そして「治った」と知った途端に、古い皿のように、私は砕け散った。

 それが、この物語の本当の結末だ。その結末にたどりついた私がなしたことについては、「時の子宮」から産み落とされるのを待つことにしたい。言えるのはただ、その瞬間から一時間あまり、私は独りで枕にしがみついていたということだ。私は初めて気付いた。それまでの二年間、私の人生は、持ち合わせていない財産を元にして営まれていたのだということ、そのために、自分自身の心も体も全て抵当に入れていたのだ、ということに。そのお返しに私が手に入れた人生は、なんとちっぽけなものだろう。かつては、自分の行く道に誇りを持ち、確固たる自立に自信を持っていたのに。

 私は初めて気付いた。二年の間、私は、それまで自分が愛していたもの全てを遠ざけていた。何かを守ろうとしていたのだ。――心の中の静けさを? そうかもしれないし、そうでないかもしれない。そして私にとっては、朝の歯磨きから和やかな夕食の時間まで、日常生活の全てが、重荷になっていた。誰かを、あるいは何事かを、愛することはできなくなり、ただぎこちなく愛しているふりを続けるしかなかったのだ。誰よりも親しい人たちへの愛でさえ、愛というより「愛そうとする努力」にすぎないものになっていた。まして、編集者とか、タバコ屋の店員とか、知人の子のような表面的なつきあいの人々に関しては、ずっと義務感でつきあっているだけだった。
 その頃の私は、何にでもイライラするようになっていた。ラジオの音、雑誌の広告、鉄道がきいきい鳴る音、田舎の死んだような静けさ…。優しい人間のことは馬鹿にした。厳しい人間には(心の中で)反抗した。眠れないという理由で夜を嫌い、やがて夜になるという理由で昼を嫌った。私は心臓を下にして眠った。それでほんの少しでも心臓を疲労させられれば、呪われた悪夢の時を早く迎えることが出来る。そうすればカタルシスのように、新しくより良い明日に出会える。私にはそう思えた。

 私にも、正視できる場所があり、正視できる人々がいた。私は中西部の人間らしく、人種的偏見というものをほとんど持たなかった。いつも、北欧の女性に密かな憧れを抱いていたものだ。セントポールでテラスに座っていた、北欧系の美しい金髪の女性たちは、社交界という場所へ出て行くほどの経済力は無く、しかし田舎娘というにはあまりに上品で、とはいえ田舎を出て陽の目を見るには未熟すぎる人たちだった。私は彼女たちの美しい髪を、その未知の輝きを一目でも見たくて、何ブロックも歩き回ったものだった。ありきたりな、街の思い出ばなしだ。
 それはともかく、最近の私は、他人が視界に入ること自体に耐えられなくなってしまった。ケルト人もイングランド人も見たくない。政治家も、よそ者も、ヴァージニア州の者も、黒人も(薄い黒でも濃い黒でも)、猟師も、小売業者も、仲卸業者も、作家たちも(作家は厄介ごとを文章にして残すという最高に厄介な連中なので慎重に避けた)――とにかく全ての集団と、何らかの集団に属するほぼ全ての人間とを避けた。

 何かにすがろうとして、医者たちや、十三歳くらいまでの女の子や、だいたい八歳以上の育ちのいい男の子などとは、好んで付き合った。そういうごく狭い範囲の人たちと一緒の時は、穏やかな幸せを感じることができた。挙げ忘れたが、私は老人も好きだ。七十歳以上が理想だが、いい具合に枯れた外見なら六十歳以上でも良い。スクリーンで見るキャサリン・ヘプバーンの顔も好きだ。彼女は生意気だと言われているが、そんなことは関係ない。それとミリアム・ホプキンスの顔もいい。古い友人たちについても、年に一度しか会わないくらい疎遠で、それでも彼らのことを思い出せるほど親密である限り、私は彼らを好んだ。

 どれもこれも、非人間的で不健康な話だろう。そう、これこそ、崩壊の予兆なのだ。

 まともな生き方ではない。だから当然、あちこちさまよって、色々な人から非難されることになった。非難したうちの一人は、この上なく生き生きとした女性だった。彼女と比べれば他の人間など死んでいるも同然だった。彼女は、「ヨブを慰める」というつまらない役割を引き受けてもなお、元気に満ちていた。もう私の話は終わりなのだけれど、ある種の「追伸」として、私と彼女との会話を付け加えておきたい。

「そんなに悩んでいるくらいなら、ねえ」彼女は言った。(彼女はいつも「ねえ」と言う。話しながら考えているからだ。実によく考えていた。)それから彼女は言った。「ねえ。壊れたのが、あなた自身じゃないと考えたら? グランドキャニオンにひびが入ったとでも思えばいいのよ」

「壊れたのはぼく自身だ」私は堂々と答えた。

「ねえ! 世界なんてあなたの見方次第、あなたがどう考えるか次第なのよ。望みどおり、大きくも小さくもできる。今のあなたは、自分で自分をちっぽけな存在にしてしまっているの。私だったら、そうね、私が壊れたら、道連れに世界も壊してやるでしょうね。ねえ! 世界はあなたの思っているようにしか存在しないのよ。だったら、壊れたのはあなたじゃないほうがいいじゃない。グランドキャニオンが崩れただけよ!」

「君は、スピノザを信じ込んでるのかい?

「スピノザなんか知らないわ。知ってるのは…」彼女は、自分の苦労話を始めた。聞いた限りでは、それは私以上の苦しみだったようだ。そして彼女は、自分がいかに苦悩と向き合い、乗り越え、打ち負かしてきたかを語った。

 その話には感じるところもあったけれど、いつもながらすぐには言葉がまとまらず、頭には別の考えが浮かんだ。人間が生まれつき持っている色々な力の中でも、気力というものは他人に分け与えられない、という考えだ。関税なしで物を輸入するように、自分の中にどんどんエネルギーが増えていく時、人は他人にそれを分け与えようとするものだが、その試みは必ず失敗する。さらに、比喩的な言い方を続けるなら、気力を「受け取る」ことも決してできない。持っているか、持っていないかなのだ。健康とか、茶色の眼とか、名誉とか、バリトンの声とかと同様である。その気力を、私でも消化しやすいようにちょっと包んでおすそ分けしてくれないか、と彼女に頼むことは簡単だが、それで私が元気になることはない。悲劇の主人公ぶって物乞いのカップを持ち、何千時間待っていても、私が気力を得られるわけではないのだ。私にできるのは、割れた陶器を扱うように大切に自分を抱え、彼女の部屋から去って、苦しみの世界へと消えていくことだけだった。苦しみの世界で、その世界にある材料だけで、自分の居場所を作るのだ。彼女の部屋を後にした私が呟いたのは、次の一節である。

「あなたがたは、地の塩である。しかし、もし塩が味を失ったら、何によってその味が取りもどされようか。」――マタイ伝・五章一三節





●訳者補遺

 『マタイによる福音書』五章一三節では、「あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。」の後に、「もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。」と続く。

 原著者と向き合って丁寧に訳したものをご希望の方には、拙訳よりも、陰陽師氏訳「崩壊」 とか枯葉氏訳「崩壊」とかをおすすめします。



底本: F. Scott Fitzgerald "The Crack-Up" in Esquire (1936).
底本の言語:英語
2013年08月10日訳了
2014年01月17日最終更新

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