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独り言

土地と言うと、電気や機械と比べると簡単なことのように思える。しかし、実際はそうではない。電気や機械には個人の権利意識は入らないのだが、土地については土地そのものは無言でもその権利者からはさまざまな難問奇問を持ちかけられる。電気や機械と違い、人間は百人百色である。

役所発注の事業における地権者との問題は、地権者対事業主体である。これに対して、民間企業が事業主体の場合には、事業主体と地権者との調整はもちろん、それ以上の問題がある。それは地権者どうし、しかも家族同士あるいは兄弟同士の問題が出てくる。

これまでの例でいえば、未相続の土地があり、その被相続には子供が5人いた。その人たち(すでに中年の年齢なのだが)はいまだに子供のころの兄弟同士の不仲にこだわり、反対のための反対で書面に押印しないということもあった。隣人同士よりも身内の不仲は大変である。

技術上の可能不可能はある程度予想はつくし、隣人同士の不仲についても、境界確認の立会いの時にでも感じ取ることができる。しかし前述のような不仲は予想しにくい。

また、県内のある地域に行くと、代理人と称する人が出てくる場合がある。いわゆる反社会的団体に属する人達であるが、これなどは前述と比べると問題ははるかに小さい。

施工についても、官製の場合と民間事業では違う。官製の場合は明確な基準がありその基準の許容範囲ならとやかく言われるものではない。これが民間の場合となると、省略できるものは省略すべしということになる。だからと言って強度を下げるような事はない。発注者側の中間検査といっても、工事の手を休めると言う事は無い。数値については、官製の場合と違い、数値の誤差は即収益の差となる。たとえば道路を作る場合、側溝淵が境界となり、余裕幅は取らない。それは後々その宅地まわりにブロックを積む場合に隙間がでるからである。同じような理由から、擁壁は自分の土地のほうに2センチ後退して作ったりしない。その隣接者が土を場合に、その2センチの隙間の処理に困るからである。道路は、設計値より1ミリたりとも狭くてはならないが、大きくても1センチぐらいで2センチはダメなどという緻密さもある。道路は売れない。売れるのは道路以外の土地であるということからである。


測量技術も進歩し、設計についても大幅な自動化が為されてきたが、人間の感情だけははるか以前の昔のままなのはおかしいやら安心するやら。もしかしたら、人間の内面そのものは原始時代から一向に進歩していないのかもしれない。先人たちはこのことについて名言を残している。
「過去の歴史を振り返ってわかることは、人類は歴史から何も学ばないという事実である。」
かくして本日も自爆テロのニュースが流れる。