小杉放菴


「偶座林泉」 52×43 東美鑑 共箱 紙本

「西湖」 46×51 共箱 紙本

明治14年(1881年)   栃木県日光市に六人兄弟の末っ子として生まれる。
明治30年         師五百城文哉に無断で上京するこの頃「未醒」と号す。
明治33年         日光・横浜などで外国人相手に水彩画などを売る。
明治37年         日露戦争に従軍画家として現地に赴く。
明治41年         文展に「涅槃会」が初入選。
明治45年         横山大観と出会い「絵画自由研究所」設立の計画を発表
大正2年          フランスを中心にイタリア・スペイン・イギリス・ドイツ・ロシア等を旅行する。
大正4年          横山大観・今村紫紅・下村観山と)四人で美術院の資金を得るため東海道を下り京都まで写生旅行をする。
大正11年         春陽会創設に参加会員は梅原龍三郎・岸田劉生・中川一政等
昭和4年          小堀鞆音・荒井寛方・小杉未醒らの主唱で栃木県出身在京日本画有志による「華厳舎」を組織
                ほかに石川寒厳・松本姿水・大貫鉄心等
昭和12年         帝国芸術院会員となる
昭和19年         芸術院会員陸軍奉納展に油彩画「細女の舞」他2点を出品。
昭和25年         第三回白寿会展に参加「こぶとり」「金太郎」を出品。
昭和30年         横山大観・川合玉堂・鏑木清方・川端龍子の秋高会に「山伏」を出品する。
昭和34年         日本芸術員会員を辞退
               日本橋高島屋で初期油絵から日本画・素描名まで51点を展示。
昭和39年         4月逝去        


「良寛」 45×53 一雄箱 紙本