舞−身体表現について−
舞踏家土方巽、この人物に私は会ったことがない。彼はもうこの世の人ではないのだ。
土方は舞踏の創始者である。土方亡き後も、彼の存在感は後世に伝えられている。
「肉体を熟知し、はぐれてしまった自分と出会うことを確認せよ。」亡き土方の言葉である。
多くの舞踏家の舞いにこの心が見え隠れする。それは私であって私ではない。
その心が伝承される中で、舞踏はそれぞれの舞人の中で、進化を遂げてゆく。
私には、「私ともうひとりの私の存在」は、現実社会の中でも見え隠れしているように思える。
私が私であるために必要とする関係のように思えてならない。
土方巽の妻であり、土方を影となって支えてきた元藤Y子、彼女もlまた舞踏家である。
土方亡き後の舞踏の伝承に力を注ぎ、土方巽記念アスベスト館を支えてきた。
彼女との出会いは、私にとって衝撃的な舞踏と写真のコラボレーションの始まりであった。
2003年10月19日 元藤Y子氏は急逝いたしました。
元藤Y子 追悼の夕べ「天地 光と闇」
11月16日、岡本太郎美術館母の塔にて元藤Y子氏を偲ぶ舞踏セレモニーが行われた。
舞踏、ダンス、パフォーマンス、あらゆる身体表現は、もうひとりの自分との出会いである。
身体を表現の手段とする若き舞人、彼らひとりひとりの思い入れを写真で受け止めたい。
身体表現と写真のコラボレーションが、人を惹きつける何かを創りあげてゆく。
暗黒舞踏の名のとおり、舞台は暗闇と化し、開演を待ちわびた心が高揚してゆく。
研ぎ澄まされた肉体が心の叫び声をあげ、次から次へと私の心に何かを訴えてくる。
この身震いは何だろうか。もうひとりの私は何処にいるのだろうか。
彼とは、土方巽記念アスベスト館を通して知り合った。彼は写真に収まることを強く望んだ。
土方が目指した舞踏、私には彼の舞は舞踏が進化した一形態をたどっているように思える。
土方の舞に見られる荒々しさではなく、弓のようなしなやかさが伝わってくる。
舞人 成田右子
夏の熱海の街を舞台に、彼女は繊細な心と柔軟な肉体を私の心に刻んでくれた。
彼女は現在、踊りを離れたところで新たな生活を展開している。そんな彼女を応援したい。
何もかもが変わろうと、ここに記録されたものは真実であったはずだから。
成瀬の館に招かれて、彼の舞を拝見しに出かけていった。
久しぶりに見る彼の舞は、その肉体が力を増し、これまで知っていた成瀬とどこかが違う。
それでもなお、ずっと探しているのだろう。はぐれてしまった自分は何処にいるのか。
山下浩人、彼からの撮影依頼で出かけた折、私はこれまでの彼とは違う舞を見た気がした。
彼の友人である塚田次実との息のあった舞は、人形に心宿らせ、あたかも3人の舞を披露した。
人は人によって変わるものだな、土方巽を追いかけていた暗黒舞踏の舞は姿を潜めていた。
彼女の人生と舞への想いを聞くことから始めたコラボレーションもこの撮影で3回目になる。
舞踏を学びたいと、ある舞踏家に師事し学び始める者たちは、いつか自らの道を見つける。
豊かな香りを発する彼女の舞を見ていると、そこには彼女の個性が萌芽している気がする。
舞人真鍋淳子、ある夏の日、彼女に記紀神話に登場するアメノウズメノミコトの舞を註文した。
アメノウズメノミコトは天照大神を天岩戸から出すために力強い踊りを披露した神である。
彼女の舞は、神話の世界を瞑想する私に、この神への別の理解を示してくれた気がする。