時−非日常性について−
白と黒、光と闇、表と裏、聖と俗、生と死、人間社会は様々な二面性から成り立っている。
相反すると思われる二極の関係は、実は互いを必要としながら存在している気がしている。
ハレとケ、つまり非日常と日常の関係も、互いに互いを助け合っているのかもしれない。
非日常の特別な時間が、平坦な日常にメリハリをつけて人の心を活性化させてゆく。
祝日、それは各人が認めようと認めないと、日本国民の特別な日であり休日として存在する。
年に一度の祭りの日は、ある地域固有の特別な日でありながら、人の繋がりを守り伝えている。
結婚、出産、これら個人にとって特別な日は、大切な人との関係の中での特別な日である。
非日常性を帯びた特別な時間が、実は日常の自分を支えているのかもしれない。
時が刻まれる。そう時が刻まれることで、心に何かが刻まれてゆく。
毎年ということではないが、葛西臨海公園からの初日の出を眺めに出かけていく。
大晦日に夜通し語り続けてその流れで集まる若人や、肩を寄り添いあうカップルの姿。
様々な思いがめぐる元旦の朝、ビルの谷間に初日が昇る。このざわめきは明日の朝にはない。
ずっと遠くの空を見ていたい。あなたとふたりで過ごしたい。あてもなく歩いていたい。
日常と違う空気を感じながら、いつもと違う心のリズムが体に心地よい。
柔らかな関係が、柔らかな時間を生み出し、日常への活力を生み出してゆく。
祭人
浅草三社祭では、一之宮、二之宮、三之宮の3基の本社神輿と町会神輿が町中を練り歩く。
本社神輿は各町会を渡御してまわり、町会というコミュニティを超えた、町の繋がりを約束する。
祭りは改めて地域の人と人との関係を活性化させるために、神に手をかりる行事である。
東京の花火大会を撮り歩いた。隅田川、東京湾、神宮などの大会当日の風景である。
待ちわびた人々の表情、様々な観覧場所での出来事、ひとときの東京人の心を拾い集めた。
匿名性、多様性、そして何もかもが不確かな時代に、そこには癒しの時間が存在している。
渋谷の街を撮り歩いている。毎年9月に道玄坂で繰り広げられる御神輿集合もそのひとつだ。
各町会の神輿が渋谷109の前に集合し、一斉に気勢があがると人々の心が高揚してゆく。
ふと祭人の目が気になった今年は、人波の中での祭りのまなざしを追いかけることにした。
時が流れて人は心変わりする。ふとある女性とのコラボレーションを振り返ってみたくなった。
あの時確かに彼女の髪は時の中で流れて、そして彼女はその戯れを楽しんでいた気がする。
時が経ってから、私の手の中から生まれた作品は、昔と違う匂いがするに違いない。