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SPECIFICATION ◆全幅:11.13m ◆全長:15.52m ◆全高:4.96m ◆翼面積:34.84u ◆自重:12,000kg ◆全備重量:22,000kg ◆最高速度:マッハ2.0 |
| 国産初の超音速支援戦闘機F-1の後継機を求めて1980年代にスタートしたFS-X計画は、当初はF-1と同じく完全に自主開発することを目指していたが、87年に日米政府間の合意により、ゼネラル・ダイナミックス(現・ロッキード・マーチン )F-16Cをベースに日米共同で改造開発する方式が採用されることが決まった。 翌年、三菱重工業 を主契約会社に、副契約会社として 川崎重工業 、富士重工業 、ゼネラル・ダイナミックスの各社が参加、その作業分担を日本が60%、米国が40%とする日米政府間開発覚書が締結され、90年3月には次期支援戦闘機設計チームが発足、本格的な開発が開始された。 本機は外観こそF-16によく似ているが、実際には日本独自の先進技術が随所に織り込まれた全くの新型機である。新設計された主翼はF-16よりも25%拡大され、炭素樹脂系の一体成形複合材を適用、後縁が7度の前進角、電波吸収材が使用された前縁は33度の後退角となっている。また、機首形状が変更され、強化型のキャノピーはF-16の2分割から3分割となっており、垂直尾翼には新たにドラッグシュートの格納部が設けられている。 さらに、世界で初めてアクティブ・フェイズドアレイ・レーダーを採用、敵艦船の最大の脅威となるASM-2対艦ミサイルを4発搭載することが可能であるほか、統合電子戦システムやFBW(フライ・バイ・ワイヤ)によるサバイバビリティの向上が図られている。 FS-Xの試作第1号機は1995年10月に初飛行、同年に正式名称をF-2と改め、98年から量産型の製造が開始されている。また、部隊配備は2001年3月に三沢基地の第3航空団第3飛行隊に対して行われている。航空自衛隊 では、最終的に計140機のF-2A(単座)およびF-2B(複座)を調達する計画であり、今後は松島基地、築城基地に配備される予定である。 |
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SPECIFICATION ◆全幅:47.57m ◆全長:48.51m ◆全高:15.85m ◆翼面積:No Data ◆自重:7,620kg ◆全備重量:175,000kg ◆最高速度:800km/h |
| 1976年9月、旧ソ連の極東防空軍の中尉が亡命を求めて、MiG-25で函館空港に強行着陸するという異常事態が発生した。「ベレンコ事件」として知られるこの事件を契機に、航空自衛隊 は低空侵入機に対する地上レーダーの覆域の限界を痛感、87年までに合計13機のE-2C早期警戒機を導入することで対処してきた。この際、比較検討されたE-3Aが採用されなかった理由は、運用要求を遥かに上回る能力を持ち、大型機であることから飛行場の施設の大幅な改修をする必要が生じる上に、機体単価がE-2Cの約3.5倍の高価であったという点が挙げられている。 ところが、日進月歩の近年の航空軍事技術に対応するためには、E-2Cの限定的な能力では不十分と考えられるようになり、航空自衛隊は再びE-3の導入を希望するようになったが、時既に遅く、E-3の生産ラインは停止していた。このため ボーイング は、生産中のB-767-200ER旅客機に、ウエスティングハウス・エレクトリック のAN/APY-2レーダーをはじめとするAWACS(空中警戒管制システム)を搭載したE-767の生産を提示した。これに応じ、航空自衛隊は1993、94年に同機を2機ずつ発注、98、99年に受領し、計4機を 浜松基地 の警戒航空隊第601飛行隊第2飛行班に集中配備させている。 E-767は優れた速度性能と探知能力を有しており、基地から1,000海里進出して約7時間、300海里の進出で約10時間にも及ぶ監視任務に就くことが可能である。また、獲得された情報は自動的に処理され、機内に14基が設置されているミッション・コンソールに表示されるようになっている。 なお、E-767の単機価格は570億円。世界的に見ても極めて高価な軍用機であるといえる。 |
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SPECIFICATION ◆全幅:7.90m ◆全長:17.90m ◆全高:4.40m ◆翼面積:No Data ◆自重:6,800kg ◆全備重量:9,800kg ◆最高速度:マッハ1.6 |
| 国産初の超音速ジェット練習機であるT-2は、基本操縦課程を修了した学生パイロットが、超音速戦闘機への効果的で円滑な移行を行えるよう、三菱重工業 が開発した高等練習機である。 試作機XT-2は1971年7月に初飛行、同年11月には国産機としては初めての超音速飛行に成功している。その後、74年には実用機として承認されT-2と改称、翌年3月から 航空自衛隊 への引き渡しが開始され、88年までに計96機が生産されている。 本機には前期型と後期型があり、前期型は戦闘機基本操縦課程に、後期型には火器管制装置、J/AWG-11レーダー、20mm機関砲が装備されており、戦闘機操縦課程に使用されている。また、1981年から95年まで、初代F-86Fの跡を継いで、曲技飛行チーム“ブルーインパルス”の2代目使用機として活躍していたほか、現在F-15DJが使用されている飛行教導隊でも、編成当初はT-2がアグレッサー(仮想敵機)として採用されていた。 T-2の操縦席は縦列複座となっており、訓練時には前席に学生、後席に教官が搭乗する。また、2基が搭載された 石川島播磨重工業 がライセンス生産するTF40-IHI-801Aアフターバーナー付きターボファン・エンジンは、1基が故障しても安全に航続できるだけの十分な推力を有している。なお、本機の外観は、開発の際に参考にしていた英仏共同開発の戦術攻撃機ジャギュアに酷似している。 現在運用されているT-2の大半は、松島基地の第4航空団第21飛行隊に配属しているが、老朽化が目立ち始め、F-2Bへの機種更新が進められているようである。余談だが、国産の支援戦闘機F-1は、本機を母体に改造開発された機体である。 |
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SPECIFICATION ◆全幅:9.94m ◆全長:13.02m ◆全高:4.60m ◆翼面積:No Data ◆自重:3,790kg ◆全備重量:7,650kg ◆最高速度:マッハ0.9 |
| 航空自衛隊 が最初に装備したジェット機であるT-33Aジェット練習機の後継機として、1981年に 川崎重工業 により開発が始まったT-4は、パイロット候補生が基本操縦課程で使用する中等練習機である。また、本機は、飛行教育体系の近代化による合理化と、機体の老朽化に伴い退役したT-1A/Bジェット練習機の後継機でもある。 試作機のXT-4は1984年に製作に着手、翌年4月にロールアウトし、同年7月には初飛行に成功している。その後、飛行開発実験団で入念なテストが繰り返され、88年7月に部隊使用の承認を獲得、部隊配備が開始されており、2003年3月の納入を最後に生産は中止されている。 T-4の機体設計に際しては、三菱重工業、富士重工業、新明和工業が協力、エンジンには 石川島播磨重工業 が開発したF3-IHI-30ターボファン・エンジンが採用されており、機体から搭載電子機器まで、すべて国内技術で製造された純国産機となっている。そして、その機体には、従来の酸素ボンベに代わる機上酸素発生装置、キャノピー破砕方式の脱出装置、レーザー・ジャイロ方式姿勢方位基準装置、ヘッド・アップ・ディスプレイなどの最新設備が搭載されており、正に日本の航空機開発技術の集大成ともいえる練習機である。 T-4は 浜松基地 の第1航空団隷下の第31、32教育飛行隊、芦屋基地の第13飛行教育団に配備されているほか、各戦闘飛行隊、支援飛行隊/班で運用されている。また、松島基地の第4航空団第11飛行隊、通称 ブルーインパルス の3代目使用機として活躍しているT-4は、その機体形状から“ドルフィン”という愛称で親しまれている。 |
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SPECIFICATION ◆全幅:33.15m ◆全長:33.46m ◆全高:9.95m ◆翼面積:No Data ◆自重:25,500kg ◆全備重量:45,000kg ◆最高速度:490km/h |
| US-1Aは 海上自衛隊 が保有する、世界的にも珍しい「救難飛行艇」というカテゴリーの軍用機である。本機はその“水陸両用”という特徴を生かし、四方を海に囲まれたわが国において、海難救助や離島間輸送などの現場で華々しい活躍を続けている。 戦前から日本は飛行艇の設計技術においては世界でもトップレベルの水準にあり、当時の日本海軍は川西航空機(現・新明和工業 )の九七式大艇や二式大艇など、優れた飛行艇を数多く使用してきた。戦後、諸外国が次々と飛行艇の開発から手を引く中、1961年に海上自衛隊はグラマンUF-2を6機調達、救難輸送飛行艇として導入した。これに対し、新明和工業は同機にエンジンを2基追加して4発とするなど、大幅な改修を施した実験機UF-XSを開発、この時に培われた技術が後のPX-S開発に大きく寄与し、量産型の対潜哨戒艇PS-1が71年から海上自衛隊の第31航空隊に配備されている。PS-1は最終的に20機が製造され、高揚力装置や波抑装置、低速飛行性能などにより実現した、波高3mの荒天下でも着水可能という能力を活かして日本領海の対潜哨戒任務に従事していたが、後継のP-3Cの導入に伴い89年までに全機が退役している。 一方、UF-2の後継としてPS-1就任後に開発が始まったUS-1は、降着装置の改良により、陸上の滑走路での運用も可能な真の水陸両用機となっている。本機はPS-1の対潜機器の代わりに、ライフラフト、サーチライト、スピーカー、マリンマーカーなどの救難装備が搭載されており、潤沢な燃料搭載量と相まって長距離・長時間に渡る捜索救難活動が可能となっている。 US-1は1974年10月に初飛行、76年から 岩国基地 の第71航空隊(1機は分遣隊として 厚木基地 に派遣)に配備されている。最初に製造された7機には 石川島播磨重工業 製T64-IHI-10Eターボプロップ・エンジンが搭載されていたが、それ以降の機体のエンジンはT64-IHI-10Jに換装されており、呼称もUS-1Aと改められている。なお、本機は現在US-1A改への改修計画案が進行中である。 |
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