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環境と政治、そして個人

 びわ湖のそばに住んでいますが、ここ志賀町は今、大型廃棄焼却場の施設計画問題で大きく揺れています。
 EUでは人間のつくった廃棄物を根本から見直そうと、焼却炉3000基のうち1700基まで廃炉にして、ゴミの堆肥化と産廃削減の具体的な政策を各地で進めているところです。世界が脱却をめざす21世紀に、類を見ないような大型産廃施設を新設しようとするわが県行政の見識と態度は、どこから来るのでしょう。できてしまえば住民の暮らしをはじめ、“比良”の山林も近畿一円の生活水の源水“びわ湖”も、さらに危うくなります。
 現代の環境は抜きがたく政治です。
 これまでの公害や原発問題でも、さまざまな事情や課題をかかえた住民は目の前に突然入ってきた力ずくの政治によって、互いにまま引き裂かれてきました。
 しかし政治とは、勢力を競って多数決で施行するような議会政治だけではない!と強く感じます。序列に従って順々にへりくだり、へりくだった分順々に施される(甘い汁を吸う)、そういう固まりは政治用語を乱発して一見みえやすい政治ですが、私はそこから脱政治した一人ひとりに政治があり、個人の思いや生き方こそ政治の土台だ、地についた政治力だと思っています。
 しかし私たちの町の産廃計画でも、賛成か反対かを問う以前に、住民ぬきの計画の進め方や密室の中の用地取得がありました。私はどういう住民団体にも直接参加していないのですが、当初役場に情報開示を求めました。
 というのは産廃問題もさりながら、長らく京都市民でしたので今なお京都が歩く現場です。ボチボチですが十年ほど、民間団体の「京都・市民・オンブズパースン(共同代表)」の一人として、京都の公金の使い途を追っているとことです。
 人(人間と限りませんが)はつくづく御縁だと思います。当「市民環境研究所」の場末に座を連ねられたのもうれしい御縁です。
 二十代のころ「使い捨て時代を考える会」に出会いました。気分的にはこの延長から、かつて「みみずの学校」という“学校の成績に関係のない”私塾を開き、京都市教委を傍聴する会にも顔を出しました。このつながりからまた、「京都・サマール友好協会」という市民団体にも加わってきました。
 とはいえ基はグータラで、“生きた屍”なんて家では呼ばれています。唯、自問自答の根はひとつ。人間って何だろう、人間の一人である私はどこに立ち、どっちを向いて暮らしていきたいのか、自分にたずねます。そんな問題の入口を偏見もふくめて、私は「思想の科学」という世界からいただいたと思い、昨年“思想の科学研究会”の新米会員にもなりました。
 年は前後しますが、この研究会の草分けの人に誘われて、自衛隊のカンボジア派遣の時期に発足したのが「自衛官人権ホットライン」、電話相談を軸に現在もつづけています。前述の議会政治(たとえば憲法九条もあえてふくむ)に頼るだけでなく、自衛官一人ひとりの悩み、揺らぎ、相談事などを共に考えたい、それが人権の基本の一つだと思っていますが、このような個人のつきあいの余地は、先行きどうなってゆくのでしょうか。
 身近には、手作りの季刊誌「はなかみ通信」を友人の協同も得て発行しています。最近、当研究所のCMも出させていただきました。なお手探りなので、体力や気力を最も使っているのがこの通信づくりですが、紙の無駄遣いかと疑いながらつくっています。

 ロシアの民話にありました。通りかかった大臣に、街中で飢えた民は「パンのかけらを」と懇願したところ、大臣は「わしゃ忙しい身だ。国家の飢餓会議に急ぐ」と、払いのけて先を急いだという話です。この大臣の言う「先」や「国家」とは何だろうと思います。
 もう一つ、どこの国かは失念しましたが、ある男が道端で探し物をしている。通りかかった人が「一緒に探しましょう。何を落としたのですか?」と訊くと「鍵だ」という。しかし二人して(百人や千人に増えてもいい)いくら探しても見つからない。「いったいどの辺で落としたのか」と問えば、「いや、落としたのは向こうの暗闇なのだが、暗くて見えないのでこの明るい外灯の下で探している」という話がありました。
 現実とは何だろうか?「市民環境研究所」こそ個人の現実を見定めて、主権在民の足腰を愉快に鍛える場だと、私は希望を見ています。


理事 高橋幸子

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