2018年11月
ショックです。先日知らない名前の年賀欠礼のはがきが届きました。読んでみると、なんと亡くなったのは私の大学時代の先輩でした。
大学時代、放送研究会に入り当時3年生だったHさんと出会いました。どういうわけか、新入生だった私たちと3年生は仲が良く、よく誘ってもらい皆で食事をしたり、飲みにいったりというような仲間の一人でした。
卒業後、デパートに勤務したHさんには、家具や、毛皮などの買い物をする際、社員割引で買ってもらったり、相談に乗ってもらったり、後輩の私の面倒をよく見てくれました。そういう感じの先輩が5人存在して、今も電話をしたりみんなで集まったりしています。女性は私だけですが、楽しい先輩たちです。
3,11のあと、放送研究会の先輩や仲間と会いたいと思いました。でも名簿がなく行方が分からない先輩も多く、私はHさんに相談し、一緒に大学まで足を運び名簿を作り、卒業後初めての大きな会を企画し開催することができたのも、Hさんのフォローがあってのことでした。ですから突然の他界されたという、年賀欠礼にはショックというほかありません。すぐに奥様に電話をしてその時の様子をお聞きしました。
それによると心筋梗塞で倒れ、救急車で病院に行ったあくる日に意識が戻らないまま亡くなったというではありませんか。いつも「俺はバカだからさ、風邪もひかないんだよ、病院なんて行ったことないんだよ、でも、大井はさ、仕事してるんだから気を付けないといけないよ。」と私のことを気遣ってくれた優しい先輩でした。
さて、先日、以前入っていたスポーツクラブの仲間の一人が、喜寿を迎えるということで、みんなで集まりました。以前のスポーツクラブは5年前に、突然内容を変えて滞在時間は2時間、スタジオプログラムも大半をやめるということになり、大勢が退会しました。
その後5つのクラブに別れ別れになってしまったのですが、今も交流が続いているというわけです。夫は私から見ると「糊」のような人で、知らない人とすぐに仲良くなり、知らない人同士をくっつけることがすごく上手なんですね。それで、「今度お祝いの会をしませんか?」とか「来週○○を見にいきませんか?」などと声をかけると、皆さんが参加してくださり、時には「そろそろ食事会をしませんか?企画してくださいよ。」なんてお声がかかるわけです。でも夫はこまごまとしたことは不得意ですから、私も手伝うようになり、今回もお祝いの品物を買ったり、ホテルの予約をしたり、サプライズをお願いしたりと、夫がやらないところを私がフォローするので、12人で集まりました。
最高齢は89歳、一番若くて68歳ですから、客観的に見ればおじいさんの集合かもしれません。ところが、皆さん、スポーツを続けているだけにシャキッとしていて、若々しいんですね。太っている人もいません。鍛えているわけです。
89歳の方は先日熱が出て病院に行ったところ、肺炎と診断され即入院となったそうですが、点滴の器具を持ちながら院内を毎日1万歩も歩いていたといいますから、びっくりします。
他にも階段から落ちたという方がいましたが、日ごろのトレーニングが功を奏したのか、ドクターが驚くほど軽症で済んだということでした。やっている人は違いますね。
私は以前のスポーツクラブは近くだったので、朝行ってエアロビと、ダンスをやり、お昼を食べに戻って、午後から、ボクシングとエアロビをして、夕食後にまた行き、スタジオでズンバを踊ってというように、本当によく通いました。
でも、今は遠くなってしまったので、そんな芸当はできなくなりました。せいぜいエアロビとボクシングというように、2つのプログラムしかできなくなり寂しい限りです。
雨の日はお休みしたり、もちろん仕事があれば行けないので、最近は筋肉が減り体が重く感じます。このままではいけませんね。
自分を甘やかすことは簡単です。自分を苦しい環境において努力すること、しかもそれを続けることはなかなか難しいことですが、それでも、スポーツクラブに通いだして12年、やっていなければ今頃どうなっていたのかしらと思うとぞっとします。
まだまだ頑張れそうですので、当分続け陽と思います。仲間との食事会や、ハイキングなども楽しみですので、それを励みにしながら、もっともっと輝けるようにと、頑張りましょう。
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