2019年2月



このところ、しょっちゅう乳幼児の虐待や、それによる殺人事件が報じられなんとも心が塞いでいます。何も知らない乳幼児に暴力をふるったり、躾と称して殴る蹴る、はては冷水を浴びせかけ食べ物を与えないなどという行為は、親としては言うに及ばず、人間としても考えられない暴挙としか思えません。

警視庁によると昨年全国の児童虐待が過去最高となり、なんと65,431人になるというのです。これは前年と比べ20.7%の増加で驚くべき数字でしょう。しかもこの数字は児童相談所に通告した数ですから、隠された数字があるやもしれません。

驚いたのは2004年には962人だったというのですから,わずか13年で6万5千人とは驚異的な増え方です。

虐待には様々なものがあり、暴力をふるう、部屋に閉じ込めたり、極寒のベランダに出したり、食事を与えない、入浴させない、洋服も汚れたまま、また、性的虐待もあるというのですから、実に多岐にわたっています。

中には無理心中をしたり、自殺をしてしまうケースもあると聞くと、何とかならなかったのかしらと、悔やまれます。

どれほど多くの子供がおびえ、空腹を抱え、体にあざを作り、毎日をびくびくしながら過ごしているのかと思うと母親の経験のない私でも胸がふさがれる思いです。

ところで、その虐待をしていた加害者は1、実父、2、実母、3、養父や継父、4、内縁の父という順番だというので、二度びっくりしました。1,2は実の父と母です。育児ノイローゼというくくりや、躾という理由では理解に苦しむばかりです。

元気で生まれたわが子を殴る、蹴る、暴力は言うに及ばず、性的虐待ってどういうことでしょう。自分の子供を性の対象としてみる等ということが本当にあるかと信じがたいことですが、それが真実です。

2位の母親にしても自分のおなかを痛めて産んだ子供を、憎いなどと思えるものなのでしょうか?父親が虐待した際に、それを止めることができない母親も多いといいます。夫婦で一緒になって虐待を日常的に行っていたケースもあるようです。

世の中には不妊治療に通って、なんとしても子供を授かりたいと思っている人がいる一方で、こんなことが起きているなんてそこに何の意味や価値があるといえるのか疑問です。いじめることで何らかのうっぷんを晴らしたり、ストレス解消になるとでもいうのでしょうか?

亡くなってしまった子供はもう生き返らないし、かろうじて施設に行ったりほかの養育者のもとで育てられている子どもは、きっと心にトラウマを感じながらこれから生きていくのかと思うと、私はやりきれない気持ちになってしまいます。

こういう人たちは、家族や子供を持つべきではなかったのに、持ってしまったことに間違いがあったのでしょう。親とはどうすべきかをしっかりと認識から家族を持ってほしかったと思うばかりです。

暴力や暴言は行ったほうは忘れていても、受けたほうは決して忘れないものです。学校や会社で私も過去にいろいろと今でいう、パワハラセクハラを受けましたが、おそらくやったほうは忘れているんでしょう。私は決して忘れていません。

虐待に関しては近所の人もうすうす気が付いていながら通報しなかった場合もあるでしょが、児童相談所で認識していながら、何も手を打たなかったケースもあると聞くと、余計に腹が立ってしまいますし、お役所なんだと改めて呆れてしまいます。

あなたはどうお考えですか?