2020年5月


新型コロナウイルスの影響で、仕事が全くなくなりすべての時間が自由に使えることになりました。
本来私は仕事が大好きですので、それに費やす時間は達成感を覚え評価されることで自己への重要感が満たされ、満足を覚えることの積み重ねの年月を送ってきたわけです。

何日、何か月も仕事がないなどということはこれまで経験したことがなく、初めのうちは自由な時間が持てることに満足していたのですが、それがこんなにも続くと苦痛に変わってしまいます。

金銭的には今のところ不自由はしていませんし、肉体的にも問題がないとなると、この退屈というのは非常に不快なものに変わるということを身に染みて感じています。

忙しければ、時にぼんやりしたりボーっとする時間も大切ですが、仕事がない時間が続くとこんなにも苦痛を覚えるとは想像できませんでした。まるで自分自身が必要とされていない、不要な存在と言われているような気持ちになってしまうのです。

不要不急の外出は控えてくださいと言われてからは、週に1,2回は行っていた外食も取りやめて、ひたすら家での食事のみですし、テイクアウトのもの買いに行くこともせず、手作りの朝、昼夕食です。毎週のようにいくお店は銀座ですので、「今週はいらっしゃいますか?」と電話で問われてもおいそれと行きますとは言えない状況で、不義理を続けています。

スポーツクラブは2月の下旬から自粛していますから、身体がなまってきています。YouTubeでダンスやズン場を見ながら1時間くらいは家の中で体を動かしていますが、やはり物足りなさを感じます。

時間がたくさんあるというので、初めは読書がいっぱいできると喜んで、積み重ねてあった本を読んでいましたが、10冊ほどの本はすべて読み切りました。本屋さんに行こうにも私の家から行ける本屋さんは駅ビルの中しかなく、その書店は閉まったままですから、購入もできません。ネットでの購入もしますが、実際に手に取って何行か読んでみないことには読みたい本かどうかがわかりません。

例えば、本屋大賞や直木賞などで評判の本をネットで購入した経験がありますが、私には全く興味がわかずそのままになってしまった経験が幾たびかあるので、やはり実際にパラパラと読んでから決めたいので、今は昔の本を読むしかありません。

実は旅行好きの私は5月と8月にクルーズを予約していましたが、これもキャンセル、桜のシーズンに毎年行く京都旅行もキャンセル、伊豆や箱根、蓼科旅行もすべてキャンセルです。

今は晴れた日は庭で植物の手入れをし家の中に飾り、ランチは庭で日光浴をしながら食べ、雨が降っていなければ散歩に出かけます。私の住まいは住宅地であちこちと探索しながら歩くのは結構楽しく、家の作りを見たり、庭の造作を鑑賞したり、車を見て楽しんだりしています。国産車よりも外車の方が多いようで、これまで気に留めていなかった車に出会えるのは面白いですね。大体1時間半から2時間くらいは毎日のように歩いています。おかげで日焼けしましたよ。

辛いのは、キャンセルや延期になった仕事はいつ戻るのか見当もつかない状態で、このまま中止ということになる可能性もありそうです。そうなるとビジネス書を読んでパワーポイント作成をしたりする必要もなくなり、なんだか張り合いがなくなってしまうということになってしまい、私の存在そのものが否定されているようでやり切れません。

これを読んでくださっている方の中にも、焦りや戸惑いを覚えている方が多いと思います。

でもここをしのがなければ、命に係わるのですからやはりここは我慢して耐えるしかないのでしょう。

それにしてもパンデミックになるかもしれないと以前書いたとおりになり、来年のオリンピックもまたまた中止になるような気がしてなりません。

4月から、新社会人になった方や、新学年になった方もこの先どうなるかわからないとなると、不安なことでしょう。

ここが我慢のしどころと理解はしていても、商売ができなくなったり、閉店、廃業、倒産となると人生そのものにかかわることだけに、大きな問題がまだまだ山積みですね。