2020年6月


新型コロナウイルスの緊急事態宣言が少しずつ緩和されて、これまでの日常に戻りつつあることは嬉しいことで、ようやく、やっと、という思いを強くしています。

日本はロックダウンせずに陽性患者が少なく、自粛だけでここまでの良い結果を出していますから、やはり普段からマスクをつけたり手を洗ったり、ハグなどの接触を日常では行わないことが大きな成果を作る要因だったのではないかと思います。

一方で、SNSなどで様々なうわさが飛び交い、正しい事柄ではなく例えば、トイレットペーパーがなくなるというような間違った情報が流されてスーパーでは争奪戦さながらの状況だったり、誹謗中傷が飛び交ったりしている現状があることを思うと、気軽な気持ちで実名を名乗らずに意見をすることの怖さに気持ちが暗くなります。

私はSNSで「いいね」などでの意見を言ったことが全くないので、その心理は察するだけですが、人に認められたい、理解されたいという心理は少し心理学をかじった私でも十分理解できます。

例えばお弁当の写真を毎日アップされている方も、おそらく誰かに褒められたい、私はこんなに頑張っているのよという意思表示でアップされていて、それを生活での張り合いとしているに違いなく、否定するものではありませんが、そうまでして認められたいかというと、そこは理解しがたいのです。

しかしながら、そのSNSで人が傷つき自殺にまで追いやられるとなると、うわさの怖さにおののきます。

「人を動かす」の著者、デールカーネギーが本の中で「叩かれたり罵られても、批判を気にせずに生きることが大切」と書いています。しかし、それを実際に行うには他人の目を気にせずに自分の世界観を持つことが求められ、なかなか難しいことのように感じます。

日光の東照宮にある三猿をご存知かと思いますが、「見ざる、聞かざる、言わざる」ですよね。その意味は「自分に都合の悪いこと、人の欠点や過ちなどは、見ない、聞かない、言わないのが良い」と言われています。

そもそも、このことわざは中国の孔子の論語に由来しているそうで、孔子は「礼節に背くことに注目してはいけない、礼節に背くことに耳を傾けてはいけない、礼節に背くことを言ってはいけない、礼節に背くことは行ってはいけない」と4つの戒めを言いそれをわかりやすく猿を使ってあらわしたのが始まりだとか。

日本にわたり、「行ってはいけない」が性的なことを意味することから、4猿が3猿に変わったようです。

私たちはうわさが好きですから。ついつい悪意がなくてもうわさをしてしまうようです。

先日雑誌のNewtonに「集団がだまされる、広まりやすいうわさの法則とは」という記事がありました。それによると、うわさには3種類あって、1つはゴシップ、自分の身近な人や事柄について、身近な人同士で話すもの。
2つ目は、流言で、例えば疫病だとか、地震等社会現象として起こる情報に関するもの、
3つ目は、都市伝説のように言い伝えられるものに分けられると書いてありました。

私はその中で危険なのは2つ目の流言で、自分で実際に見たことでなくても人の言葉を信じて、さも自分が見たかのように意見したり、リツイーとして広めてしまうことではないかと思います。そこでは実名を出すことなく、誹謗中傷がいとも簡単にできることの危険性をはらんでいます。

いちいち気にしていたらたまりませんが、全く気にしないということも人間ならば難しいでしょう。中には読まないと決めているジャーナリストの方がいるようですが、気になる方が多いのは事実で、だから読んでしまうのでしょう。

自粛生活で窮屈な生活を強いられたうっぷん晴らしが、人を誹謗中傷することだとしたら、あまりにも情けない話だと思ってしまいます。せめて自分だけはそうならないようにと、心新たにした自粛生活です。