2024年5月


一年で一番好きな季節です。とは言っても4月に真夏日になったりするこの頃ですから、5月が最も過ごしやすい気温とは限りませんが、それでも自然を目にするたびに、若葉の季節には魅力を感じます。

桜が終わり寂しくなってくると、若葉のみずみずしい色合いに心を奪われます。私の家の庭のもみじはつい先日までは、縮こまっていた葉っぱがあっという間に葉を広げ若い緑の色に包まれています。

庭には10本のもみじがありそれぞれに異なる種類ですが、そのどれもが思い思いに葉を広げ緑色は輝いています。花々も負けじと咲き誇っていますが、緑の美しさが際立っています。

しばらくすれば緑が濃くなり、葉も硬く感じられ、秋になると色づきそして散りゆく運命で、それぞれの季節に精一杯誇らしく見せているのですが、もみじを見るにつけなんだか人生を感じてしまうのです。

この時期はまさに若者で、それが季節と共に色づいたり枯れていくのですから、人の一生を見るようで、いつも私はどの季節なのかしらと考えてしまいます。

幸いなことにまだ仕事を続けていますが、声は年を取らないというもののやはり時間は残酷で、若い時の声と今は全く違います。若いころのディスクジョッキーの録音を聴くと溌溂としていて、ピカピカですが、今はトーンが落ち着き口調も変わってきています。

自分の定年を自分で判断しなければなりませんが、声が変化したとはいえ話すことには問題がありませんから、記憶があいまいになったりすれば定年ということでしょうか?言葉が出てこなくなったり、受講者の名前を覚えられなくなったり、前回話したことがあやふやになったりすれば赤信号ですが、まだそこまでは衰えていないと思っています。

仕事のオファーが無くなればもちろん終わりですが、そうでなければ話す内容は日々上書きしていますから、まだ大丈夫かもしれません。

いわゆる定年が決まっている職業の方の中には、まだまだ十分にやっていける元気いっぱいの方も多いでしょうし、経験に基づいたアイディアも生まれて、引退するには早すぎる方が多くいらっしゃいます。それでも会社が定めた定年には従わざるを得ないわけで、仮に定年延長したとしても給料が減額になってしまうのでは、人間の価値とはなんだろうと疑問に感じてしまいます。

それに反して国会中継を見ていますと、居眠りばかりしていたり、スマホで遊んでいたりと、全く国会に参加せずに何千万円ももらっている高齢の議員の方もいるわけで、大きな矛盾を覚えます。

会社員には定年があるのに、国会議員、地方議員には定年がないとは、どう考えても理解できません。

新入社員研修があるたびに「新聞を読んでいますか」と質問するのですが、全く読んでいない人がほとんどで、本も読まない人もほとんどです。

ニュースはネット、後はスマホでゲームや漫画という時間の過ごし方でしょう。

戦争の話をしても「ソ連とどこでしたっけ? イスラエルがどうしたんですか?」
経済のことで、例えば「日経平均はいくらくらいですか?」などという質問にもほとんど答えられません。
自分の会社の株を持つことになるので、株価に関心を持ちましょうと言って、研修の度に「今日はいくらですか」と質問しても全くとんちんかんで、答えが出てきません。

つまり政治にも経済にもほとんど関心を持っていないZ世代が多くいるということで、選挙権が18歳になってもそれを行使することも無いんですね。
パーティー券問題から裏金問題といま政治を揺るがしている出来事にも、ほとんど関心が無いようです。

自分に直接関係が無いことには、首を突っ込まないほうが良いという考え方なのでしょう。

せっかく若葉の美しい時期を過ごしているのに、残念でなりません。もっと葉を広げ自分の素晴らしさを誇って欲しいと思いますが、そういう思いにはならないようです。

私は若葉には戻れませんが、せめて枯れずに濃い緑くらいの心持で毎日を過ごしたいと願っています。