「住み心地の良い家」の設計とは   奥村建築設計事務所  奥村 秀一


  生活者不在のコピー住宅

  古来、日本は農耕を基盤とした農村社会でした。その中での家造りは各地域にいた棟梁と呼ばれる大工さんを中心に行われてきました。
 当時の棟梁はその地域の風土、習慣、文化に精通した家造りの指導者で、建築主(施主)の家造りに関するすべての相談に応えて住宅建築を行ってきました。ゆっくりとした時代の流れと村社会の生活習慣がそれを可能にしていたと思われます。
 しかし、社会生活の急激な変化によって、新興住宅地はもちろんのこと、既成住宅地における家造りでも、建築主の要求は複雑化してきました。そして、これに対応した造り手は構築技術(工期や価格)のみに邁進してきました。
それは施工者間の競争の中で「数字」として表されるため、建築主を説得するには都合がよかったからだと思われます。
 このことが、建築主の求めていた「住み心地」という要素を、面倒なものとして遠ざけてしまったのです。施工者にとって「住み心地」は、数字になりにくく経済効果も薄いからなのです。
 建築主の描いた夢は、住み心地とは無関係な「坪単価」という数字によって削られたりして、心豊な生活空間とは程遠い、生活者不在の住宅建築を多数生む結果となりました。
 例にとりますと、かつて住宅には「縁側」といった地域の情報交換の場とか、「茶の間」という家族のコミュニケーションの場というシステムがあり、この一種の広場的要素が地域の絆や家族の絆をつくるのに重要な役割を果たしていました。
 しかし、核家族化による住宅の縮小化やテレビ等の情報過多による家族内リーダーの不在は、これらのシステムを住宅の中から消し去り家族が「共同生活者」となってしまいました。懐古趣味で言うわけではありません。家族という以上、家という以上、形は変ってもこのようなシステムは住宅の中に必要なのです。
 ではどのようにしたら満足のいく家造りが可能になるのでしょうか。
 本来、家造りは物を納める器造りではなく、人間の生活そのものを入れる空間をつくることなのです。それには、家族の「ライフスタイルをイメージすること」、言い換えれば、造る家で家族がどんな暮らし方をするのかを確立する事が重要なのです。
 こんな子供でいたい、こんな親でいたい、こんな年寄りになりたい、こんな友をもちたい、そしてこんな生活をしたい・・・・。これさえ把握すれば、自ずと住宅のイメージは出来上がるのです。
 100の家族があれば100の生活パターンがあります。そして、100の住宅のイメージがあるわけです。したがってコピー住宅ではこのような住み方に対するこだわりを満足させることができるはずはありません。
 そこで、専門家(建築士)が必要となってきます。建築士とは建築主(施主)のつくった、あるいはつくろうとしているイメージを的確に判断し、専門的な立場から予算、規模、形態といった肉付けをして設計図として表します。そしてそれに基づいて施工監理を行うことにより、建築主の描いていた家の創造を建築主と一緒に行う者なのです。
 住宅設計とは、価格(一次元)、間取り(二次元)、形態(三次元)はもとより、そこでどう生活するのか(四次元)を設計することなのです。
 これにはまず、ライフスタイルのことまでも相談できるような専門的な知識をもったパートナー(建築士)の存在が重要です。そして、互いの信頼関係を築くことによって、住み心地のよい家はできるのです。このようにしてできた家は、そこに風格(その家の人格)として表れ、そこに住む人柄(個性)を表すことになり、また家が人を育むことになるのです。


  見えないものの設計
 
  住宅を評価するとき、とかく工事費とか使用材料に目を奪われがちです。しかし、「住み心地の良い家だ」といった評し方をする場合、それは人間の五感の総合判断だということになります。言い換えれば、目に映らない要素が家の住み心地を大きく左右していることになります。
 目に映らない要素を列挙すると次の通りです。

 ●音
 階上で人が歩き回る音や、屋外の生活騒音は結構耳障りに感じるものです。
 そこで、これらを減少させるには「遮音」という構成が建物の構造上必要になってきます。基本的には壁・床・天井に使用する材料の単位面積あたりの重量が大きく、空気を通さない物ほど遮音効果が得られます。
 しかし、日常生活の中の音をすべて遮ればよいというものではありません。部屋の中で目をつむって周りの音を聞いてみてください。意外と耳からの情報によって、自分の置かれた環境を把握している事が分ります。
 家族団欒の笑い声などは、聞く者の心を和ませるものですし、子育ての中の母親にとって子供の泣き声は、危険を訴えている場合もあるので、家を構築する上で是非聞こえてほしいものなのです。
 設計の中では「遮音性」ばかりに気を配るのではなく、家全体の雰囲気が感じとれる「透音性」も考える事が重要です。

 ●光
 太陽光は「熱」と「明かり」とう二つの重要な要素で家を形作る上で大きな影響を及ぼします。
 北欧建築は、光をいかに多く獲得するかの歴史だと言われるほど、窓に固執してきました。それは緯度が高く日照量の少ない地域とすれば当然のことと思われます。逆に赤道付近の地中海地方の建築は、窓の開口面積は極端に小さくなっています。
 このように、気候風土と建築の形態は密接な関係があり、これを無視することは生活に支障をきたし、また家の寿命を短くします。
 さて、日本の住宅建築においては、高温多湿という風土の特性から、軒の出を深く取り、直射日光を避けて、かつ壁の開口部を出来る限り広げて、太陽光の熱と明かりを確保してきました。しかし、もっと細かく見れば、日本は南北に長く気候風土も各地により異なるため、日本における住宅のスタンダードな形態というようなものがあるわけではありません。つまり、各地域に適した光の取り入れ方があるということです。
 北央調の窓には直射日光を防ぐ庇がないものが多くまた出窓は熱の進入がはなはだしいものです。設計の中では、こうした外来デザインに惑わされた光の採り間違いに注意したいものです。

 ●空気(湿度・温度・臭気)
 空気は人間の生命維持に欠かせないものであり、家の中におけるコントロールも難しいものです。
日本の風土を考えるならば、家は開放タイプが望ましいのですが、冬の寒さに対応するには技術的に工夫が必要です。しかし、密閉タイプにしてしまっては、不快感が大きく、生命に危機を及ぼしてしまいます。
 室内の空気については、各地域の自然風(水平方向)や対流(垂直方向)を利用した通気や換気を設計の中で考えたいものです。

 ●人
 家は演劇に例えるならば、舞台(住宅)が設置され、役者(生活者)が登場して演技(生活)をすることにより成り立ちます。
 生活者が住宅の中で動き回る軌跡を専門用語で「動線」といいます。家族一人ひとりの一日(あるいは一定期間)の動線を住宅の空間の中に重ね合わせて整合させること(動線計画)が住宅を設計する基本なのです。
 住宅における動線計画は、工場建築のように作業の効率化といった合理性だけに頼っていては無味乾燥なものになりかねません。それぞれの家族が持つ特異な動線がその家の活力となり、その住宅の魅力となるのです。
 設計のなかでは、動線を川の流れになぞらえて「急流・緩流・淀み」を上手に使い分ける必要があります。「急流」とは家事など効率的にスピーディーに行うべき作業の場であり、「緩流」とは食事などゆったりとしながらも目的を持った行動の場であり「淀み」とは憩いの場など家族との一体化が感じられる空間を指します。この急流・緩流・淀みを活かしたダイナミックな計画(演出)が必要となります。

 ●結界
 寺院の山門や神社の鳥居のような、俗と聖を分離するものを「結界」といいます。地鎮祭などでは四隅に竹を立てて締め縄を張り巡らせて、その中を聖域として神事を行います。これは、塀とかドアといった遮蔽物によって区切るのではなく、互いの約束事によって成り立っています。家の中では、玄関の框や暖簾などが結界として存在しています。
 現在、住宅においてバリアフリーという考え方が普及しつつあります。これは、段差、間仕切りなどの障害をなくし、体の不自由な人にも快適な生活空間を提供しようというものです。しかし、このバリアフリーは究極的には家のワンルーム化となり、家族という複数の人間が暮らすこととは相反する面が出てきます。
 設計の中でバリアフリーを考える時、単純にワンルーム化の方向へ向かうのではなく、「結界」のような見えないバリアを上手に利用して、あえて区切りを付けることも大切です。

 
  住宅を設計するには、価格とか材質とか装飾にこだわる前に、健康的(肉体も精神も)で過ごしやすく、暮らしやすいといった事を考える事が重要です。それは、「量」ではなく「質」に関わることなので、数字的なものに惑わされずに本質を見極める事が大切です。



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