旅行記 フィリピン 2006 MAY 



 旅行の概要

日 程 5月15日〜18日パナイ島泊
        19日〜23日マニラ泊

パナイ島編


15日(初日)

PR431便で日本を出発。機内で子供が泣かないか心配したが,満席状態で,かつフィリピン人が多かったことが幸いして,雑音(騒音)にかき消されて,さほど気にならなかった。マニラ到着後,コネクティングフライトでパナイ島へ向かう。

空港に迎えに来ていた義母や家族とお久しぶりの涙の再会その後,約2時間かけて実家に到着。心配していた空模様は,快晴とはいかないものの,雨の降る気配はない。家族達の近況と関わりについては,「家内の家族」の題で別項に記した。

                 

                             途中でスイカを買って帰った。

バタンガスに住む,友人のあきら君に連絡を入れると,すでに台風一過とのこと。私達が来る数日前がピークで,彼の住む地域は停電してしまい,今はマニラの義姉宅に一家揃って避難しているそうだ。滞在中に彼の生活ぶりを拝見しようと思っていたが,ままならないようだ。

夜はお楽しみのサンミゲルビールで義兄達と乾杯した。そして,寝る前の恐怖の水シャワー洗礼を受けた。こればっかりは,何度体験してもきつい。家内と息子は先に,お湯を沸かしてもらってタライで水浴びしてたが,私の分のお湯は既に無くなっていたのだ(悲)。

                        


16日 (2日目)

せっかくなので,4年前に二人が結婚式を挙げたパナイ教会に行ってきた。改修工事は未だ終わっておらず現在も続いている。アジアにある教会の中では,一番大きな鐘のある歴史的にも貴重で由緒のある教会だ。その後は,二人が披露宴を行ったホテルを見に行き,ニノン・ニナン達への挨拶回りをした。ニノンの一人に,ロードサービスの会社を経営してる人がいて,家内の兄弟や姪や甥が働かせて貰っている。そこの1BOXカーをいつもレンタルするのだが,今回は4日間4千ペソで借りた。

                 

                             屋根が綺麗になっていた


                 

                                内部も改装中


                 

                 

                           ニノンの経営するロードサービス


その後,市内で一番大きな運河沿いのマーケットに行き,買い物しながら写真を撮ってきた。ショッピングモールのガイサノにも寄って,ホットヒーター(P297)と携帯電話(P2,690)を購入した。ところが,これが後になって大きなトラブルに発展することになった。
      
                 

                 

                 

                 

                             一番よい米でキロP25
 
                 


携帯を購入した家内は,「買い物してくるので充電しておいて」と,女性店員にバッテリーを預けた。私は,大丈夫かなと心の隅で思ったが,田舎町だし・・・とたかををくくっていた。さて,買い物が終わり,バッテリーを取りに行くと,その女性店員は笑顔で携帯に装着して渡してくれた。家に戻ってカードをチャージ,いざ会話をはじめると,すぐにバッテリーがエンプティーになる。何度充電を繰り返しても,フルチャージしない。やられた!!私が不安に感じていたことが的中した。家内も日本ボケしたものだ。

                 

                         電話とTEXだけなら,この程度で充分

夜は,明日の祭りの前夜祭と称して,宴会が開かれていた。カラオケを大音響で流し,23時頃まで歌いまくっていた。私もAIZAの唄を数曲歌った(歌わせられた?)どんちゃん騒ぎは夜中まで続いていたが,近所から苦情は一つもない。というか,近所の住民も我が家の敷地で一緒に騒いでいる。そんな中,今回のまとめ役,我が家の1階に住む義兄(2男)とその家族は,黙々と明日の準備を進めている。そうかと思うと,傍らではトーンイッツに夢中になって手伝いもしない他の兄弟もいるが,別にだれも咎めたりしないのが面白い。

                  

                              前夜祭で大盛り上がり

                  

                  

                           裏庭では、明日の準備を進めている

                        

17日 (3日目)

昨夜,床についてしばらくしてから,いきなり下痢に襲われた。腹痛はないのだが,10〜20分おきにトイレに駆け込む状況で,非常につらい。この下痢についてのエピソードは「衛生面の意識」の題で別項に記した。

私が,下痢でトイレ通いを続けている,まだ夜も明けていない4:00頃から,女衆が裏庭の調理場に集まってきて,早くもフル稼働している。9時頃から始まるミサが終了後,我が家で振る舞いを行うのだが,その為の準備に大忙しなのだ。今回は家で飼っていた大きな豚を1頭と,レチョン用に小さな豚1等を潰したが,それでも足りずに,豚肉をブロックで数s追加購入したそうだ。,本家であり,義兄がバランガイの行政に関わる我が家は,集まる人数も半端じゃない。

                 

                 
 
                        切った肉はバケツの中に放り込まれる


私はミサの後,寝不足からか倒れてしまい,夕方まで何も食べずに寝込んでしまった。その間に,家内は昨日の携帯ショップに,兄弟姉妹を引き連れて抗議に出かけたらしい。女性店員は,自分のバッテリーと家内の新品のバッテリーを,これはしめたものと思い交換したようだ。文句を言うと「間違えた」と,あっさり非を認めたらしい。結局本体から全て新しいものに交換して貰ってきたようだ。田舎だからと気を緩めてはいけない。

                 

                      ボーダフォンで売りに出していたタイプもある


夜になって少し回復したので何か冷たいものが飲みたくなったが,冷えているのはビールだけ。氷を入れてジュースを飲むよりましと思い,サンミゲルライトで喉をうるおした。

その後,日本での様子を撮影したビデオの上映会を行った。そこに私の友人が写っていたのだが,姪が紹介して欲しいと言ってきた。
この事については「日本人と結婚したがる姪」と題して別項に記した。

                        


18日 (4日目)


下痢症状は,かなり回復した。明日はマニラに移動するのだが,義母と義姉も観光がてらに同行することになっていたため,街までチケットの購入に出かけた。家内はいつも通り,レンタルしている1BOXで出かけたが,私は久しぶりにトライシケルで別行動を取った。

                 

                         田舎道のオープンエアは気持ち良い


今回,国際免許を持ってこなかったので,運転は義兄にお願いした。田舎道をオープンエアで走るのは,やっぱり気持ちが良い。レンタルしている1BOXは,こちらの車では結構多い仕様なのだが,エアコンの効きをを良くするため,サイドガラスだけなく,フロントガラスにもスモークを貼っているので,視界が非常によろしくない。やっぱりせっかくの南国なんだから,満喫するにはオープンが良いと思う。
                 
 
川の水は汚水が流れ込み,非常に汚い。スクワッターの子供達に,衛生面の意識は乏しい。教育の必要性を強く感じる一時だった。


ここ数日,野菜不足なメニューが多かったので,今日はマーケットで果物と一緒に沢山買って帰った。夜は温野菜のパレードとなってしまった。日本から持ってきたマヨネーズと醤油を駆使して頂きました。義母達にこの食べ方は美味しいと勧めたが,顔を曇らせて受け入れてはくれなかった。

                 

                        ガイサノなどのデパートより格段に安い


この夜,神妙な顔の義兄から,とんでもない相談を持ちかけられたが,この事については「学資援助」と題して別項に記した。

                     


19日 (5日目)

早朝7:30の便で,マニラに出発。家内の田舎からマニラへは,一日1便でこの時間しかない。隣街まで行けば,日に何便か出ているのだが,2時間近くかかるので早起きしても搭乗したい。ただ,あまりに早くマニラに到着するので,ホテルのチェックインまで時間を持て余してしまうのが一番の難点だ。滞在したホテルに関しては「マニラ周辺(ホテル編)」と題して,別項に記した。

一段落して,EDZENに両替に出かけたが,その帰りにロハスブルバードを渡り,マニラ湾のべイウォークを楽しんだ。日本でTFCを見ていたので,おしゃれなストリートに変わったことは知っていたが,ほんとに綺麗に整備されている。夜にも出掛けたが,昼間よりムードがあって良かった。昼夜共に一人で行動したが,危険な様子は微塵も感じなかった。

                  

                        早朝からカラオケ・・・何考えてるんだか?


今回は子連れ旅行のため,家内はほとんどホテルで過ごす事を余儀なくされた。暇を持て余している私は,前述したとおり,必然的に一人で行動することとなったが,数年前に比べて,格段に歩きやすくなったと感じた。品のないロレックス売りの親父や,両替の客引きは相変わらずだが,以前感じたような,街全体に漂う危険なニオイが,薄れているように感じた。

15時過ぎ,昨年,家族揃ってバタンガスに移住した,友人のあきら君とその家族が,私たちの滞在するホテルに遊びに来た。あきら君のことは,何度かHP上でも取り上げたことがあるので,ご存じの方も多いと思う。本当は,私たちが彼の家に遊びに行くつもりだったのだが,先述したとおり,バタンガス地方は台風の影響で,停電状態が続いていて復旧の見通しが立たない状況のため,あきら君一家は,マリキナに住む奥様の姉宅に避難している最中なのだ。

                         

一番手前で女の子を抱えているのは,あきら君ちのメイドさんです。まだ14歳とのこと。彼女を挟んで左側がjungle一家です。


あきら君の奥さんは,日本語がほとんどしゃべれないので,彼らの会話は必然的に現地語になる。20代半ばの,物覚えの良い年齢だとはいえ,この1年の間に,日常的な会話ならば何不自由の無い位に,タガログ語をマスターていたのは立派だ。

タガログ語も堪能で,車を所有し運転も自ら行うあきら君だが,普段の生活エリアはバタンガスで,マニラ周辺の事情にはかなり疎い。マリキナからマラテに来るまでの間に,ナンバーの末尾規制に引っかかり,2回もプリスに掴まった。その都度P300/P500と渡し,逃れてきたそうだ。

思い出話が一段落つき,あきら君が帰りの道を確認したいとのことで,二人で周辺道路の散策に出掛けた。一人で歩いている時より,物売りから声を掛けられる機会が多く,日本人の男が二人だと,さすがに目を引くんだろうなと思った。

                       


20日 (6日目)

起床後,朝食を調達しに街に出る。ホテル近くのカンティーンで,ロングシログ(P60)他5食分を買って帰った。ホテルのルームサービスを注文したり,大勢のフィリピーナに囲まれて,食堂でモーニングといった日本人を多く見かけたが,お金持ってるな〜と感心してしまう。街に出れば,ホテルのモーニング1食分で,5人分の食事が摂れる。

                 

                 

                            小綺麗な店で,値段も安い。


昼食は,義母と義姉を連れて外食となった。家内は息子とホテルに残った。せっかくなので,少し奮発して美味しいものでも食べようかと何軒か廻ったが,義母達は普段レストランで食事する事など滅多に無く,店の前に立つと物怖じしてしまうようだ。というか,何を食べさせられるのか,口に合うのか不安なようだ。私が,「美味しいからチャレンジ」と勧めても,手を振るだけ。結局,朝食べたご飯が美味しかったので,その店に行きたいと言う。安上がりで良いのだが,朝も昼も大して代わり映えのない食事となった。

食事が終わって,甘いものでも買って帰ろうと提案し,二人をロビンソンに連れて行った。レッドロビンのケーキでもどうかと勧めると,義母が熱心にカウンターを覗いている。私は,夕方から家内の友人の誕生日パーティーに呼ばれていたので,プレゼントにケーキでも良いかな,などと思い選んでいた。暫くすると,義母がケーキを注文したらしく,店員が声を掛けてきた。支払いをしようとして金額を確認すると,P450!?なんで? 義母は,スライスではなく,ホールで注文していたのだ。確認すると,「そんなに高いのなら要らない,ちょっと言ってみただけ」との事。ここ2〜3年で,義母はかなり呆けてきた。ゴミを集める(捨てられなくなった)ようになったり,子供のように我が侭を言うようになった。脳梗塞を患ってから急激に衰えた,私の父と同じ症状だ。

さて,店員にそんな説明をしたところで,今更包装されたものを返す訳にいかず,結局買い上げることになった。義母には,「ケーキをホールごと買うのは,誕生日とか特別の日だけだ。このケーキは,友人の誕生日パーティーに持って行く」と伝え,改めてスライスのケーキを買って渡した。ホテルに帰って家内にその事を伝えると,すぐさま義母の部屋に様子を見に行った。案の定,大きいケーキが食べたいと,子供のように駄々をこねていたそうだ。家内はそんな義母を見て涙を流しながら戻ってきた。糖尿病他で,甘いものを制限されている義母に,あの超甘いケーキを丸ごとなんて渡せない。近いうちに,一度くらいは日本に呼びたいと考えていたが,この様子じゃ難しいなと,家内と話し込んでしまった。

暫くすると,家内の友人(国際結婚体験談 3.友達とのエピソード参照)がホテルまで迎えに来てくれた。彼女の家はケソン市にある。FXを数台所有している彼女は,送迎付で我々を招待してくれた。

                  

                  

                  

(彼女の家は,至る所にグリーンが置かれていて,とても落ち着く空間が演出されていた。椅子やテーブルなど,トータル的にコーディネートされており,現在,家を新築中の私は,大いに刺激を受けた)


他にも数名の友人が招かれていたが,女性陣は皆顔見知りだった。彼女達は皆パートナーを連れていた。紹介される度,私の方から手を差し出して握手を求めたが,日本人からこんなにフレンドシップに挨拶をされたのは初めてのことだと驚かれてしまった。

日本人と接する機会はほとんど無い彼等だが,マニラ周辺で見かける日本人のイメージが悪く(若い商売女を連れて,キンキラキンで威張り腐った嫌なヤツ)あまり良い印象を持っていないようだ。

この国に売春目当てで来る,前述した様な風情の日本人は,日本でも低クラスに属する人間であり,我々としても恥ずかしい限りだ。然るべき教育を受けた日本人には,決して当てはまらない。と,まともな日本人のために弁明しておいた。

とはいえ,フィリピンにも同じような人種は沢山居る。お互いに先入観を持たずに,自分の目で判断して付き合いたいものだと付け加えておいた。

                      
                          

21日 (7日目)

義母達は,ホテルでの生活があまり好きではないようだ。クーラーは寒いからと言って,スイッチを切ったままで窓を全開にしている。一方向の窓を開けただけでは,風は通り抜けないので当然暑い。外を歩こうにも勝手がわからない。都会の暮らしはどうにも性に合わないらしい。

昼近くになって,義母は「孫(マニラ在住)の家に泊まりたい」と言ってきた。私と家内は,以前姪の家に行ったことがあるので,とても狭くて寝るのは大変だと伝えたが,聞く耳を持たない。既に4泊分の宿泊費を前納しておいたが,急遽フロントに電話して,キャンセルを申し出た。12時までに部屋を空ければ,2日分の金額を返金するとのことだった。大急ぎで荷物をまとめて,義母達はチェックアウト。宿泊費の2日分,約P2900が返ってきたので,食事代としてそっくりそのまま渡した。

義母達を送り出した後,息子はお昼寝タイムとなり,私一人でロビンソンに買い物に出かけた。パナイ島のスーパーでもTシャツを買い込んだが,ここロビンソンは品揃えが違う。お気に入りのペンショップのTシャツを数枚買い込んだ。日本で買えば3千円以上する,ナイキやリー等の Made in USAのTシャツが,ここでは千円しないで買える。ジーンズもB級品ではないものが,2千円強で手に入る。結婚してからというもの,私の服は,ほとんどがフィリピンで揃えたものだ。

息子が目覚めてから,かねてから立ち寄りたいと思っていた『ねもとレストラン』に遅い昼飯を食べに出かけた。ここのお弁当のご飯は,とても美味しかった。マニラに来てから,まともな店で食事していなかったせいもあるが,思わず「日本の米みたいだね〜」と,声が出てしまうほどだった。ここのママさんは想像していたとおりの人で,如何にも肝っ玉母さんといった感じだった。息子を見て,「色が白いね〜」と話しかけてくれた。

               

               

                  移動はLRTで。このスタイルは,結構注目されます。

夜は,ロビンソン前の中華料理店で食事をした。この店は,3年ほど前に何回か利用した事があったが,今回メニューのほとんどが変わっていた。おつまみ系が少なくなっていたようだ。味はそこそこだが,価格はリーズナブルで,現地の人に人気がある。

               

               

                  海鮮焼きそば,野菜炒め,イカの辛炒め,サラダとライス。

ホテルに戻り,家内と子供が寝た後は,いよいよ私の自由時間。渡航前に調べておいた,ナイトスポットの探検に出かけた。フィリピンと関わる様になって,こういった夜の盛り場に出向くのは,今回が初めての経験となる。LAカフェ,アマゾニアから始まり,ヌードショーで有名なミスユニバーサルを見てきた。LAカフェやアマゾニアは,巷では援助交際カフェと呼ばれていて,中には18歳以下の少女も,売春目当てで訪れると聞いていた。どんなにすごい場所なのかと身構えて店に入ったが,印象としては普通のカフェバーといった感じだった。店に入った時間が早かったせいもあるだろうが,LAカフェの2階席などはほとんどガラガラ状態だった。ちなみに,私以外の日本人は数名見かけただけで,ほとんどが西洋人だった。あくまで社会見学として来たので,特に女性に話しかける事はせず,それぞれサンミゲルを2本飲んで退散した。その後,ミスユニバーサルへタクシーで移動。ヌードショー自体は,日本にある道頓堀劇場なんかのほうが,数段レベルが高く楽しめると思った。女性を連れ出すつもりはないので,自席に呼ぶことはせず,一人寂しくショーだけ(実際には周りの客の様子)を見ていた。あんまり遅くなると怒られるので,ここも1時間ほどで退散し,ホテルに戻った。

               

                

                           援助交際カフェらしい。

                     

  22日 (8日目)

起床後,何時もの様にベイサイド周辺の散歩に出かけた。毎度ながら,出勤前と思われる身なりの整った人や学生っぽい人が,オープンタイプのカラオケボックスでガンガン歌っていたのには驚く。とっても煩かったが,当人達はテンション高く,ノリノリだ。その後,いつもの店で朝食をテイクアウトしてホテルに戻った。

              

                 早朝でほとんど人通りがない中,カラオケが響く。



明日はいよいよ日本に帰る日。朝食後,お土産を買いに家族でロビンソンに出かけた。今回の旅行は子連れなので,移動の際は私が息子をおんぶをしたが,このスタイルはフィリピンでは珍しいようで,何処に行っても目立った。特にロビンソンでは,毎回売り場の女の子に囲まれるほど人気があった。家内が買い物している間,数人の女の子が取っ替え引っ替えで息子をあやしてくれた。息子もお姉さん達が大好きで,ぐずる事も無くて助かったが,その間接客は後回しになっていたので気が引けた。でも,他のお客さん達も,子供が絡んでいる事がわかると,仕方ないといった表情で微笑を浮かべていた。改めてこの国の人達の,子供に対しての寛大な心に感心した。

              

ベビーカーにおんぶ機能がついた,複合カートです。この格好で歩くと,ホント目立ちます。ロビンソンではアイドル並みの扱いを受けていた息子です。



夜は,ロビンソン内のカヤエクスプレスで食事をした。本店はマカティーにある。ここのスタッフは,とてもフレンドリーで,子連れの私達をとても気遣ってくれた。ミルクを作る際には,厨房まで使わせてくれた。ただ,料理はボリュームのわりにやや値が張るし,特別に美味しいとは言えない。ただ,雰囲気は良いので,安心して食事できるお店だ。

              

骨付きカルビ(P130)は,店員が目の前でハサミで切ってくれます。ただ,ボリュームが少ない。中央の黄金色の揚げ物は餃子です。この後,ボイルの餃子も注文しましたが,やはり日本の焼き餃子がいいです。



ホテルに戻って,息子が寝たのを確認してから,社会勉強の為,夜の街に出かけた。『不夜城』と『ザ・ジャパン』というカラオケのお店に出かけたが,どちらも日本のフィリピンパブと何ら変わらない。店の女の子は,ほとんどが日本で働いた経験があり,日本語はぺらぺらだった。いやほんと,家内より上手いんじゃないかと・・・。システム的には,どの店も10分:約P100といった感じで,大差ない。実際には,10分単位で加算されるわけではなく,60分や90分単位だが,それぞれが1セットP600とかP900と明記されている。女の子のドリンクはP200平均で,指名料も同額。今回遊んだ2店舗以外のカラオケ店も,店の外で配っているチラシを見る限りでは,ほとんど同額のようだ。

              

ここは,プロモーションで安かったですね。5月のお客様感謝デーと銘打って,一時間P200でした。これに税金が10%かかります。女の子の飲み物と合わせて,P500かかりませんでした。

              

『ザ・ジャパン』オーナーは日本人の方らしいです。ここら辺のフィリピンパブ形式のカラオケは,何処もフィリピン男性は入店禁止らしいです。ほんと,日本と同じスタイルです。



しかし,数年前に比べて日本人を目当てにしたお店が増えたものだ。やはり,今回の法規制の影響が相当出ている事を実感した。店に勤める女の子は皆口々に,もう日本へは行けないから・・・と漏らしていた。

                     


23日(9日目)

昨夜,ほろ酔い気分でホテルに戻ると,家内がまだ荷造りをしていた。Tシャツやジーンズを大量に買ったので,思った以上に荷物がかさばり,トランクが閉まらないという。何だかんだで,片づいたのは明け方になってしまった。

ベットに入りしばらくすると,携帯が鳴り響く。時計を見るとまだ6時だ。電話はマニラに住む家内の姪からで,義母達を連れてホテルのロビーに来ているとのことだった。孫の顔を早く見たいとせがまれて,連れてきたようだ。

義母達を部屋に招き入れると,大勢の人の気配で息子が目を覚ました。こうなると,もう,ゆっくり寝てなんかいられない。シャワーを浴びてから,コーヒーを飲みに散歩に出掛けることにした。

朝9時を回ったところで,PNBに立ち寄り,家内に頼まれていた定期預金と普通口座のアップデートを行った。家内はタレントとして日本に働きに来ていたが,その稼ぎの大半は,将来に備えて銀行にタイムデポジットしている。家内は,『家族のために自ら犠牲になって働く』という考え方を持っていない。私の周りには,家内の友人達も含め,こういった考えの女性が多い。

ミドルクラスではなくても,ボーダーの庶民階級は,この程度の経済観念を持っている者は多い。むしろ,そうではないと,頑な固定観念を持っているのは我々日本人の方で,特に仕送りに関しては,彼女と充分に話し合うことなく,はじめから月々の送金額を提示してしまうなど,先走る者が多い。現地の彼女(家族)の生活を見て哀れみ,日本と同レベルに引き上げる必要が果たしてあるのだろうか?私には理解できない。

「女房の家は貧しかったけど,俺と結婚する際,ビレッジに良い家を建ててやった。」「日本からの月々の仕送りで,一家全員養っている。フィリピンの家族は,中流階級以上の暮らしぶりだ」という話をよく耳にする。しかし,実際には,自分たちが稼いだお金で,そこそこの生活が出来るようにならなければ,彼等は庶民階級を抜けることは出来ない。あくまで,ジャパンマネーのヒモで怠け者。見た目の生活は潤ったとしても,教養が付いていかず,フィリピンの社会の中では,中流階級の仲間に入れないことを知らない日本人が多すぎる。ビレッジに高価な家を建ててあげるくらいなら,親戚の子供を全て大学に行かせるようなお金の使い方をした方が,将来的には余程ためになると,私的には思っている。

だいぶ本題からズレたので,軌道修正しよう。しかし,長期間預けている定期は,ビックリするほど高額な利子が付いていた。家内の言うとおり,次回の旅行に備えて,ドルやペソ建てで幾らか貯金を始めても良いかなと考えてしまった。為替の状況を見て検討したい。

散歩から戻って,皆でロビンソンに行き,遅い朝食を食べた。6人で食事をすると,チョウキングのようなファーストフードでもP500くらい掛かる。人数が多い場合は,キッチンタイプの部屋を借りて,自炊するのが一番安上がりかもしれない。食後はナショナルブックセンターに立ち寄り,フィリピンの国旗を買ってホテルに戻った。現在家を新築中だが,完成したら軒先に吊るそうと考えている。

空港へは,姪の亭主がFXのドライバーをしているので,その車で送ってもらった。道中,義母が息子の手を握りながら涙を流していた。空港で記念写真の時も,なみだ・なみだで,挙げ句に帰るなと大声で泣き出した。渡比前から,9日間だけの滞在であることを告げていたが,義母は,私だけ先に帰り,家内と息子は,またパナイ島に戻ると思っていたようだ。

この里帰りを計画した時,家内は「9日間じゃ短いよ。久しぶりだから,そんなに早く帰るとママやみんなが怒るよ。2週間くらいはゆっくりしたいから,パパが先に帰りなさい」と言っていた。私は家内がいないと,家の中の何処になにがあるのかまったく分からない。そんなに家を空けられたら,生活に相当な支障をきたしてしまう。「絶対にダメ!」と言い聞かせたが,内心は,現地の状況によっては,少しくらい帰国日を延長してやっても良いかな。と考えていた。

ところが家内は,息子の下痢をきっけに,フィリピンの(家族を含めた庶民階級の),衛生面や病気に対する考え方や教育方針に,今の自分たちの暮らしと,あまりに開きがあることを今更ながらに気が付いて,乳飲み子を連れてゆっくりなんてしていられないと,一刻も早く日本に帰りたいと旅の途中で言い出した。そんな訳で,結局,航空券はエクステンションせず,予定通りの帰国となった。

             

                       義母が大泣きしています。

             

                    帰りの飛行機の中で,はいポーズ!!



旅行後記 (永住はやめた!?)

今までの記事でも度々触れているが,今回,息子を連れての旅行で,フィリピンの良いところ,悪いところが浮き彫りに見えてきた。そして,私達夫婦のフィリピンに対する思いも,結婚当初と微妙にずれてきた事を,改めて感じる事が出来た。

今までは,「いずれ永住しよう」「ビレッジに家を建てよう」「骨を埋めるのはフィリピンだ」と夫婦で永住の夢を語っていたが,その熱が冷めてきたのだ。どちらかというと,家内の方がより現実的で,子供が生まれてからは,日本で教育を受ける方が良いと考えるようになった。そして,その証として日本に家を建てることにしたのだが,今回の旅行では,その選択に間違いはなかったと,夫婦で確認することが出来て,非常に有意義なものとなった。

ただ,私達はフィリピンの良いところや悪いところだけではなく,日本の良いところや悪いところも知っている。せっかく国際結婚したのだから,老後の暮らしについては,両方の国の良いところだけを授かりたいものだ。私は寒いのが苦手で,冬の時期は本当に辛い。春・夏・秋は日本で暮らし,11月下旬から翌年の4月初旬まではフィリピンで暮らすという,2重生活を楽しみたいと思っている。

その事を家内に話したら,大いに賛成してくれた。「家を建てるのではなく,アパテルなどで長期滞在した方が負担が少ないし,毎回違う場所で暮らすことが出来るね」とか「時には他の国で越冬しても良いね」なんて,最近は永住とは違う夢を育てている。

その夢に向かって,先ずは家のローンを早期に返却しなければ・・・。私達夫婦には,かけがえのない息子がいて,その将来を守らなければならない。そして,二人だけの老後の夢がある。それらを実現するために,私達家族(夫婦)は,強い絆で結ばれているのだと,再確認できた旅行だった。

追伸
今回,マニラ周辺を歩いていて,物売りやぽん引きが,フィリピン在住の日本人で,HP運営をしている人の名前(ニックネーム)を使って,「○○さんの知り合いだから大丈夫!」とか「○○さん,知ってる?良い女紹介するよ」と言い寄られることが数回あった。その人物が実際に裏で手を引いているのかは定かではないが,私個人的には,身元がはっきりしない,マニラ(在住の/で知り合った)日本人が一番危険だと思っている。皆さんも十分にご注意下さい。

                        




特別編


1,家内の家族



現在の家内の実家(本家)は,結婚後家内が日本に来るためのVISA待ちをしている間に,家内の貯金と私の出資金を併せて,コンクリート造りの2階建てに建て替えたものだ。名義は,当然家内の名前になっているが,実質的なオーナーは私であることを家内の家族は承知している。したがって,私がその家に帰る時は,当然主としてふるまう。

                    
 
                         久しぶりの家内の実家,赤い屋根がひときわ目立つ。


その家の1階には,次男夫婦とその子ども達が住み,2階には私達の部屋があり,他に義母と未婚の義姉の部屋がある。他の空いた部屋には,事情がありシングルマザーとなった姪が,子供と一緒に居候している。義父は私たちが結婚する前年に亡くなっている。義母の面倒は,家の近くに住んでいる他の兄弟・姉妹達が,代わる代わる世話を焼きに来ている。彼ら義兄弟・姉妹とその家族達の成人者は,肉体労働が主ではあるが,それぞれ皆仕事に就いており,贅沢は出来ないが食べていく分には困っていない。

家族の生活ぶりは決して良くはないが,この貧しい部落の中に限っての家柄はさほど悪くはなく,3人の男兄弟中,2人は州立の大学を卒業しており,教育を受けた本家の男衆が,代々バランガイキャプテンや相談役を歴任している。また,近所にバランガイホールを兼ねた教会(普段はバランガイ住人に開放していて,初めて家内の実家を訪れたときは,近所の住人の葬式がここで行われていた)も所有していて,フィエスタのミサは毎回此処で行われる。近所にバランガイホールを兼ねた教会があるのは知っていたが,実は今回の渡比まで,此処を我が家が所有しているとは知らなかった(家内がよく「うちの教会」と言っていたが,実家の近くにある教会のことを指して,そう呼んでいるのだろうと思っていたのだ)。義母は熱心なカトリック教徒で,毎朝ここで祈りを捧げている。

                    

                    

                            この建物も,一族の所有物件でした。


私達が結婚する際,随分と大勢の人達(総勢80人)がニノンニナンになるもんだなとか,我が家のフィエスタは毎年大がかりだなとか思っていたら,何のことはない,バランガイの選挙を見越した選挙活動の一環で,義兄達の売名行為だったのだ。これで今までの謎が解けた。幾らフィリピンとはいえ,単に我が家のイベント如きで,毎回何百人もの人が集まるわけがないよな。しかし,フィエスタはともかく,我々の結婚式まで利用されていたとは・・・まったくたいしたものだ。

義兄弟達は一応の学歴はあるが,一旦バランガイを離れて街に出れば,所詮田舎の公立学校を卒業した低クラスの家柄の出身者であり,ビレッジに住む私立の学校で教育を受けたミドルクラス以上の家柄で育った同年代の者達と比べ,秩序の遵守や道徳心の習得が不十分であり,その隔たりを覆すことは出来ない。そして,与えられる仕事も限られており,必然的に肉体(準肉体)労働が主となり,収入も低い。

さて,久しぶりに見る義兄弟・姉妹の子ども達は皆大きくなっており,それぞれの性格がはっきりしてきたことに驚いた。向上心があり,勉強に励んでいる子どもは挨拶もしっかり出来ており,それなりに通用するマナーを持ち合わせていて好感が持てたが,そうでない子どもの中には‘なにも子ども相手ながらに’とは思うが,嫌悪感すら抱く者もいた。その差は,年齢が高くなればなるほど顕著に表れ,大学に通い高等教育を受けている者とそうでない者との差は更に大きく感じられた。皆ひとまとめに,小学校の時は陽気にはしゃぐ姿が愛らしかったのだが・・・。

                     

                               けんいちが一番小さい子供です。


今回の滞在中,私は,初日から家族達に対して,その行動に今まで以上に口を出すようにした。特に義兄・義姉の子供達に,この家(建て替えた家のこと)の主が誰なのかを再認識させ,私達家族のポジションを確立するように努めた。子供達の中には,この家の名義が義兄(次男)のものになっていると思っているものがいたり,居候している姪の子にいたっては,「僕のパパが建てたんだ」と思いこんでいる始末だ。今後のことを考えて,子供達の世代にも,今から事実関係をはっきりさせておく必要があった。

食事に関しては,今までは美味くても不味くても,出されたものを黙々と食べているだけだったが,今回は食料の買い出しにも同行し,調理方法や食べる時間なども細かく指示した。口に合わない味付けには,その旨はっきりと伝え,日本から持ってきた調味料で味を調えさせた。私達家族と食事を同席できる者は,義母と義兄ら数名だけで,私の食事が終わらなければその他の者は食べることが出来ない。これは今までと変わらないが,毎度ながらに遠慮して,そそくさとテーブルを離れるようにしていた(私が離席すれば,家内が残っていても他の者は食事できる)が,今回はさも当然というような感じで,堂々と席に着き食事を楽しんだ。

けっして威張ろうと思ってやっている事ではない。あくまでけじめを付けようと思って取った行動である。そんな私の態度に周囲の者も気がつき始め,今までのあくまで客人といったもてなし方から,ワンランクアップした接し方に変化していった。客としての接し方とどう違うかというと,かなり微妙で言葉にするのは難しいのだが,確かに今までとは違った皆の様子を,肌で感じる事が出来た。


次回に続く・・・

                        


2,衛生面の意識

渡比すると,滞在中に一度は経験するのが下痢。私はお腹が弱いほうで,衛生管理された水で精製された氷以外が入ったジュース類や,かき氷などを口に入れると当たってしまうようだ。ところが不思議なもので,それで免疫が出来るのか,一度倒れてからは,同じ物を飲食しても大丈夫になる。ただ,回復するまでには2〜3日かかるので,今回は子連れということもあり,体調管理には充分気を遣っていたのだが,2日目の夜中に水溶性の下痢症状になってしまった。

いつものように腹痛は伴わないが,1〜20分毎に便所に駆け込む始末だ。症状があまりにも酷いので,家内が近所のサリサリに薬を買いに使いを出した。(こんな夜中だというのに,ちゃんと調達してくるところは大したものだ)これが結構効く薬で,下痢症状は和らいだが,完全には止まらない。

                   


この薬が良く効く。ただし,無理に下痢を止めない方が良い場合もあるので,服用に関しては,充分な注意が必要だ


翌日には,我が家のフィエスタがあり,親類や近所の方達が集まってくる。接待が忙しくなるというのに,どうしたものか。結局,ほとんど一睡も出来ないまま,9時から教会で行われた我が家のミサに出席し,神父様を家に招いて食事を振る舞った後に倒れてしまった。この頃には下痢は治まっていたので,夕方まで起きることなく眠ってしまった。

渡比前に,わざわざ日本から電話を掛けて用意させた,とっても楽しみにしていたレチョン。夕食用に私の分を残しておいてくれたが,食欲が無くて結局食べることが出来ずじまいで終わってしまった。

                   

                   

                          楽しみだったのに,食べず終い・・・


ほぼ同時進行で,息子にも下痢症状が現れた。こちらはさほど酷くはなく,日に3回くらいだ。口に含む水は,全てミネラルを使用しているし,離乳食は日本から持ってきたレトルトなので,飲食物が原因とは考えずらい。考えられる原因としては,日本から持ってきたおもちゃを珍しがって皆が触っていたが,汚い手で弄りまくったそのおもちゃを口に含んでしまったり,差し出した指をしゃぶったりした事だと思う。

その他,家族の中に風邪を引いたものがいたが,常識的に考えて乳幼児にうつさないようにと配慮するものだが,おかまいなしで近づいてくる。衛生面に関しての意識は,やはり低クラスの家庭では,ことのほか低いのが現状だ。

渡比前に,「向こうでは子供の面倒を見てくれるヤヤが一杯いるから,少しくらい預けて,二人でバカションを楽しもうね」と言っていた家内だが,自分の子供が出来て,改めてこちら側の意識の低さに気が付いたようで,信用して任せるなんて出来ないと,バカンスどころではなくなった。

家内は今回の旅行で,子育てをはじめとして生活する上では,安全面がしっかりしていて衛生的な日本が一番暮らしやすいと,改めて実感したようだ。成田について開口一番,「やっぱり日本が一番,ほんとのお家に帰るよ〜」と息子に話しかけていた。国際結婚をしている私達にとって,今回の旅行を通して得たものは,思いのほか大きいものとなった。

                         


3,日本人と結婚したがる姪


元来フィリピン人は,同じ家柄や身分の者と付き合い,そして結婚相手に選ぶ。同じような環境で育った者同士であれば,考え方の行き違いは少なくて済む。極端な例だが,都市部に住むホワイトカラーのエリートフィリピン人が,女衒で働くウエイトレスやホステス等と恋愛関係になるといった話しは聞いたことがないし,万一そうなったとしても,親は絶対に結婚を許可しないだろう。プリティーウーマンの様な夢物語は,フィリピンにおいては現実的には皆無である。

海外へ働きに出ているタレントをはじめ,低クラスの家庭で育った娘達は,そんなことは十分に承知している。自ら海外で稼いだお金や,送金で得た金でミドルクラスと同程度の生活を送ることは可能だが,金があるだけではフィリピンの社会においては,その家族をミドルクラスとは認めてくれない。単なる品の無い成金でしかないのだ。職業が安定している良家のご子息と結婚し,専業主婦の生活を送るなんて,夢物語なのだ。

同じような身分の者との結婚となると,当然相手の男性は職がない場合がほとんどで,たとえ仕事をしていたとしても,給料は安くて食べるのに精一杯といった状況だ。当然,家計を助けるために自分も働かなければならない。前述したように専業主婦なんて,夢物語なのだ。そこで,貧しい彼女たちが考えたのが,外国人との結婚ということになる。

身分的な事に対して古典的なフィリピン社会に比べ,戦後国民総中流家庭の意識で育った,我々日本人をはじめとした先進国の同世代の若者達には,そういった家柄や歴史に拘りを持たない者が多い。そんな彼等の中には,国境を越えた出会いを探しているものも多数存在しており,まさに両者の思いが一致した状況で,国際結婚が成立している。

なかでも,日本は住みやすく安全な国であり,高等教育を受けた優しい男性が多いということは,彼女たちに広く知られている。田舎育ちの姪ですら,はじめからそういった知識は持っており,私と結婚して幸せに暮らしている家内を間近に見て,益々思いを強くしたようだ。

家内の出産時の様子や,日本での生活ぶりを義母に見せるため,撮り溜めたビデオを持って行ったのだが,その中に私の友人が映っていて,それを見た彼女が気に入ったらしく,紹介して欲しいと言ってきた。せがまれてお見合い用の写真を撮り,日本にいる私の友人に見せる事を約束した。

                       

                      

                         25歳の姪 肌の色は黒い


姪は今年25歳になるが,背が低くてこぢんまりしているので,見た目より幼く見える。本人曰く,今まで男性とお付き合いした経験は無いらしい。帰国後,約束通り友人に写真付きで紹介したが,どうなることやら。

                      


4,学資援助


私達夫婦は,結婚してから今日までフィリピンの家族に仕送りという事はしていないし,今後も彼等の生活の糧としての現金を送金するつもりはない。結婚して独立したのだから,『自分たちの生活を最優先させる』というのが一般的な常識だと思っている。

何を勘違いしたのか,「フィリピン人と結婚するということは,その家族全ての面倒も見ることだ」という人が偶にいる。結婚の条件に,日本人側が月々の仕送り額を提示するなんてことも聞く。稼ぎ頭を嫁に貰ったんだから,彼女が働けなくなった分は,代わりに面倒を見るのがスジと考えているようだが,私には理解し難い。私は家内を愛して結婚したのであって,家族と結婚したわけではない。

独立してまで家族の面倒を見なければならない道理は,何一つ無いと思っているし,家内もその意見に賛同してくれたので,夫婦になった。これは,私側の家族に対しても言えることで,私は両親や兄弟よりも家内と息子を優先するし,私の両親もそうあるべきだと言ってくれている。

家内の家族達には,努力せずして人から施しを受けることは,プライドの無い恥ずかしい行為だという事を,常日頃から家内を通して話をしているが,ミドルクラス以上の家柄であれば常識的な事でも,時間をかけて話しをしないと納得出来ない(すぐに忘れてしまう)のが歯がゆい。

相談メールの中でも,常時トップ3に位置する『送金』問題。相談者には,奥さんにこう質問するようにと勧めている。『一番大事なのは,フィリピンの家族なのか,私(御主人)のことなのか』と・・・。『どっちも大事』と曖昧に答え,毎月5〜6万円もの多額の送金を止めようとしない奥さんの大半は,しっかり手綱を取る事が出来ない御主人の責任だと思う一方‘イミテーション’だなと直感する事も多い。我々日本人の常識で構わないので,よく考えてみて欲しい。『どっちも大事』で,貴方は納得できますか?。

話しが大分脱線したが,前述したとおりそういった私の意向は,義兄弟達に行き渡っているので,無茶な要求をされることは無いのだが,今回義兄(次男)からとんでもない相談を受けてしまった。その内容は,息子が私立大学の2年生に進級するのだが,学費の援助をお願い出来ないかと言うものだった。

大学は1学年2学期制で,1学期に付き1万4千ペソ(約3万円強)かかると言う。大学への入学金や昨年度の授業料は,次男夫婦が共働きしてなんとか用意したが,相当きつかったようだ。そりゃ〜そうだろう。年間2万4千ペソ(約6万強)は,我々日本人でも気前よくポンと出せる金額ではない。

家内を通訳にして,義兄と1時間程話しをしたが,私の腹は決まりかねていた。本来なら,父親と一緒に頭を下げに来るべきところなのに,肝心の息子をこの場に同席させていないのだ。家族の前で私に頭を下げる所を見られるのが恥ずかしいのか,その真意は計りかねるが,6万円という額は前述したとおり,日本人でもひとつ返事で出せる金額ではない。ましてフィリピン人の彼等にしてみれば,とてつもない金額になる。そんな重大な話しをしているのに,そういった配慮や緊張感が感じられないのだ。

私は,煮え切らない思いを義兄に伝え,息子を呼ぶように伝えた。私がこういったセッティングを快く思っていないという事をようやく察知したのか,今度は母親も同席して,彼等夫婦が息子を囲むようにして話しが再開した。まんま,小学校の入試面接風景といった感じになった。

まず義兄の息子には,授業料が高額であることを理解しているか尋ねた。そして,その授業料に見合うだけの勉強をしているのかを確認した。彼は,成績表を持ってきて,頑張っている旨をアピールする。そして,授業料は確かに高額だけど,自分のやりたい勉強はこの学校でしか学べないと話した。

将来のビジョンもある程度持っているし,まっすぐな彼の性格を改めて確認出来たので,家内と相談して援助することにした。しかし,おんぶに抱っこの全額ではなく,両親の努力を必要とする半額のみとした。前期7千ペソと後期7千ペソの(年間)計1万4千ペソ(約3万円)を援助する旨伝えた。義兄は「それで充分だ,申し訳ないと思っている」と頭を下げた。

援助するに当たって,「知識や教養を得ることは,豊かな人生を送るために必要不可欠な事」「途中でリタイアしない事」「叔父の私に感謝するのは勿論だが,プライドを捨てて私に頭を下げたお前の父親に充分感謝する事」を,本人の顔を両手で挟み,私の顔に引き寄せて目を見据えて伝えた。

実は,私はもう一人,州立大学の3年になる,義兄の息子を就学援助している。その子は私が目をつけて,入学当初から面倒を見ているが,非常に真っ直ぐに成長しており,今後が楽しみな青年である。滞在中は常に私の側に付き,あれやこれやと気を利かす。機転が利くのが有望だと感じている。彼の学費は,州立大学ということもあり1学期に付き3千ペソ位である。来年卒業となるが,上手く就職が決まれば良いと思っている。

そんなわけで,今回の義兄の申し出により,私は2名の青年の学資援助を行うことになった。この事は,義母や義兄弟・姉妹にも伝え,私は,闇雲に出し渋っている訳ではなく,十分に吟味して,必要と認めた事項については,やぶさかでは無いことを伝えた。ただし,今回2名の学費援助を行うことで,家計的には一杯々となるため,当分相談は受けられない旨を,忘れずに伝えておいた。

               

                  私が修学援助している義兄の息子達(両脇の白いシャツ)


読者の中には,たかだか年間3万円,もう一人の学費を併せても,4万円強じゃないか。‘jungle’は,ずいぶんとケチくさい男だなと思われる方がいるかも知れない。しかし,たかが4万されど4万円。これから家のローンを払う私にとっては,大きな痛手となる。私にとって,血の繋がりのない彼等の為に支払う金額としては,高額の部類に入る。これはもう,個々人の金銭感覚の違いと思って頂きたい。

                      


5,マニラ周辺(ホテル編)


宿泊したホテルは,馴染みの深いエルミタ・マラテ地区にある,ロットマンホテル。定宿にしているリビエラマンションの関連ホテルで,リビエラがマビニ通りに面しているのに対して,ロットマンはアドリアティコ通りに面していて,背中合わせに建っている。料金は,デラックスツインで1420ペソで,リビエラの1650より安い。サービスはほぼ同じと考えて良い。今回,田舎から義母と義姉を観光がてらに連れてきたので,同じクラスのツイン部屋を2部屋チャージした。

               

                     知る人ぞ知る,格安のロットマンホテル。


実は部屋を取る迄には,少し問題があった。毎度の事ながら,ホテルの予約は現地飛び込みで行っているが,最近マニラのホテルが非常に混んでいると聞いていたので,パナイ島に着後,ホテルに予約を入れることにした。ところが連日満室とのことで,当日キャンセルが出れば泊まれるが,予約は受けられないと言われてしまった。それならば,空港着後にホテルに直行し,ロビーでキャンセル待ちさせて貰う事とした。

ところが当日ホテルに行くと,他にもキャンセル待ちの人が多数いて,ロビーでのキャンセル待ちは出来ないと言われてしまった。しぶるベルボーイを押し退け,フロントに抗議。数日前に予約の電話を入れたら,「今は満室だけど,当日ロビーでキャンセル待ちすることは大丈夫」と言われたことを伝えた。そして,インターネットを見てこのホテルに決めたことや,老いた義母が待っていることを伝えると,根負けしたのか許可が下りた。
それから待つことわずか1時間,受付の女性が私達を優先して部屋に案内してくれた。

アドリアティコ通りに面した部屋と,マビニ側の部屋を用意してくれたが,お勧めするのはアドリアティコ通りに面した部屋だ。7階にある部屋だったが,明るく眺めが良く気に入った。ただ,マビニ側の部屋に比べて,エアコンやインテリアが古く,装備の面では劣っていた。マビニ側の部屋は,絨毯も綺麗で装備も新しく快適だったのだが,正面がビルの裏側になっていて,外階段にいつも男どもがタムロしていて,時々こちら側を覗いている。防犯上もあまりよろしくないので,部屋を予約する時は『アドリアティコ通りの部屋』と注文した方が良いだろう。

               

                     アドリアティコ通りに面しています。


               

                 前には RITZ スパがあります。非いやらし系です。

               

                    ホテルの横は,有名なサンボアンガレストラン。

               

ホテル正面の,日本食レストラン「歌舞伎座」。でかいスピーカーで,付近の迷惑省みず,演歌を流しまくっていました。

    
あと,このホテルのボーイや客室係の女性は,テキパキと仕事をこなして,チップを渡す間もなく部屋を出て行ってしまう。安いホテルだが,教育は行き渡っているようで,非常に好感が持てた。