Mr.Gのセブ島ジャーナル
![]()
SINCE 2005/01/05![]()
|
|
19,カルチャーショック−日常生活の中に見る相違から(その1)
さて、私のセブ島生活も今年で丸5年となり、そろそろ6年目に突入しようとしています。取り分け、直近の1年間は、様々な事情の為、1度も日本に帰っておらず、最近では、日本とフィリピンの違いについて、特に気にしないで、‘そんなもんでしょ’…と言った感じで過ごしております。しかし、正直な所、最初の2〜3年間は、日々、‘?’、‘!’、‘?!’…な出来事ばかりで、結構大変でした。
今回と次回は、その当時に私が仕事の都合、その他諸々の事情で綴った記録を参照しながら、また、最近経験した事もまじえながら、日常生活レベルの‘日本とフィリピンの違い’について触れて見ようと思います。
ただ、最初に、まず、お断りしておきたいのは、以下の文書の中に、特に衛生環境他の問題点を述べますが、それが比国全てに当てはまる事柄と言う事ではありませんし、そんな状況になってしまっているのは、通常の日本人には最早、理解できないレベルの貧困が最大の原因であり、‘本当に貧しいと言う事は、こうした事なのだ。’と言う事、或いは、気候風土、環境の違いが、人間の思考・行動にも大きな影響を与えている事を理解する為に、または、将来の移住の際のショックを和らげる為に、このレポートがお役に立てればと考えております。
1.トイレ・水周り事情から−下の始末−
最初の段階で、一番苦労したのが、トイレ・水周り事情です。私の場合、英語圏(先進国に限る)の海外生活は、これが初めてと言う訳ではなくて、トイレを含む水周りの事については、日本は‘超先進国’とも言うべき、世界にも他に例を見ないほど、過剰な設備(?)が整った国である事は、前々から認識はしておりました。(10年位前には、日本の‘噴水付トイレ’の話なんかをアメリカ人、カナダ人あたりにすると、それはもう、‘大うけ’でした。‘何でそんなに笑うの?’と言うくらいにね…。)
それに対して、他の発展途上国の状態がどんなであるか、私には全く経験が無いので、何とも言えない部分ではあるのですが、ここセブへ来て、痛感したのは、人間生活の基本とも言える、‘下の始末’についても、日本人の感覚をそのまま持ち込むのであれば、相当に不自由しなければならない(無頓着に、日本で当たり前としている事柄が決して当たり前にはならない)…と言う事です。
さて、日本の諸物価は世界的に見て最高水準にあるのは間違いないのですが、実は、トイレットペーパーや箱ティッシューと言った紙類の価格は、私の経験の範疇で述べるなら、日本に比べて、比較的物価が安いと言われているアメリカ合衆国やカナダの方が、かなりの割高となります。ここフィリピンでも、実は、それと同じ傾向があって、ここの諸物価は通常、日本に比べて、ぐっと低いわけですが、紙類については、割高ではないかと感じております。(例えば日本の‘100円ショップ’で買える箱ティッシューと同等のモノをここで買おうとするなら、100〜120円程度かかります。)
そんな事情から、日本人が、日本でして居るように、極当たり前に、トイレで紙を使うような感覚と、日本人の平均20分の1以下の所得しかない比国の庶民の‘紙使用’の感覚は、かなり違っており、こうした紙類はどちらかと言えば、ある面必需でありながら、(特に庶民層には)贅沢品として捉えられているような所があります。
そんな訳で、少なくともセブでは、一般的な公衆便所に入っても、紙類の備え付けは無くて当たり前。高級ホテル、レストランのトイレに入れば何とか、‘日本並みの環境’が整っている…そんな感じです。ショッピングモール等でトイレを使えば、紙類の備え付けはなくとも、トイレットペーパー(と言うよりも、ポケットテッシューの類ですが…)の自動販売機が備え付けてはあります。まあ、ここまでの御話であれば、そう言えば、アメリカの辺りでも似たようなモノだったかな、或いは最近の日本の駅の公衆便所でも似たようなモノかな…で済むのですが、庶民〜貧困層の辺りのレベルにまで御付き合いしてみると、もっと凄い事を経験します。
(また、余談ですが、近所のサリサリ・ストア辺りを覗いて見れば、トイレットペーパーは、バラ売りが主流です。日本のように12ロール単位の‘パック詰め’は、大手スーパー等へ行けば、あるにはありますが、そうしたモノは、最低でも日本円換算で230円程度はかかるので、庶民レベルでは、おいそれとは購入できない事を意味します。また、シャンプー、リンス、石鹸、洗濯、食器洗剤と言った品々も、小口売りが主流で、日本で良く見かける、シャンプー、リンスの‘1リットル以上の大型ポンプタイプ’は、通常、ここでは、手に入りません。例えば極普通の200mlのボトル入りシャンプーは、70ペソ程度−日本円換算で140円程度−かかり、この金額は庶民にとっては‘重い’ので、彼らは通常、10〜12mlのパック入りシャンプー−日本のスーパー銭湯で良く見かけるモノより若干小ぶりです。−をサリサリ・ストア等々にて、4ペソ程度で購入するのが主流になっています。通常、日本をはじめ、先進諸国では、‘大口買い’をした方が、最終的には安価になると言うのが半ば常識ですが、ここでは小口パック売りの流通量が圧倒的に多いせいか、この原則は必ずしも当てはまりません。パック入りと通常のボトル入りを、例えば、100ml当り幾らになるか、換算比較すると、ボトル入りの方が若干高い場合もあります。要は、ボトルで纏まった量を買う人間が圧倒的少数派になるのと、日本では、あり余ってゴミになってしまうだけのプラスティックボトルにも、ここフィリピンでは、それなりの付加価値があるような雰囲気です。)
さて、貧困層のトイレ事情について御話をしますと、まず、公立小学校、高校で、トイレの水が完全に止められているケースに出くわす事が非常に多いです。何故?電話料金をはじめとする所謂、‘公共料金’を学校が平気で滞納してしまうので、最後は止められる。或いは、最初から予算が無いので、教職員のトイレを除いて、生徒用のトイレの水は、大元の給水栓を閉めてある…こうした事情からです。(ちなみに、公立学校の教師の給料すら、遅配される事も、ここでは珍しい事ではありません。何をどうすれば、‘そうなる’のか、私には判りませんが…。)
それに類する話として、2年ほど前、日本で言う‘市民病院’へ急性虫垂炎で入院した貧困層の高校生のお世話をした際など、病室の患者用トイレの水が止められていた…(病室だけの話なのか、病院全体の水の手が止められていたのか−それは不可能だと私は思います−は確認できませんでしたが…。)そんな事もありました。
しかし…患者の付き添いが、身動きの出来ない入院患者のオムツの取替え等々、‘下の世話’をした後、一体どうするのか?その時、そんな疑問を私はもったのですが、何の事はない。彼らお得意の‘イソプロピルアルコール’の小ボトルを持ち歩いていて、手指の消毒をしておりました。…それでも、やっぱり水は必要でしょ…と思う私はやはり日本人なのでしょうか?まあ、そうした事と関係があるのかないのか、虫垂炎で緊急手術をした、‘その患者’は、術後、しばらく経って、患部が痛むと言う事で、再検査を受ける事になったのですが、結果、その傷口が中で化膿して、所謂、‘感染症’を起こしていたのです。…そんな経験した後で、私はどんな事があっても、この国で公立病院には入院する事は避けたい…そう思うようになりました。
話は変わって、私は仕事の都合で、政府の土地(地主不在の土地を指します)に地方からの流民たちが不法占拠して構成される街にも度々、足を踏み入れる機会があります。(そうしたエリアの住民をsquatter−スクアター−と呼びます。セブ市周辺では、Pasil−パシル−やSawang Calero−サワン・カレロ−周辺の住民が、その代表格です。彼らは、フィリピン人の中でも、最下層の極貧層とも言うべき階層で、中流以上の比人になると、こうしたエリアに足を踏み入れる事を嫌がります。また、タクシーを拾って、そうした場所に連れて行ってもらおうと試みた所、運転手に拒否された事は、1度や2度ではありません。)そうした場所での、トイレ事情は、もっと酷くて、彼らの大多数の家には、基本的にはトイレがありません。“そんじゃ‘下の始末’は、どうするの?!”と、私も、そうした話を初めて聞いた時には、‘ある種の衝撃’を持って受け止めたのは、皆様と同じでした。
大体、こうした集落には、下水の敷設もまともにされておらず、生活排水は基本的に垂れ流しです。で、肝心の‘下の方’はと言うと、これも実は垂れ流しです。特に‘小’はそうです。‘大’の方は、裏路地に入って、そこで‘して’そのまま放置するか、よく出来た人(?)であれば、日本で言う、‘スーパーやコンビニのレジ袋’を下において、その上に‘して’、袋の口を閉じて、然るべき所へ捨てる…そんな感じの対応になっています。
そんな風ですので、‘そうしたエリア’へ足を一歩踏み入れると、よく晴れて乾燥した日でも‘異臭’が漂っておりますし、雨天、雨後などには、絶対に近付かない方が良いでしょう。何故?これは先に述べた下水・排水施設の不備(…と言うより、元々、そうしたモノが存在しない場合もある)により、ちょっとした雨でも、‘大洪水’となり、そこいらにある‘汚物’を巻き込んで、辺り一面に撒き散らしてしまうからです。こうした場合には、冗談抜きに、各種伝染病・感染症への警戒が必要になるのは、言うまでもありません。
そんな訳で、そうしたエリアに足を踏み入れて、私が何時も考えるのは、私自身のあらゆる意味での‘身の危険’の事もさる事ながら、こうした環境に住まなければならない人々の境遇です。人によっては、“彼らは、そうした事には慣れてしまっているし、体質的に強くなっているから、大丈夫なんじゃないの?”と言った意見を述べられますが、それは反面事実のようであっても、実はそうではないと私は思っています。その証拠に、こうしたエリアにはポリオ等に起因する障害で、体が麻痺をして、家の中で、寝たきりになっている人々が非常に多いですし、(実は、医者にすら、かかれないから、その原因が良く分かっていないケースの方が多いのですが…。)先天的に奇形をもった人々が本当に多いと、一目で見て分かります。そうした事について、ちゃんとした統計をとったなら、奇形等の問題の発症率が極めて高い事が、きっと明らかになると、私は思っています。
また、人間が、そうした‘異臭’の中に長く居れば、脳の調節機能が働いて、‘臭っている’と言う事が、顕在意識には上がって来なくなりますが、(*所謂、鼻が‘馬鹿になっている’状態。)その実、知らず知らずの内に、その異臭による‘刺激’が、脳にストレスを継続的に与える事になるそうで、それが長期に及べば、健康被害等々に繋がる…そんな話も聞いた事があります。そうした事を考えると、実は、こうしたエリアでの犯罪の多発、精神異常の発症(実は、これも、ちゃんとした統計があるのかないのかは知りませんが、確かに、‘スクアター’の間には多いと感じます。)の一因になっていはしないか…そんな疑いをも、私は持っています。
更に、こうした地域では、水道の敷設が、かなり限定的になっているので、偶々、水道くらいは引ける経済力をもった人間が近所にいれば、そうした家庭の水道水を、例えば、1リットル容器一杯当たり、0.5ペソとかで買っているケースが多分、多数派になりますし、‘酷いヤツ’になると、夜陰に紛れて、他所の水道管に細工をし、自分の家に、水を引っ張って来て、ただ使いをする、‘盗水’と言ったケースも見られます。(*また、これに類する行動として、‘盗電’もありますし、ちょっとハイクラスな所ではCATVの線に細工をして視聴料無料で有線放送を楽しんでいる輩もおります。余談ですが…。)
ただ、こうした‘盗水’には、シャレにならない副産物がありまして、彼らが水道管に細工をした際に、水道管に傷をつけてしまうか、支管の繋ぎ方が悪くて漏水しているケースがままありますが、前出のような‘洪水’の際には、この不具合のある箇所が、汚水に浸かる訳で、その一帯の水道水が雑菌・病原菌等で汚染される…こんな事も、よくある話です。
しかし、そうした問題は、実は、上記のような貧民街に限った事ではなく、この国では、あらゆる場所で水道の配管が非常に無造作に地面にむき出しになっているケースが非常に多く、‘盗水’による不具合のみならず、そうした水道管が自動車等に踏まれて傷がついた所に、汚水が混入する等々の問題が起こる可能性も否定出来ません。そんな訳で、私の場合、ここで水道の生水を口にするのは、非常に抵抗がありまして、水は必ずミネラルウォーターを大口で纏め買いして、専用のディスペンサーを設置し飲用に供しています。(高くつきますが、私としては、必要経費だと思っています。こうした水の汚染が原因と見られる、‘A型肝炎’が貧困層の比人に多いと言うのは事実ですし…。)
さて、ここで、もう一点、‘紙事情’について、突っ込んでみたいと思います。
トイレットペーパー、ティッシュペーパーの類がここでは、贅沢品にも近いレベルであり、比人の庶民層が我々日本人の如く気軽にこうしたモノを使えない事は、先程、説明した通りです。
それでは、用を足した後、どうするのか?…と言う疑問が残りますが、特に貧困層の間では、‘大’の後では、‘指と水’を使う様です。
また、風邪を引いて鼻水が止まらない場合、どうするのか?これは街角で観察していて分った事ですが、鼻水をまず、すすり込んで口に移動し、唾と一緒に吐き捨てるか、(これは特にタクシーや、ジプニーの運転手たちが、街中で、信号待ちの間に、おもむろにドアを開け、路面に向かって‘かあぁ〜、ぺっ!’とやっている姿を風邪の季節には良く見かけます。)或いは、鼻の片方を指で押さえて、どちらかの穴を塞ぎ、‘ふんっ!!’と他方の穴から息を噴射して鼻水を道端に飛ばす…こんな事をしている人も珍しくありません。ただ、最初にこれを見た時には、‘すっげ〜!どうやってやるんだろ?!’と半ば感動したものですが…。
以上のような社会背景がありますので、数年前に例の新型肺炎(SARS)が中国を中心に猛威を振るった時には、もし仮に、フィリピン国内での感染事例が出たなら、自分はどうするのかと言う事を真剣に考えざるを得ませんでした。要は、先に挙げた公立病院の衛生状態、市民の多数派を占める貧困層の衛生環境を見ても、こうした伝染病を止めるシステムが、ここでは全く出来上がっていない訳です。当時、政府当局は空港等の‘水際’でこれを止める事に全力を挙げた訳ですが、これは本当に正しかった。もし仮に、比国内で感染と言う事態が起こって、そうした貧民街を中心に広がりを見せたなら…と考えると、ぞっとしてしまうのは、私だけでしょうか?
まあ、私が思うのは、公衆衛生と言う事については、やはり、人々の生活レベルが、ある程度の水準に達しないと、やはり、一定の衛生基準を満たすには無理な部分があるのではないかと言う事です。(*最近では、分別回収が法律で定められ、我々の住むバランガイも既に、7月第5週から、これが義務付けられています。しかし、食うのに精一杯で、ゴミ袋を買う事すらが、負担になる世帯も多い社会環境で、何処まで、そんな事が徹底できるのかが問題です。)こうした事柄に対して、比国政府が、あらゆる面で、何ら対策を施せないのは、何とも遺憾な事であると私は思います。
また、新型肺炎の一件では、人々は本当に大騒ぎして、人混みで咳をする人間がいると、あからさまに嫌な顔をして避ける等の‘過剰な反応’も出ていた訳ですが、一旦、それが収束すると、その後、‘公衆衛生’と言う事について、それ以前に比べて、何ら変わった所がありません。こうした事柄について、どうも彼らは、全てを‘結果オーライ’にしてしまう所(成るも成らぬも全ては神の業のような感じで捉えているようです。)があって、‘本当は、実に危険な所だったのだから、この次、似たような事が起こっても大丈夫なように、備えをしておこう。’…なんて、危機管理意識は彼らの中には存在しないようです。まあ、この楽天性(?)があればこそ、比国独特の‘ユックリズム’が生まれて、彼らはどんなに貧乏で、酷い状態になっていようとも、素敵な笑顔を見せて、(我々が思うところの)悲壮感は全く漂わせないのでしょうが…。
昨今の如く、リストラの煽りを受けて、失業し、将来に失望して、自殺をする日本人の気持ちなんて、この人たちには、絶対に理解の出来ない事です。いえ、実はこれは、比人たちの大変に素晴らしい所なのかも知れません。また、どんなに貧しくとも、ここフィリピンで餓死者が出たと言う話は、少なくとも私がここへ渡って来た過去6年間は聞いた事がありません。しかし、最近では、彼らより、ずっと豊かな暮らしをして居るはずの日本人の中に餓死者が出たと言った話を聞きましたが、これは一体どうしたモノでしょうか?ある意味、今、日本は、個人主義の名の下に、夫々が孤立し、元来のコミュニティの機能が不全に陥っているような気がしないでもありません。
2.水事情他その2
さて、今、セブは雨季の真っ只中(?)です。元来、この時期、もっと纏まった降雨があって然りなのですが、今年の場合、何だか日本語で言う、‘空梅雨’のような雰囲気で、雨がザーっと来ても、1時間もしない内に上がってしまう、或いは、どんよりして‘来るかな?’と思っていても、何時の間にか、日が射して来て、暑くなる…こんな日々が7月の第3週くらいまで続いておりました。
実は、今年セブは旱魃のようで、今年に入ってから、乾季が終わる5月末頃まで、まともな降水がありませんでした。そのおかげで、我が家の周辺は、5月終わり頃から、所謂、‘夜間給水制限’がかかり、夜10〜11時頃から、蛇口をひねっても、水が出ない状態が彼是2ヶ月も続いたのでした。
上記のような事は、日本では‘大問題’であり、そうした問題が新聞紙上をも賑わす事があるのに対して、ここでは、断水、停電等々は、半ば日常の出来事であり、(*それでも10年以上前の状況に比べれば、随分改善されたとは聞きます。)ある程度裕福な家であれば、外部に(多くは屋上に)貯水タンクを備えておりますし、中流クラスの家では、バスルーム等々に、日本で生ゴミ用によく使っている大型のプラスティック製ペール(容量50〜75リットル位)を通常2個以上置いて、常に貯水しておく事は、極々当たり前の事なのです。
さて、我が家は、ちょっと大きめの借家ですが、比人の中流層を意識して作られた建物のようで、備え付けの外部水タンク(2階建ての住居1階と2階にバスルームがあり、このタンクは2階専用分です。)の容量が日本人の私の標準からすると、必ずしも充分ではありません。実際の所、私と女房がシャワーを浴びて、髪も体もきれいに洗って…と言った事をすると、もうそれで殆ど半分以上、タンク内の水を消費してしまうような感じです。それに合わせて、トイレ(水洗)を5〜6回も使ったら、もう空っぽ…こんな感じです。
給水制限中、問題だったのは、日中、水道を使う事が出来ても、水圧が非常に低かったせいで、タンクが据え付けられている2階の屋根上まで水が上がって行かない為、貯水タンクが何時まで経っても空のままで、2階のバスルームが使えなかった事です。(*元々、正常な状態でも、我が家の水道の流量は、日本の標準の半分程度だと思われます。ある建設業の方によると、ここの水道管の本管は、日本のそれに比べると非常に細く、また、そんな本管から支管を日本の常識では考えられないほど、遠くにまで引っ張る為、−こうした社会インフラは、やはり国に金が無いから整え切れない、或いは、元来そうした用途に当てられるべき資金が誰かの懐に入ってしまう…。−どうしても、水の流れは、構造上、‘チョロチョロ’になってしまうようです。但し、これは、同じセブ島内でも、そのエリアによって、かなり事情は変わって来ます。)
まあ、こんな状態でも、私の家には、最初から日本式の風呂なんてありませんし、限りなく現地比人に近いライフスタイルでやっておりますので、特に問題はありません。最近の時間給水は、不便は不便でしたが、彼是2ヶ月近くも、こんな状態に置かれると、寧ろ、それが当たり前になってしまって、夜9時頃になると、家人たちに、“お〜い、そろそろ、水溜めて、用意しといてよ!”と一声掛けて、寝る前に水浴出来るよう、ペール2個一杯一杯に、水を張っておいてもらって、対応しておりました。
因みに、夜寝る前に水浴びするのは、私と女房だけで、後の連中は、フィリピン流に朝方起きてからとか、学校へ出掛ける前に水浴びして行きますので、こうした状態にあっても、上手に‘住み分け’(?)が出来るのです。(*連中も、夜、寝る前に余程、汗でも掻いて不快な時には、軽く水浴びをしていますが…。)
これは、言わば生活習慣の違いで、日本人は夜寝る前に風呂に入りますから、私は、その習慣を(ここでは、風呂に浸かる事は出来なくとも)、フィリピンでも引きずっているだけですが、他の連中は、現地のやり方そのままにやっている訳です。我が女房とて、元々は、そうだったのですが、私に引きずられる格好で、だんだんと日本式の習慣を取り入れたのと、昨年、日本を訪問した時に、寝る前に熱い風呂に浸かって布団に入って寝たのが、非常に心地良かったようで、それ以来、‘寝る前に、体をキレイにさっぱりしてから眠りたい。’と思うようになったようです。ただ、彼女の場合、やはりフィリピン流も引きずっていて、午前中、他の連中が終わった後に、水浴びしていますから、1日の内に最低2回、計2時間弱は水浴びに費やしています。
そんな‘生活習慣・文化の違い’を知った中で、非常に面白いと思ったのは、女房は、当初、夜間、私が水浴びをして、タオルで頭をササッと拭いて、髪の毛が生乾きのまま寝てしまう姿を見て、非常に驚いたそうです。否、それだけでなく、何時も、“頭をちゃんと乾かさなきゃ駄目でしょ!”と、半ば怒りながら(?)、乾いたタオルで頭をゴシゴシとやられました。その時は、女房のその行為の理由が何故なのか私には理解できなかったのですが、それは、フィリピン(或いは、セブの一部だけ?)には、‘夜、頭を濡らしたまま、眠りに就くと、盲目になる。’と言う迷信があるからだそうなのです。
そんな話を聞いて、私は、“おい、それが本当だったら、俺の兄貴たちも、俺と似たような感じのスタイルで、そうやって、ここまでやって来ているから、皆、盲目になっちゃうぜ。いや、俺の家族だけじゃなくって、日本にゃ、そんな感じの人は一杯いるけど、皆、目が見えなくなっちゃうのかな?”…と、からかったのですが、女房は、“それもそうだわね…。”と意外にあっさり、私のスタイルを受け入れましたが、セブ周辺の中年以上のオジ様、オバ様方には、未だにそうした迷信を信じて疑わない向きも多いようです。
さて、話が若干逸れましたが、給水制限中、困った事が、もう一つありました。それは、全自動洗濯機の使用が非常に限られてしまった事です。読者の皆様には、恐らく、‘夜間給水制限って言ったって、昼間は水が来ている訳でしょ?何でそうなるの?’と言った疑問をもたれる方々が殆どだと思います。
我が家の洗濯機は、韓国LG製の全自動洗濯機(ファジー機能付)です。水量、水流等々、センサーによってチェックを行っており、日本製の通常の全自動洗濯機同様、かなり自動化が進んだ機種なのですが、日中でも、水道の水圧が異常に低い場合には、洗濯の最初のプロセスである洗濯槽に注水するところで、特に洗濯物の量がほぼ一杯の場合には、満水になるのに30分以上の時間を要し、更には、‘すすぎ’の工程でも同じ事が起こって、機械が、‘混乱’してしまったようでした。そんな風に、2時間近くかかって、洗濯終了のサインが出て、蓋を開けてみると、洗濯洗剤が衣類の上にこびり付いたまま残っていて、仕方が無いので手洗いでやり直して、‘脱水’だけは洗濯機を使う…そんな事態にも度々、遭遇しました。
観察していて分かったのは、洗濯機を動かしがてら、台所で炊事をし…と言った具合に、家の中の2箇所以上で、水を使っていた場合に、こうした事態が起こり易かったと言う事です。私は、そうした事態に早く気が付いて、女房には、“他の水仕事をしない時間を選んで洗濯機を使った方が良いよ。”と伝えたのですが、義母も含めて、他の家族の連中は、そんな事は一向に気にしないで、自分の都合で、‘やってしまった’後で、“あ〜あ、やっぱりね…。”と、なった訳ですが、基本的に彼ら比人は、そんな些細な事は意に介さないのです。まあ、大した問題ではないですから、私も最近では、そんな事くらいは、気にはしないし、彼らに対し、煩い事は言いませんが…。(*水道の水量については、平常時でも、家の中にある複数の蛇口を同時に開くと、各蛇口の流量が分散化されて、各蛇口からの流量が極端に減るのが分かります。それだけ、水圧・給水量が元々、低いのです。その原因は先程、述べました通りですが。)
さて、そんな話をしながら思い出したのは、私が、ここへ赴任した当時の事。当初、社宅へ入ったのですが、そこに備え付けてあった洗濯機は壊れて使えず、前任者に仔細を聞いたところ、業者に修理を依頼したが、何時まで経っても現れず、その間、面倒だったので、学生や近所のおばさんに手間賃30ペソ程渡して部屋の掃除から、衣類の洗濯(手洗い)まで任せておいたら、そっちの方が便利と気が付き、結果として洗濯機を使う必要がなくなってしまったとの事でした。(結局、修理屋も来なかったそうです。)それで、私も前任者に倣って、洗濯物については、週のうち半分位は自分で対応し、(一人分で少量、尚且つ、‘夏物’ばかりでしたので、それを手洗いするのは、大して苦にはなりませんでした。)後は、Laundrywoman(ランドリーウーマン:洗濯婦)を雇って対応してもらう…そんな感じでやっておりました。
Laundrywomanと言うのは、ここセブの貧困層の間では、半ば立派な職業にもなっており、取り敢えず、こうした事をして、安い手間賃をもらって、何とか食い繋いでいる…そんな感じの女性もそんなには珍しくありません。また、洗濯機の普及と言うのは、こうした事情から、まだまだ進んでおらず、結構裕福な家庭でも、メイドに手洗いさせるとか、はたまた、洗濯婦を使うとかの対応で、洗濯機をもっていない場合が結構あるようです。
また、こうした手洗いについては、洗濯時の使用水量を抑えられると言うメリットがあり、これは、水道料金、或いは電気料金が日本と比べても決して安くない比国の現状に即した、やり方と言えるのかも知れません。(*通常の洗濯機は水流を衣類にぶつける事で汚れを落とすので、水の中で衣類を‘泳がせる’必要がある為、必然的にある程度の水量が必要になりますが、手洗いは、手で衣類の汚れを少量の水の中に揉み出している感じになる為、使用水量は最低限に抑えられるようです。また、井戸が使える場所であれば、かかる経費は洗濯洗剤のみです。)
ただ、手洗いの問題点は、洗った後、洗濯物を手絞りする事になる為、どんなに頑張っても、かなりの水気が衣類に残り、脱水機には適いません。結果として、洗濯物が乾くのに時間がかかりますし、雨でも降ってしまったら、2,3日間、部屋干し、或いは雨の当たらない軒下等で干しっ放しになって、当時、私が手掛けた洗濯物は、そんな場合には、臭くなって仕方がなかったのです。ただ不思議と、紹介してもらったLaundrywomanが手掛けると、洗濯物の臭いが少なくて、(やはり、どうしても臭うには臭いますが、気にならない程度です。)その秘密を聞いたところ、“Breach(ブリーチ:塩素系漂白剤)を使わないと駄目ですよ。”と言われました。
まあ、偶々、その洗濯婦がこうしたやり方をしていただけなのか、或いはこれが一般的なやり方なのかは定かではありませんが、(少なくとも、ウチの義母、女房はこれに類するやり方をしています。)近所のサリサリ・ストア等を覗いても、こうした漂白剤の小瓶と棒状の洗濯石鹸は、必ず品揃えがありますから、やはり、こうしたやり方は一般的なのだと想像しています。ただ、乾燥後、臭いが少ないのは良いのですが、塩素系漂白剤を使うと、特に綿100%の衣類がダメージを受けやすい事、色柄物の色褪せが早い事…こうした問題は避けられないのです。そんな風で、その当時、私が思ったのは、衣類を手洗いするのは良いのだけれど、せめて、脱水機だけは欲しいなあ…そんな事でした。
最近になって、やはり、そうした‘潜在的需要’が多かったのか、ここセブで、家電量販店に入ると、洗濯の機能は一切付いていない、‘純粋な脱水機’を良く見かけます。価格は安いものだと、2,000ペソ程度で、‘これは中流層くらいには受けるんじゃないの?’と見ていますが、実態は良く分かりません。
さて、最近のこうした一件から、ここセブでの洗濯事情について思ったのは、ここでは、全自動洗濯機は、まだまだ、普及する環境にはないな…こんな事です。(私も、二槽式洗濯機にした方が、まだ良かったと、ちょっと後悔しています。これだと、水道の水圧が低くとも、汲み置きして置いた水を、洗濯槽に注ぎ込めば良い訳ですし、脱水槽だけは、何れにしろ、ちゃんと使えるのですから。)実を言うと、私の住んでいるエリアの水事情はまだ、マシな方で、以前の借家では、こうした、水道の低水圧と言う事態が、もっと頻繁に起きておりました。と、言う事は、もし、当時、全自動洗濯機を持っていたなら、‘宝の持ち腐れ’になっていたのは間違いない…そんな風に思います。つまりは、こうしたちょっと高度な(?)家電製品も基本的な環境が整備されて、初めて、使うに足るものとなると言う事を、ここセブにいると実感するのです。
お金持ちであれば、そうした水環境については、独自の給水設備の整ったサブディヴィジョンやコンドミニアムに住むか、自前で住宅を建設する際に、自動止水弁付の大型の貯水タンク等々を敷設するとか、深井戸を掘って、大型ポンプを設置するとか、自前で整えれば良い訳です。つまり、ここフィリピンでは、‘公’と言うモノ(特にここでは社会インフラを指します。)については、日本人の思う標準を決して満たす事は出来ないから、全てにおいて質の高い生活を楽しみたいのであれば、自分で金を出して手に入れるしかない。つまり、日本でしているような物質的に豊かで快適で、大量消費に根ざした生活を、ここセブで楽しもうとするなら、やはり結構、金がかかる…そんな事が、こうした事例からもハッキリするのです。また、こうした事柄について、深く考えて見るなら、日本と言う国には問題は多々あっても、こうした社会インフラの整備は非常に高度なレベルにあり、それは取りも直さず、基本的には、平等社会である事の証明ではないか…そんな風にも感じます。
(以下、次回に続く。)