1970年のPHILIPPINES PANAI島Capiz州(現Roxas州)


はじめに
鈴木さんからの相談メールを,ご本人から許可を頂き,この場に掲載させて頂きました。戦後間もないフィリピン(潤っていた頃のパナイ島)の様子を,当時の貴重な写真から垣間見ることが出来ます。ホームページに掲載したい旨をお伝えしたところ,快諾を得てこの企画が実現しました。ありがとうございました。


鈴木さんからのメール

今日は。はじめまして。品川に住んで居ります鈴木と申します。年の方は今年で65才となりました。今朝がた、ネットで遊んでいるとき何気なくパナイ、ロハスと入れましたら奥さんはロハスの生まれとでていまして吃驚しました。

       

       

実を申しますと、もう三十六、七年の前の話しになります。当時、比国は戦争中、旧日本軍の兵隊だった年令の日本人には、原則としてビザの発行は拒否していました。そのために、比国に入れるのは私達の年令の若い層と、大体六十以上のおじさんたちだけが、主になって仕事に行っていました。

私も昭和四十二、三年頃から、東南アジアの仕事をやらされるようになりました。ちなみに仕事は冷凍機のサービスエンジニアをしていました。たしか1971年の暮れの話しです。

        


        

  

「おい、又フィリピンいってくれ」

「サンミゲルか、コカコーラか?」

「今度は戦後賠償の仕事でパナイだ」

「イロイロか、いーよ」

「いや、日商岩井からロハスって言ってきたぞ」

「まあ、いいや何処でも」

と気楽に引き受け、年があけてすぐに、出発しました。当時は、まだ対日感情が悪く、マニラで私も「日本人か?俺の妹は日本軍に殺されたんだ」とナイフで追っかけられたこともありました。ロハスに着いてからも町を少し離れると山賊や追い剥ぎが出るので最低22口径が手放せませんでした。

当時は一ドル六ペソ、一ドル360円、外貨の持ち出しはたしか500ドル。仕方なく、下宿を世話をして貰いました。約四ヶ月滞在していました。この仕事を終わってから、南ベトナム、タイ、ビルマとあちこち駆け回りましたが、ロハスはその内、又来るからなといって出て以来とうとう行けませんでした。

当時下宿していた家と、家族の現在を、奥さんが、もし御存知でしたら教えて頂けると嬉しいです。大分変わったと思いますので同じ住所に手紙を書いても届くか自信がありません。又、こちらを思い出してくれるかどうか?

下宿していたところは PATTI PAT'S といってMORENTEファミリーの末っ子の家です。お父さんは JOSE MORENTE といって昔は市長をしていたそうです。海岸近くの大きい家によく呼ばれて行きました。 一番親しくしていたのが PAT MORENTE ALBA 旦那さんはHERNANDO ALBAで病院のドクターでした。下宿していた家はDODOY MORENTE とTITA MORENTEの家で先に書いたPATTI PAT'Sの中の一部屋を四ヶ月間借りていました。PATTIは娘の名前です。男の子が二人JOEYとCABEと言います。一番知りたいのは PATTI PAT'S はまだ昔の所に有るのでしようか?

          


奥さんに聞いて頂けると幸いです。厚かましいお願いで恐縮です。

鈴木幸光。






jungleの返信

鈴木さん,はじめまして。

奥様はフィリピーナ管理人jungleです。

そうですか,昔ロハスに赴任されていたのですね。写真を拝見しましたが,空港はさすがに面影がありませんが,運河沿いに教会が写っている写真は,その位置関係などもハッキリわかります。

        

早速,家内に今回の件について話し,聞き覚えがないか尋ねたのですが,なにせ家内が産まれる前の事であり,家内の生家があるバランガイは,写真に写る市内中心部から車で20分以上掛かるところなので,よくわからないそうです。ただ,「ALBAというのは名門の家だと思う」と言ってました。

> 海岸近くの大きい家〜

これは,バイバイビーチの事だと思いますが・・・。

そして,【PATTI PAT'S】ですが,これは何かのお店を営まれていたのでしょうか?家内が,「なんか聞いたことがある」と言っていました。

どちらにしても,家内ではわからないようなので,明日以降家内の実家に電話して確認してみるそうですので,もう暫くお待ち下さい。

それでは,失礼いたします。







鈴木さんからのメール

さっそく、返事を頂いて感謝しております。まさにサラマ、ポです。

パティパーツの場所ですが、教会の方から来ましてシティブリッジを渡りすぐ左に曲がります。右側にプロパンガスの販売店が有りまして、その店の敷地の中にパティパーツというレストランがありました。写真入れときます。お客はごく限られた人が多かったです。

空港と滑走路の写真は見苦しくて申し訳ありません。これはむこうでカメラの中で、突然フィルムが切れてしまいました。メインストリートのカメラ屋の暗室で抜き取って貰ったところ、目茶苦茶指紋を付けられてしまいました。

            

奥さんはバランガイでしたか。今はもう名前は忘れてたしまいましたが、バランガイから通勤で来ていた職人も何人かは使ってました。もっとも金は私が払うんではなく、ホセ モレンテの娘が嫁にいっていた先の旦那 VALENZUELA とビクターリムいうマニラの金持ちが払ってました。

バイバイビーチですがよく行きましたよ。何にもなくて、砂浜のちょっとはずれの方に行くと、近所の人がうんこしますんで危なくて、危なくて。すぐ前が昔の市長をしていたホセ モレンテさんの大きい家でした。その家で時々やるプラ アンド何だったか、早い話が赤と白というゲームですが、段々とみんな熱くなってくると、鉄火場状態になりましてね。ほとんどピストルを腰のベルトに差しているんで、やばいこと。やばいこと。

         


         

パティパーツでドドイとティタと昼飯を食べているとき、10メートルぐらい先を、隣の家のドラ猫が通りかかりました。突然ドドイが、ピストルを抜くが早いか、二発猫に撃ち込みました。猫はすぐ、隣に気づかれない様に従業員が表の川に捨てましたが、そのあと一時間ぐらいティタとドドイが私の前で大喧嘩、私は参りましたよ。多分、隣の家の人が仕返しをしにきたら、どうするんだと揉めてたんでしよう。

家の中はピストルが四丁、カービン銃が一丁、M1ライフルが一丁、まだ、まだごろごろしていました。

ドドイの本名はフローレンシオです。ドドイはあだ名で悪ガキとか、やんちゃ坊主のことらしいです。ティタはありんこの事らしいです。

確かに、モレンテの所は金持ちでプランテーションやフィシュボンドを幾つも持っているらしく、一族全部で財産がどのくらい有るか判らないと言ってましたが、フィリピンも戦後の農地改革を日本みたいにやっておけば、こんなに貧富の差はつかなかったんではないかと思ってました。現地では、こんなこと口に出して言ったら、どこで撃たれるか分からないので政治的話は御法度でした。

          
短い滞在でしたがビサヤン語が抜けなくて、よくマニラでからかわれました。ほとんど忘れてしまいましたが、イエスと言うのをホオ、早く言うとオッオと言ったり、パマハウ、パンヤガ、パンヤプン、カナン、ワラ、まだ一杯覚えていたんですがね。みな忘れてしまいました。

電話で問い合わせて頂けるそうですが、ついでの時で結構ですので宜しく。私達の時は、まだ日本に直接電話が出来ませんでした。マニラまでは通じていました。電話はまだ、単線でこちらが話し終わると、会話を聞いていた交換手が切り替えて今度は向こうが話します。音が小さくて何を話しているかさっぱり判らず、苦労しました。マニラと連絡をとる方法は、他にはテレグラムをラッシュ(特急)で頼むか、無線機でビクターリムのオフィスの無線機を直接呼んでメッセージを託すしか有りませんでした。

マニラに帰る間際に、パットアルバから鈴木さん、気に入った娘がいたら言いなさい。連れて帰って良いよと言われましたが、とうとう決心がつきませんでした。そのぐらい、島内の大物は権力があり、大部分の人達は地主と小作の関係でしたからね。

長くなりましてご免なさい。

最後にこの話で終わります。

電気工事は少し高度な配線なんで電気屋をマニラから呼びました。電気屋は頭をポマードでキッチリ固めた若いあんちゃんで、仕事は結構出来ました。奴は、二ヶ月後仕事が終わってマニラにすっ飛んで帰りました。暫くして、毎日現場にナンバーズを売りに来ていた若い娘が、母親を連れてやってきました。母親が言うには、ミスタースズキ、家の娘のお腹の中に電気屋の子供が居ます。チーフエンジニアとして責任取って下さい。知るか〜そんなこと。ロドリゲスのやろ〜呼び戻せと言いましたが、とうとう帰ってきませんでした。

         

その後の話しは聞いてませんが、私が現場で可愛がってたバンタイという犬をみんなで食っちゃった事件もあり、もうこんな所には、二度とこねぇと腹の中で思いながら、マニラへ帰ってから三十六年も経ちました。

昔の事を書いていると今まで忘れていたことが、思い出されます。長々とすいません。
              鈴木幸光。







jungleの返信

鈴木さん,おはようございます。

奥様はフィリピーナ管理人jungleです。

大変遅くなりましたが,家内の親戚に調べさせた結果をご報告します。

PATTI PAT'Sですが,ご夫婦が亡くなられ,レストランは既に閉まっているそうですが,お子さん達3人は元気だそうです。モレンテの一族は,バイバイビーチに“モレンテコンパウンド”という,一族の集落を形成して暮らしているそうです。今でも大変なお金持ちだそうですが,昔ほどの権力は無いようです。

手紙を出すことも,勿論可能だと思います。必要であれば,住所を再度確認してお知らせします。アバウトな結果しかお知らせ出来なくて申し訳ありません。

さて,今回鈴木さんから頂いたメールですが,写真を含めて歴史を感じさせる,とても興味深い内容のものでした。もしご了承頂けるならば,私のホームページで公開させて頂きたいのですが。勿論,鈴木さんの本名やお写真などの,個人情報に触れる内容のものは一切公開致しません。

良い返事を頂ければと思います。よろしくご検討下さい。

追伸
いよいよ,関東地方も梅雨入りのようです。朝夕の寒暖の差が大きく,じめじめと気分も滅入りがちですが,ご自愛なされて乗り切って下さいね。







鈴木さんからのメール

梅雨どきは腰痛持ちにはこたえますが、空梅雨で少しばかり助かっています。さつそく有り難う御座いました。

ドドイもチタも亡くなっていましたか。ドドイは普段はいい男なんですがけっこう、やんちゃ坊主の様なところが有りまして、飲むとすぐピストルを抜く悪い癖も持っていたようで、私の在ロハス中にも一度おまわりに向けてピストルを構え、私も吃驚した事が有りました。おまわりはビビってましたよ〜。

住所の方はまだ持っておりますので御心配要りません、と申してもモレンテの所へ昔、手紙を出した時は凄く簡単な住所で手紙が届いた事もありました。反対に、日本からフィリピン、カピツ、ロハスシティ、フローレンシオモレンテ方ミスターすずきで手紙が届いた事もありました。まだ、それで行くと思いますよ。今はシンドイですがもう一回英語でも再勉強をしてみます。

今回は二人の亡くなったのを知って、時の経ったのを実感致しました。

最初に入れた写真のなかにノラのレコードジャケットのが有ったでしょう。奥さんは、御存知と思いますが昔はすごい人気歌手で、我々はフィリピンの美空ひばりと呼んでいました。

         

夜はひまなんでメードさんや従業員を連れてよくノラの映画を見に行きました。何故か映画館はたくさん有りましたよ。バルコニーという席が一番高かったです。メードさんの給料は食事はこっち持ちで月に20ペソでした。

         

ホームページへ載せる件は構いません。また名前も、顔も出して構いません。

当時、ロハスをショートステイで訪れたピースコの人達や、日本人の電気技術者、水産会社の人達、マニラの三菱ふそうのエンジニア連中、商事会社の連中が、偶然見まして、へー、あの時モレンテの所にいた鈴木かと思い出して呉れたらそれはそれで面白いですよ。

昔のカラー写真なんで色があせてきていますが、ごそごそ探したら少し出てきましたので入れときました。

ペソ紙幣は、その後タンス貯金のあぶりだしのため突然変更になってしまいました。現地で使い切れずに余ってしまい日本へ持ち帰った私は、新ペソに交換出来ず大損しました。責任者出てこ〜いですよ。

          

あの頃はこんな飛行機でマニラとロハスをしょっちゅう往復していました。パレードの写真は、セントバレンタインのクイーンパレードの写真です。あの時のクイーンはこの子では有りませんが、助手席の女性が私の好みなので撮りました。メインストリートのエレンストア(ヘレン?)はよくいきました。輸入の飴を買いにですが暑さでベトベトには参りましたよ。

         

         

         

         
顔も名前も出して、いいと申しますのは私も内輪のホームページと最近は簡単ブログを立ち上げているんで、まあ、逃げも隠れもしませんよ。意味不明ですいません。

私も中年頃から若い連中に、東南アジア女性の結婚したいんだけど、どんなもんかなと相談はよく受けました。何時も答えはこうでした。「いいよ、だけどね絶対に家庭に縛り付けるなよ。言葉を少し覚えたら、何でも良いから働かせな、みんな働き者だからな、そして彼女が働いて稼いだお金は、全て実家に送らせな」これがうまくやるこつだよといつも分別くさく言ってました。

そのあと、色々な、能書きや、うんちくを垂れるのですが、フィリピン女性については、こういいました。一にレディーファーストな、二に嫉妬深いから大変だぞ。三に何か有っても絶対に謝らないぞ、言い訳はたくさんするけどな。だけどね、明るいし、歌も好きだし、子供の躾も上手だし、働きものだし、年寄り大事にするしな。高学歴のいい子が多いよ。お宅の奥さんは如何でしょうか?

当方のハードの都合で写真は2回ぐらいに分けて入れます。最後に私のブログのアドレスだけ入れときます。時々覗いてみてください。
  http://kiwashichi.exblog.jp/
但し、マイナーな道楽なんでつまらないです。又興味を持たれても質問は勘弁して下さい。色々な説明すると一ヶ月以上かかりますんで、なまけものの私には苦行です。

それでは有り難う御座いました。鈴木幸光。







jungleの返信

鈴木さん,こんばんは。

奥様はフィリピーナ管理人jungleです。

HP掲載の件,御快諾頂きましてありがとうございます。

また,沢山の貴重な写真もありがとうございます。

近々,編集して更新させて頂きます。

取り急ぎご報告まで。

それでは失礼致します。