【 日 向 】
奥藁科・大川地区の中心地

日向(ひなた)

 〜山あいの地に、七草祭りなど大川の歴史・文化を守り育む郷〜

 藁科川の上流に位置する、静岡市葵区日向は、旧安倍郡大川村(現・大川地区)の中心をなしてきた集落です。現在、お茶とシイタケ栽培を主な生業として、静かなたたずまいを見せる戸数76戸・人口207名の山里です。
 日向の歴史は古く、地内の野田ノ段遺跡から縄文土器が発掘されている他、数々の古蹟と伝説に彩られています。日向の地名のおこりは、名馬を訪ねてきた源頼朝(1147〜1199年)の家来、日向太郎の泊まった跡地を日向といったことに因むと言います。また「芳の沢」の地名説明にも、頼朝が休憩のために水を求めたので、冷たい水を差し上げたところから名づけられたと伝えられています。諸子沢には、平治の乱(1159年)に敗れ、捕らわれの身となった頼朝が、伊豆に流される途中に運試しに切りつけたとされる「頼朝石」があり、日向を中心とした大川地区には、頼朝伝説が育まれてきたことを示しています。
 さらに、木の精の通婚を示す「木魂伝説」が伝承され、かつては川原の中に大きな木の株が見られました。こお伝説は大杉の精が美しい男に化けて娘のところに通ってくるというもので、ついに正体がばれて大杉は切り倒され、娘は「から舟」に乗せられて下流に流されたという伝説です。七草祭を伝承する日向は、このように中世的な伝承世界を小字地名の由来に重ねて色濃く留めてきた村です。
 御堂と呼ばれた福田寺観音堂は、小高い丘の上にあり、この稜線を辿っていくと、中世の山城・萩多和城に達します。また、樫木峠を越える秋葉道が、観音堂の前を通っていました。山中を東西に結ぶ道が、中世の時代に盛んに利用され、日向はそうした山の道の要衝に発達し、様々な文化を受け入れてきたと言えます。
      引用:『静岡県指定無形民族文化財 七草祭』(静岡市教育委員会.平成5年)





【七草祭り】(見どころ > 七草祭り)
【あまご処】(見どころ > あまご処)
【萩多和城跡】(歴史・地理 > 萩田和城と一夜城)
【野中商店】

【陽明寺】

 陽明寺は、曹洞宗のお寺です。永正7年(1510年)雲叟(うんそう)という僧が開山した、500年の歴史を誇る古刹です。本尊は薬師如来で、7月26日は、大般若会という「家内安全、無病息災」を願うお祭りがあります。また、境内にあるお地蔵さんは腹痛や歯痛を治すと言われています。
【福田寺】
 正式には朝旭山福田寺(ちょうきょくさんふくでんじ)と言います。
 行基(668〜749年)の開山であるとも言われていますが、中世のどの時代であったかは特定できません。現存している観音堂にまつわる版木が陽明寺に伝わっていて、そこには天正17年(1589年)の記述が残されています。一説には、今の大川小学校辺りにあったものが、土砂崩れのため下敷きとなり、白髭神社の境内に移されたのではないか(白髭神社の本殿は上部に移動)と言われています。
 旧暦1月7日に行われる『七草祭り』は、県指定無形文化財として大切に伝承されています。

 【白髭神社】
 祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)。相殿は、句句廼馳命(くくのちのみこと)、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、菅原道真、その他一。創建年月日は不明であるものの、天文元年(1552年)に再建したといわれています。途中で一時移転しましたが、元禄十六年(1703年)に松平から再び今の地に奉還しました。


 
【内野商店(てつみせ)】

 日用雑貨と大川唯一のガソリンスタンドです。日曜日は定休日なので、市内から車で来られる方は注意してください。

【佐藤酒店(おんせん)】


【樫の木峠】
 大川地区と西隣りの玉川地区を結ぶ峠。かつては秋葉街道として、安倍川筋から大川へと物資を運び込む輸送路の一つでしたが、今は「林道樫の木線」が両地区を結んでいます。峠には「市有林登山口」という大きな木製の看板と、「森林基幹道/樫の木峠線開通記念」の石碑、「文政九年」と刻まれたお地蔵さんが建っています。林道沿線は、ダイナミックな山越えコースとして、オフロードバイク等のダートコースとしても紹介されています。
【馬込】
 馬込に至る道は、湯ノ島から入る山道だけで、全て入植者の肩によって物資が運搬されていた山の中にあります。昭和21(1946)年に開拓地に指定され、標高700mの傾斜地に8戸が入植。47haの土地を茶園として出発しました。地内に形だけの車道が開通したのは昭和41年で、その前年から電気の供給が始まりました。昭和46年、静岡県補助事業として茶園造成と農道整備が実施され、経営の近代化と規模拡大を促進しました。