みかん畑の大きなテント 2013年4月創 刊 号 愛知・大府飛行場中国人強制連行被害者を支援する会 ニュ−ス 事務所 〒464−0821 名古屋市千種区末盛通4-18 日中友好協会愛知県連合会内 電話 052-763-1152
FAX 052-763-1153 E-mail obutyugokujin@yahoo.co.jp 郵便口座 00810-8-135432 大府飛行場中国人強制連行 ホームページ http://www13.plala.or.jp/oubtyugokujin/ |
愛知・大府飛行場中国人強制連行被害者を支援する会が設立される 冨田好弘 ・・・1頁 設立総会プログラム ・・・3頁 設立総会における田中貴文弁護士の講演(概要)
西 秀成 ・・・4頁 生存者の要求と愛知での取り組みの意味について 〜強制労働問題の日独比較に触れて〜(特別報告)
南 守夫
・・・5頁 資料1:生存者による「提訴書」 ・・・7頁 資料2:岩田地崎建設の「回答書」 ・・・8頁 取り組みの経過と今後の課題
冨田好弘 ・・・9頁 設立総会に寄せられたメッセージから ・・・10頁 会計報告
八木幸夫 ・・・11頁 設立総会アピール ・・・12頁 岩田地崎建設への抗議決議 ・・・13頁 愛知・大府飛行場中国人強制連行被害者を支援する会 会則 ・・・14頁 役員等一覧 ・・・15頁 設立総会を伝える新聞記事 ・・・16頁 青島・高密 2013年4月〜劉連仁生誕百年記念訪中団参加記〜 南 守夫 ・・・17頁 入会の呼びかけ
・・・19頁 |
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愛知・大府飛行場中国人強制連行被害者を支援する会が設立される 岩田地崎建設と国へ謝罪と補償を要求 アジア・太平洋戦争の末期、旧大府飛行場(大府市・東海市)で国策のもと中国人の強制連行・強制労働が行われ、非人道的で過酷な労役による被害者が多数出ました。その被害者のうち5名の生存者からの、謝罪、補償、記念碑建立などの実現するため、要求を県内の著名人、各界の34名の呼びかけで3日、名古屋・東別院会館で約50人が出席して「支援する会」設立総会を開きました。
土木工事で酷使 1944年11月から45年の6月まで三菱重工業名古屋航空機製作所に付設する滑走路の拡張工事の土木作業に中国人を使いました。全国135事業所で約7000人の犠牲者が出ましたが「大府飛行場」では病気や事故で5人が亡くなり、傷病者も128人に上りました。 設立総会では主催者を代表して石川賢作日中県連会長が挨拶を行い、中国人強制連行事件北海道訴訟弁護団元事務局長の田中貴文氏が「中国人強制連行事件裁判と愛知での取り組みの今日的意義と課題」について講演し、その冒頭で犠牲者の「室蘭発掘調査」(1954年10月)の貴重な実録フィルムが紹介されました。 −1− 日独の対応の差 来賓には中国人戦争被害者を支える全国の会の大谷猛夫事務局長、名古屋三菱朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会を代表して杉下氏から挨拶と多数のメッセ−ジが紹介されました。 また「強制労働の日独比較に触れて」と題して南守夫元愛知教育大学教授から特別報告があり、これまでの経過と今後の活動方向、支援する会の会則、役員など冨田好弘「会」事務局長・日中県連理事長が報告・提案しました。 当面、支援する会の会員を500名目指していくこと、岩田地崎建設に対しての抗議の行動を起こし、記念碑の建立と募金活動、緊急に作成されたパンフレット「みかん畑の大きなテント・大府飛行場に連行された中国人」1000部の普及、今年の追悼式典は9月14日に実施などを提起しました。 アピールを採択 質疑では「中国の国内での動きは」「他のところの取り組みは」「日本国民の世論が左右」「大変困難だが解決せねばならない」などの意見がありました。 設立総会はアピール採択と岩田地崎建設に対する抗議文を確認し、閉会は代表委員の南守夫氏の挨拶で今後の活動を誓い合いました。「支援する会」の呼びかけ人には石川、南両氏のほか、真宗大谷派の僧侶の廣瀬務氏、名古屋三菱朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会共同代表の高橋信氏、ノ−モア南京名古屋の会の平山良平氏、新婦人県本部代表委員の水野磯子氏らが名を連ねています。
パンフレット紹 介 みかん畑の大きなテント・大府飛行場に連行された中国人 3月3日発行 27頁400円。ご希望の方は事務局までご連絡ください。 「支援する会」は設立総会の上にさらに運動の発展の方向を1000部のパンフ普及と入会のお誘いと合わせて呼びかけていきます。生存者の生の声、資料などがわかりやすく読みやすく作成しました。 *パンフに誤りがありましたのでお詫びして訂正します。11頁17行目及び19行目:誤)2011年 正)2012年 −2− |
愛知・大府飛行場中国人強制連行被害者を支援する会 3・3結成総会プログラム 日 時 3月3日(日) 午後1時30分から4時30分 会 場 東別院会館 2階会議室(椿の間)中区橘2-8-45 開会あいさつ 八木幸夫対策委員・議長選出 議長 伊藤充久さん 主催者挨拶 石川賢作代表委員 第1部 記念講演 中国人強制労働事件裁判と裁判後の取り組みの意義と課題 講 師 田中貴文弁護士(中国人強制労働事件北海道訴訟弁護団元事務局長) 質 疑 VHS 室蘭遺骨発掘上映(10分) (休憩) 第2部 設立総会 3時 ・来賓あいさつ 代表挨拶、紹介 中国人戦争被害者支える会事務局長・大谷猛夫氏 名古屋三菱朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会 杉下氏 ・特別報告 南守夫・代表委員 生存者の要求と愛知での取り組みの意味について〜強制労働問題の日独比較に触れて ・経過報告と取り組みの基本方向 冨田好弘事務局長 会則と会の役員 事務局メンバ−の提案 ・特別発言 藪下馨・岐阜県連会長 ・質疑討論 ・メッセ−ジ紹介 木俣 博さん ・アピ−ル提案 永井淑子さん ・採択 ・新代表あいさつ 南 守夫 代表委員 ・閉会 司会で (4時30分終了) (役割分担) 進行係(司会者補助) 八木幸夫さん、西秀成さん 受け付け 会費受領 高木礼次さん、鳥當暁人さん 資料準備 プログラム、再回答申し入れ声明、呼びかけ人表、入会申込書、会則 会場設営集合12時半 看板・木俣さん −3− |
設立総会における田中貴文弁護士の講演(概要)
※田中氏は北海道訴訟の弁護団事務局長 中国人強制連行・強制労働事件と外務省報告書 1942年11月に「華人労務者移入に関する件」が閣議決定され、1944年3月から本格的移入がはじまった。戦後、1946年1月、外務省管理局長から「本邦移入華人就労事情調査ニ関スル件」が出され、中国調査団への説明とGHQの戦犯取調べに備えるために「外務省報告書」がつくられたが、結局、GHQには提出されず、極東軍事裁判でも、花岡事件(秋田県)での被告6名(絞首刑2名、終身刑2名、重労働2名)の処罰のみで、その他は不起訴になった。 戦後の遺骨発掘・遺骨返還運動 1953年、中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会(赤十字社、日本平和連絡会、日中友好協会、総評、日本仏教会等14団体)が設立され、1953年から1964年まで、9次にわたって遺骨が返還された。1954年の室蘭・イタンキ浜では125体の遺骨が発掘された。(下の写真は、総会で上映されたビデオの写真より) 中国人戦争犠牲者の調査と裁判 1989年の花岡事件が鹿島建設に対し公開書簡で要求を提出した。また、中国では戦後生まれの研究者・童増が研究論文を発表して、1991年、全人代に「建議書」を提出した。1994年「中国司法制度調査団」副団長だった小野寺利孝弁護士が共同通信社河野徹記者から、中国人(95年、生存者11名が東京地裁に提訴)戦争被害者たちが日本の弁護士の援助を求めているとの話しを聞き、同年7月から調査を行い、9月には「中国人戦争被害者法律家調査団」(団長・尾山宏弁護士)も結成された。 1995年8月、731部隊、南京事件、重慶爆撃、中国人慰安婦等の提訴が行われ、劉連仁訴訟では、東京地裁では勝利判決を勝ち取った。 北海道訴訟の提起と判決 1999年9月、33名の中国人強制連行の被害者が訴訟を起こした。さらに2002年には10名が追加提訴した。その中には、大府にも来た楊東雲ら2名も参加していた。 裁判は、2004年に地裁、2007年に高裁、2008年に最高裁が判決を出したが、この判決ではいずれも敗訴に終った。しかし、裁判では、被害事実の認定、企業・国の不法行為責任、企業の安全配慮義務違反を認めた。この認定は、各地の裁判でもほぼ認定されている。敗訴したのは、国に対しては、国家賠償法制定以前の公権力の行使による被害の賠償責任がない、日中共同声明で賠償請求を放棄するとしているため、企業については損害および加害者を知ったときから10年という消滅時効が、1981年2月の公民出入国管理法の施行時から10年後で時効が成立するとしたからであった。 訴訟の到達点と今後の課題 一部の企業との間では、和解解決ができた。鹿島建設の花岡鉱山では5億円、日本冶金・大江山鉱山では原告6名に対し一人当たり350万円が企業から支払うとされた。また、三菱マテリアル(福岡県・炭鉱)でも和解の動きが出ている。西松建設では敗訴したが、最高裁判決では「個別具体的な請求権について債務者側において任意の自発的な対応をすることは妨げられないところ、…上告人を含む関係者において、本件被害者らの被害の救済に向けた努力をすることが期待される」との「付言」を付けた。裁判が終っても謝罪と賠償は未だに実現していない。大府飛行場強制連行被害者を支援する会が、裁判ではなく、厳しい道だが世論に訴えることで解決しようとしていることは、全国的な運動をも励ましている。
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生存者の要求と愛知での取り組みの意味について〜強制労働問題の日独比較に触れて〜 特別報告 ・生存者の要求の意味について 昨年7月に中国河北大学の劉宝辰教授を介して私たち、つまり大府中国人強制連行愛知対策委員会に5名の生存者の署名・捺印を付した「提訴書」が届けられました。そこには、日本軍に拉致され、家族と引き離され、496名の集団として地崎組(現岩田地崎建設)によって日本に強制連行され、1年半にわたって、完全監視の中で下関港から北海道・伊屯武華(いとむか)・置戸(おけと)、愛知県大府(おおぶ)、再び北海道・平岸(ひらぎし)へと見知らぬ土地を長距離移動させられながら苛酷な労働を強いられ、虐待・病気・事故等で31名の死者を出し、かろうじて生還した体験が語られています。そして、その後連行企業からも日本国家からも一切の謝罪も補償も受けずに放置されてきたことが痛憤をもって訴えられています。その上で、この496名を代表して、岩田地崎建設に対しこの不法行為に対して、法的及び道義的責任を認め謝罪すること、この歴史を伝える記念碑を建立すること、そして、不法行為の被害に対する補償を行うことを求めています。 私はこれらの要求が不法行為に苦しんだ人間としての当然の要求であり、この要求の実現に協力することは強制労働の現場のあった地域に暮らす人間として、また日本人として当然の責務であると考えます。また、この取り組みは、被害を受けた個々の中国の人々及び家族の人権侵害と被害を回復するためのものであると同時に、日本国民としては、戦中の日本国家及び企業が犯した不法行為の責任を果たすための運動の一環でもあります。それは、南京大虐殺の史実に関する河村名古屋市長の不見識な発言によって特に歪んでしまったこの地域と中国の人々との真の友好関係を築くための一つの小さな寄与ともなるでしょう。そしてもう一つ、この取り組みはあのような一般市民や捕虜の拉致という軍隊の暴力行為や非人間的な環境で苛酷な労働を強いた企業の行為、このような人権無視の行為を再び許さない社会を守り、作って行くという私たちの社会のための運動の一環でもあるという点も忘れてはならないと思います。 ・追悼と補償の関係について 2009年以来毎年9月、この地で亡くなった5名の中国人被害者のための追悼式が地元大府及び東海市の有志の人々と日中友好協会愛知県連を中心とした人々によってゆかりの玄猷寺の協力を得て取り組まれて来ました。この追悼運動と今回新たに取り組むことになった謝罪と補償を求める運動の関係は本来どのようなものであるのか、またあるべきなのかについて私たちの中でもいろいろな思い、様々な議論がありました。この運動に関わる人々一人一人の中でそれぞれ何をもっとも大切だと考えるかは多様であり、また自由であるでしょう。それぞれの思いに従ってそれぞれのやり方で関わっていただければ良いと考えます。ただ、私は追悼と謝罪要求・補償問題は本来本質的に結びついたものであり、またそうでなければならないのではないかと考えています。もし仮に追悼の思い、つまり死者や被害者の痛みへの共感を欠いた謝罪要求や補償要求というものがあるとすれば、それは殺伐とした虚しいものとなるでしょう。この大きな不法行為の歴史を単に金銭の問題に矮小化してしまう虞(おそれ)を生み出すでしょう。しかし、一方で被害を受けた人々が、死者の遺族も含めて、日本の政府と企業から一言の謝罪もなく、何らの補償も受けていないという状態を放置したまま、死者の追悼だけを行っていて良いのかという疑問は当然生まれるでしょう。死者や被害者の痛みへの共感は、たとえ不十分であっても、たとえ困難であっても、必然的にそれを何らかの形で精神的及び物質的に和らげるための具体的な救済措置を求めることに結びつくのではないかと思います。まして、生存者から具体的な要求の声が挙げられている時、それを無視することはできないのではないでしょうか。私たちが追悼運動に加えて、謝罪と補償を求める運動に取り組むことを決断したのは以上のような理由からです。 −5− ・ドイツにおける強制労働補償基金と大統領の謝罪演説 ご存知のようにドイツにおいては2000年に「記憶・責任・未来」基金が国と企業によって設立され、2006年末までにポーランド、旧ソ連地域を中心にまだ生存していた166万5千人の強制労働被害者に総額44億ユーロ(約6500億円)の補償金を支払い終えて、戦時中の強制労働者に対する補償問題に一応の決着を付けました。詳しい経過と内容についてはお配りした資料を見ていただくことにして、ただ一つ重要なこととして指摘したいのは、米国における集団訴訟対策としてドイツ国家と企業が利益確保を図ったという側面は重要ですが、それだけが強調されてはならないという点です。その背景として戦時中の強制労働被害者に補償しなければならないという世論がドイツ国民の多数派を占めるに至っていたという点がより本質的に重要だと私は考えています。基金の合意当日の1999年12月17日に行われたヨハネス・ラウ大統領(第8代、2009年〜2004年)の謝罪演説「強制労働者に赦しを請う」がその世論の到達点を端的に示していると思います。 「国と企業が、かつておこなわれた不正から生じた共同責任と道義的責任を表明するものです。[中略]わたしたちはみな、犯罪の犠牲者が金銭によって本当は補償されないことを知っています。わたしたちはみな、何百万の男女に加えられた苦痛が取りかえしのつかないことであることを知っています。加えられた不正の大小を比べても無意味であります。奴隷労働・強制労働は正当な賃金の未払いだけを意味するものではありませんでした。それは、強制連行、故郷の喪失、権利の剥奪、人間の尊厳に対する暴力的蹂躙を意味したのです。それは、しばしば人間を労働によって殺害するために計画的におこなわれました。当時、命を失ったすべての人にとって、補償は遅すぎました。この間に亡くなられたすべての人々にとっても同様です。それゆえにこそ今、生存者はできるだけ早く、本日合意にいたった人道的給付を受け取ることが大切です。私は、多くの人々にとって金銭などまったく重要でないことを知っています。彼らは、自分の苦しみが苦しみとして認められ、自分たちに加えられた不正を不正としてみなされることを求めているのです。私は、ドイツの支配下で奴隷労働と強制労働をおこなわなければならなかったすべての人々に思いをはせ、ドイツ国民の名において赦しを請います。彼らの苦しみを私たちは忘れません。」(石田勇治訳) 犯罪事実を国と企業と国民が認め謝罪することが本質的に重要であり、補償金で補える問題ではないこと、そしてその補償は遅すぎたし少なすぎることを大統領が明確に認めて、被害者に謝罪したことにこの演説の意義があります。ここでは被害者の苦しみへの共感、謝罪そして補償が一体として結びついています。そしてその背景にこのような大統領演説を可能にした世論があります。1980年代以来、緑の党を中心としてその世論が作られてきていたからこそ、その緑の党が社民党との連立政権に加わった時に、この基金が成立しえたのです。日本では、そういう世論がまだ多数派を形成していない点に基本的な課題があり、私たちの目標があります。 ・愛知での取り組みの意味 愛知での取り組みは、2007年頃から始まり、2009年に第1回の追悼式が行われました。全国的に見れば、もっとも遅い取り組みです。日本各地では1950年代から60年代にかけての遺骨返還運動があり、隣の岐阜ではその時期に既に「日中不再戦碑」が建立されています。また1990年前後からは、先ほど田中弁護士に詳しく報告していただいたように訴訟運動が全国各地で20年にわたって粘り強く行われました。その中に大府の被害者の代表も2名原告として含まれている北海道訴訟もあります。愛知ではこの間、何をしていたのか、という問いが出されるのは当然です。しかしまた、裁判がほぼ終了した頃に始まった私たちの運動は、はじめから意図したわけではありませんが、結果としては、裁判は終わっても問題は終わっていないこと、最終的な解決に向けて謝罪と補償を求める運動は継続されなければならないことを改めて提起する意義を持つのではないかとも、私は思うのです。 司法による救済の試みが多くの弁護士・市民・研究者らの20年に及ぶ努力によって、不法行為の認定をはじめ、秋田・京都・広島などいくつかの和解成立の契機をもたらしたという重要な成果を生み出しながらも、裁判そのものとしてはすべて最高裁段階で敗訴に終わり、2011年までに日本の司法はこの問題を法的には救済しないことを決定してしまいました。今問われているのは、この裁判運動終了後の補償問題の解決の道筋の追求です。すでに三菱マテリアル(旧三菱鉱業)をはじめとしていくつかの企業との補償交渉のための具体的な努力が行われていますが、それらの個別の努力と共に、それらを支える国民的な世論が最も重要となるでしょう。私たちも岩田地崎建設への補償交渉の申し入れの取り組みと共に、この地域においてより広い一般市民の人々の支持と参加を得ることを目指して、本日「愛知・大府飛行場中国人強制連行被害者を支援する会」を設立すること提案します。具体的な運動方針等はこのあと冨田事務局長から報告・提案されますが、この運動の趣旨を理解していただいて、多くの皆さんの賛同と協力を期待するものです。 (この文章は、当日の報告に忠実に沿いながら、報告者によって改めて文章化したものであることをお断りします。) −6− |
(資料1)岩田地崎建設に対する生存者の要求文書 岩田地崎建設株式会社御中 1944年3 月、我々5名の中国人(男性)は日本軍に強制連行されて中国を離れました。相次いで貴社(当時名称:株式会社地崎組)に所属していた北海道の伊屯武華と置戸及び平岸そして、愛知県大府の作業所で1945年11月に祖国に戻るまでずっと労働者として土木建設工事の強制労働に従事させられていました。 貴社から強制的に労働を強いられている間、私たち中国人労働者は非人道的な虐待を受け、行動の自由がなく、生存条件は極めて劣悪であり、労働者の安全保護設備や排置が不十分であり、毎日の労働時間は12時間以上の長きにわたっていました。重度の肉体労働に従事していたため栄養が極めて不足しており、病気になっても効果のある治療を受けられず、わずか1年間の間に31人が相次いで亡くなり、その他の者たちも大多数が怪我をしたり身体を損なわれたりしました。 半世紀が経ち、我々はかつて異なる方法で提訴してきましたが、しかし今に至るまで会社からなんら返答を得ることがなく、更には全く報酬も補償も受けていません。今日、私たち労働者の大多数は無念の思いが晴れないままに亡くなっています。健在者も既に80歳余りの高齢者です。中国人の尊厳を守り、私たちの合法的な権益を擁護するために、私たち5名の健在者はその他の491名の同胞を代表して貴社に謹んで以下の三つのことを強く求めます。 1.法的及び人道的責任を必ず負い、私たちに謝罪すること 2.後代の人の教育と中日の長期的な友好のために記念碑・記念館を建立すること 3.私たち496名の物質的・精神的損失を償うこと 私たちの上述した要求は完全に正義であり、「中日共同声明」に背くものではなく、また日本の最高裁判所による2007年4月27日の「西松建設中国人強制連行・強制労働損害賠償請求事件」判決に書かれている「付言」の精神(「本件被害者らの被った精神的・肉体的苦痛が極めて大きかった一方、上告人「西松建設」は[中略]相応の利益を受け、さらに前期の補償金を取得しているなどの諸般の事情にかんがみると、上告人を含む関係者において、本件被害者らの被害救済に向けた努力をすることが期待されるところである」)に完全に符合する。貴社が誠意をもって早く最高裁「付言」の精神を実行し、私たちが生きているうちに人道的・合法的及び合理的に対応することを望みます。そうすることは、中日両国の長期的友好の大局のために貢献することになるだけではなく、貴社の企業イメージを高めることにもつながります。貴社がそのような努力を行わない場合は、私たちの要求実現に協力してくれる劉宝辰教授(中国河北人学)や「大府飛行場中国人強制連行問題愛知対策委員会」(注2)などの日本の有志の人々と共に、私たちは上述した三つの要求が完全に実現されるまで貴社と争います。 2012年7月18日 496名の被害労働者代表(全員健在) 姓名及び生年月日:唐燦(郝自生) 1925年8月15日 住 所:湖北省黄石市委第二休幹所 郵便番号: 425000 姓名及び生年月日:楊印山 1926年3月21日 住 所:河北省定州市趙村鎮西南南佐村 郵便番号:074000 姓名及び生年月日:王連喬 1927年12月28日 住 所:河北省邢台市天厦嘉園金穂苑4−1−302 郵便番号:054000 姓名及び生年月日:楊束元 1922年9 月30 日 住 所:北京市西城区清芷園21−308 郵便番号:100054 姓名及び生年月日:孔繁河 1923年4月23日 住 所:山東省聊城市東昌府区梁水鎮西黄荘村 郵便番号:252037 (注I) 注1:在日本出版≪資料、中国人強制連行的記録≫中以上5人的番号分別記為:40、68、79、248、358。 注2:<代表>石川賢作、〈事務所〉日中友好協公愛知県連合会(名古屋市千種区末盛通4-18) (山田花尾里訳) −7− |
(資料2)岩田地崎建設の回答書
平成24年10月1日 大府飛行場中国人強制連行問題愛知対策委員会 代表 石川賢作日中友好協会愛知県連合会会長 殿
岩田地崎建設株式会社
執行役員 名古屋支店長 山田 隆 ご回答書 前略 当社名古屋支店は、先般(2012年9月18日)、貴委員会より「大府飛行場中国人強制連行・強制労働に対する謝罪と補償等についての申し入れ」と題する書面を戴きました。早速、当支店は、上記お申し入れにつきまして、本社にも連絡し、本社とも協議・検討いたしました。その結果、当社といたしましては、本件強制連行等と同様の強制連行等の件に関しましては、すでに、裁判所におきましても、当社には損害賠償の支払義務がないとの判断を受けております。従いまして、当社は、このたびの貴委員会からの上記お申し入れをお受けすることが出来ませんので、その旨、ご回答申し上げます。 なお、今後は、このような内容の如何なる申し入れに対しましても、対応いたしかねますので念のためご承知置き願います。 −8− |
愛知・大府飛行場中国人強制連行被害者を支援する会の取り組みの経過と今後の課題
大府飛行場中国人強制連行問題愛知対策委員会事務局長 冨田好弘(日中愛知県連理事長) ◆愛知における「中国人強制連行・強制労働」の史実の解明に向けて ・1955年、当時名古屋支部で大府へ調査に赴いたが、手がかりがつかめず。 2006年10月、中国人 強制連行・強制労働被害者ら100名が来日して日本政府と関系企業への謝罪と賠償を求める要請行 動を行い、その時に35企業名、135事業所名が報道され、大府飛行場のことも書かれていた。そ の後、遺骨が安置されていた「玄猷寺」を訪問、その後、学者、郷土史研究者などの協力で、大府 飛行場の全容が明らかになってきた。 ・第1回殉難者慰霊祭2009年9月19日、東海市寺にて 慰霊祭には地元市民や県民はじめ国会議員、県会市会議員など130名が参加した。 ・訪中調査団 2010年3月、劉宝辰教授の協力で生存者の聞き取り調査団(団長・伊藤充久・日中県連常任理事)8 名を、中国・湖北省、河北省に派遣し、『調査報告書−愛知における中国人強制連行・強制労働生 存者と遺族を中国に訪ねて』を作成した。 ・2010年5月7日「慰霊祭実行委員会」を「対策委員会」へ改称。 2010年8月15日 河北大学・ 劉宝辰教授来日、「戦争展」で中国現地での調査報告を展示、同時に特別講演会 170名参加 ・第2回大府飛行場強制連行・犠牲者追悼式典 2010年9月18日 生存者など4名を招待し盛大に執り行われた。 150名参加。 ・第3回追悼式典2011年9月17日 90余人参加、 ・第4回追悼式典2012月9月15日 80人参加。 ・岩田地崎建設へ9月18日、生存者5名による「申し入れ」を対策委員会として、名古屋支店長を訪問 し面会して申し入れる。 ・11月20日対策委員会で岩田地崎建設から再回答要請に対して返事なしを確認、「支援する会」に ついて呼びかけ人要請、発足集会の準備。 34名の呼びかけ人、40団体への申し入れによる「支援 する会」の設立総会となった。 ◆3月3日設立の「愛知・大府飛行場中国人強制連行被害者を支援する会」総会での提案 設立総会後の取り組みの基本方向 1、「支援する会」の積極的な意義を踏まえての諸活動に取り組む、「支援する会」への入会促進の活 動を推し進めていく。当面500名の会員をめざす、アピール・特別決議にもとづいて、働きかけて いく申し入れ活動とニュース発行の検討、ホームページの作成を検討。 2、岩田地崎建設へその後の対応について、無視する企業への働きかけ、抗議の声を集中、決議で、 名古屋支社本社へ行動を起こす。北海道と連携、北海道調査交流の旅行の提起 3、記念碑建立の検討、これまでの経緯と玄猷寺との協議、年内に基本方向を見出す、碑の「小委員 会」で検討、現地協力会との共同を追求 4、募金活動と財政計画について、第5回追悼式典の成功と記念碑建立の実現に向かっての財政活動。 5、パンフの1000部普及、報告書・再改定版の作成(8月)と講演会の開催、学習会の提起、今年の 県戦争展で独自にアピールしていく 6、第5回追悼式典、9月14日(土)午後2時より〜東海市・玄猷寺で現地と協力し成功させる。
以上 −9− |
設立総会に寄せられたメッセージから ・日本中国友好協会 会長 長尾 光之 「支援する会」開催にあたり、心からの連帯の挨拶を送ります。 日本の中国侵略戦争により、中国から強制連行され、虐殺・虐待された人びとの無念はいかばかりであったでしょう。この人権蹂躙に対し、日本政府と当事者の企業である岩田地崎建設は、今日に至るも真剣な謝罪と補償をしていません。 その被害者の追悼・謝罪と補償、記念碑の建立などの支援活動は人道的にも政治的にもきわめて重要であり、日中友好の促進にとっても大きな意義をもっています。 会の成功と発展を心から期待いたします。 ・中国人戦争被害者の要求を支える会 京都支部事務局長 桐畑米蔵 「愛知・大府飛行場中国人強制連行被害者を支援する会」設立総会に当たり心から連帯のあいさつを送ります。 ここ数年にわたり愛知・大府の戦争犯罪にかかる事実を調査され、さらに中国の被害者たちとの交流、慰霊祭、昨年に被害者たちから依頼された加害企業への「謝罪と補償」などを求める活動は、歴史を正し人道主義を貫く闘いとして敬意を表します。 私たちは歴史の歪曲を許さず、戦争責任と加害の事実に向き合い、被害者の人権を守り抜くことが、真の平和と友好、そして信頼を培う行動と考えています。そしてそれに逆行する日本政府の歴史を歪曲する態度、発言などの行為者たちを、選んでいる国民として責任の一端があると思います。「支援する会」の今後進まれる道は決して平坦なものではないと思いますが、一路邁進されることを期待します。 なお、京都では15年前に提訴された大江山事件について、支援の闘いを続け、最高裁では被害者の要求について棄却されましたが、日本政府と加害企業のすべての犯罪事実を判決で獲ち取り、高裁段階で加害企業との和解成立し、中国人被害者の要求に一定前進となりました。その後、昨年に提訴した被害者以外の方々から加害企業に対する「謝罪と補償」を求めるための闘いの支援を要請されました。現在、弁護団として加害企業に交渉を求めているところです。私たち支援団体はきたる4月4日から訪中し、「劉連仁さんの生誕百年」のつどいを9年前に建立した山東省高密市内の記念碑・記念館で行い、併せて大江山事件の被害者団体の方々とも意見交換をする予定で取り組んでいます。今後皆様と共に手を携えていきたいと念願し、総会へのあいさつとします。 ・酒田港中国人強制連行を考える会 代表委員 佐藤 匡子ほか 支援の会設立にあたり、心から連帯の意を表します。 1990年代、戦後60年にして、中国人強制連行事件の解明とその非人道的な戦争犯罪の解決、被害者の人権回復をめざして取組まれてきました。以来20年、裁判闘争は終結しましたが、法的にも、国・企業による犯罪事実は詳細に認定され、被害の回復への努力が強調されました。そしていくつかの企業においては「和解」が実現するという成果をおさめています。 しかし、今もって国は事実すら認定せず、解決の姿勢をしめしておりません。恐ろしいほどの頑なな態度は日本の国、国民を危うくするものです。「従軍慰安婦事件」については、従前の政府見解を覆そうとし、かっての侵略戦争の美化と改憲の道を突っ走ろうとしています。 山形県に於いて、私達は1997年に酒田港の強制連行事件の解明と県民世論を広げるために活動を始め、2000年に「酒田港中国人強制連行を考える会」を結成し、被害者や関係者の証言を広げながら2004年地裁提訴し、09年に国・企業の共同不法行為を断罪し、深刻な被害の解決を付言した仙台高裁判決、11年最高裁決定(上告棄却による高裁判決確定)と粘り強くたたかってきました。 戦前回帰を許さず、アジア諸国民の共生と平和友好のために、そして何よりも日本の平和、民主主義のために、貴会とともに一層世論を広げ頑張りたいと思います。 このほか、名古屋市職員労働組合執行委員長 大橋宗明様、日本共産党名古屋市議会議員団 団長 わしの 恵子様から連帯のメッセージが寄せられました。 −10− |
愛知・大府飛行場中国人強制連行被害者を支援する会 会計報告 2013.3.3 八木幸夫 会計責任者 1. 大府飛行場中国人強制連行問題愛知対策委員会 2012年度会計報告 2012年度分
2013.2.10現在 現金・預金
245,213 記念碑積立預金 566,000 借入金
946,297 (借入金の主な支出は、2010年生存者とその家族4名を迎え追悼式典を行った際に、中国の自宅からの交通費・中国国内の宿泊費、中国からの航空運賃、日本での滞在費など予定外の支出増によるもの) 2 .
愛知・大府飛行場中国人強制連行被害者を支援する会 2013年度予算
大府パンフ1000冊、改訂版報告書500冊印刷
以上 −11− |
ア ピ ー ル アジア・太平洋戦争の末期に、わが国は閣議決定により、中国の河北省や山東省から4万人を捕獲・拉致し、日本全国135の事業所で極めて過酷な条件のもとで酷使して、多くの死亡者と傷病者を出しました。その一部が愛知県では現大府市・東海市にまたがる地域にあった三菱重工名古屋航空機製作所の大府飛行場建設での強制労働でした。 ここでは480人が酷使され、5名の死者と多くの傷病者が出ました。この事実は、数年前から地元の有志の方々や研究者によって明らかにされ、私どもは大府飛行場中国人強制連行問題愛知対策委員会を立ち上げ、2009年から地元での追悼式を始め、また生存者を中国に訪ねて聞き取りを行い、その報告書も刊行しました。2010年には追悼式に生存者と家族を招待しました。 こうしたなかで、2012年7月には、中国の生存者5名から、大府飛行場造成工事の直接責任企業である岩田地崎建設株式会社に対して、署名・捺印入りの「提訴書」が送られてきました。これは5名とともに悲惨な運命をともにした仲間にたいする企業の人道上の責任を問い、「被害者への追悼」「謝罪と補償」「記念碑の建立」の3項目を求めるものでした。 しかし、この最低限の人道的要求に対してすら、岩田地崎建設はそっけない「拒否」の回答をして、完全無視の態度を続けています。 このような企業に対して責任をとらせ、80歳を超える人々の願いに応えようではありませんか。 私たちの運動は、企業と日本政府の人道的責任を追及するものに発展しています。大府飛行場中国人強制連行被害者を支援する会に集まった我々は、国民世論と不再戦・平和・友好の良識に訴え、人道的・道義的な責任をも感じない相手に対して、闘いを続けて行きましょう。 2013年3月3日 大府飛行場中国人強制連行被害者を支援する会 設立総会 −12− |
岩田地崎建設に対する抗議決議 岩田地崎建設株式会社 社長 岩田圭剛殿 昨年9月18日、私たちは貴社名古屋支店を訪れ、名古屋支店長に面会し、貴社が後継企業となっている旧地崎組によって第二次世界大戦末期に日本に強制連行され、北海道・伊屯武華・置戸・平岸、及びここ愛知県の大府飛行場において強制労働させられた中国人496人を代表する5名の生存者による貴社に対する謝罪と記念碑建設及び被害に対する補償を求める「提訴書」を手渡しました。 そこに詳述されている通り、この496人の中国人は苛酷な移送と労働等によって1年半の期間に31人が死亡し(愛知県連行時は480人、7ヶ月で5人死亡)、他の多くの人々も虐待や病気や飢えに苦しみました。また、父や夫や息子を突然拉致され行方知れずとなった家族にも耐えがたい苦痛と困難を与えました。北海道訴訟札幌高裁判決(2007年6月28日)は、この強制連行・強制労働の一連の過程を「違法であることは疑いないものと言わなければならない」と認定しました。 さらに、地崎組は国策に従ってやむを得ず中国人強制連行に携わった企業ではありません。1939年に「北海道土木工業連合会内外地労働者移入組合」の発起人代表として地崎組社長地崎宇三郎が当時の「厚生内務大臣」宛に「支那本土よりの労働者を移入」することを求めた「願書」を提出しています。地崎宇三郎はその後も政府に働きかけ、1942年の閣議決定「華人労務者内地移入ニ関スル件」を実現させた中心人物の一人でした。その結果、大府も含めて日本全国135ヶ所に地崎組をはじめとした35企業によって38935人の中国人が強制連行され、6830人もの人々を死亡させました(『外務省報告書』1946年)。 ところが、地崎組及び後継企業岩田地崎建設はこの強制連行被害者に対して何らの謝罪も補償も拒否して来ました。北海道訴訟においても違法な強制連行・強制労働の事実そのものを否認する主張を行ってさえいます。北海道訴訟では、日中共同声明による請求権の消滅等の理由で中国人原告側は敗訴しました(最高裁判決2008年7月8日確定)。しかし日本の司法制度において法的責任を免れたとしても、この不法行為とその重大な被害という事実に対する人道的な責任は消える訳ではありません。その責任を被害者たちは要求の第一項「法的及び人道的責任を必ず負い、私たちに謝罪すること」で明確に求めているのです。また同種の裁判である西松建設訴訟に対する最高裁判決(2007年4月27日)において「本件被害者らの被った精神的・肉体的苦痛」に対し被告企業を含む「関係者において、本件被害者らの被害救済に向けた努力をすることが期待されるところである」という付言が記されたことは、最高裁においても、法的責任とは別に関係企業の人道的責任を認めていることを示していると言わなければなりません。事実、この付言に基づき西松建設は被害者との間で和解し、補償と謝罪と記念碑建設を行って一定の責任を果たしました。また現在、北海道訴訟で同じ被告の立場だった三菱マテリアルも被害者との和解の協議開始への意向を示しています。 このような歴史的事実と訴訟経過、及びその後の和解の動向を踏まえた被害者らの要求に対し、昨年10月1日付けで名古屋支店長名で出された回答書においては、「すでに、裁判所におきましても、当社は損害賠償の支払い義務がないとの判断を受けております」とのみ述べて、不法行為に対する遺憾の意も示さず、人道的責任に対してもまったく無視するものとなっています。そして、「今後は、このような内容の如何なる申し入れに対しましても、対応致しかねますので念のためご承知置き願います」と記して、被害者たちの念願を一方的に切り捨てる態度を示しています。私たちは貴社の対応を批判し人道的責任にたする認識を示すよう再回答を求めましたが(10月18日)、貴社は無視の態度を続けています。高齢の被害者らが生涯の最後に長年の苦しみを経て貴社に人間として正当な要求を綴った「提訴書」の文章を貴社は本当に読んだのでしょうか。 このような不誠実かつ無反省な貴社の姿勢を私たちは到底、受け入れることは出来ません。日本の社会も国際社会も貴社のこのような対応を容認しないでしょう。私たちは大府飛行場中国人強制連行問題愛知対策委員会の活動を更に発展させるために、より広範な市民の参加に基づき「愛知・大府飛行場中国人強制連行被害者を支援する会」を設立し、被害者の要求実現への取り組みを強めることを決意しました。地崎組の歴史を引き継ぐ貴社に対し、私たちは改めて貴社の対応に抗議し、これまでの姿勢を改め、被害者の要求に真摯に向き合い、人道的責任を果たすことを求めます。 2013年3月3日 愛知・大府飛行場中国人強制連行被害者を支援する会 設立総会 参加者一同 −13− |
愛知・大府飛行場中国人強制連行被害者を支援する会 会則
2013年3月3日 1.名称 名称は、「愛知・大府飛行場中国人強制連行被害者を支援する会」(以下「支援する会」)とする。 2.目的 支援する会は、アジア・太平洋戦争末期(1944年3月-1945年10月)に日本政府の決定に基づき地崎組(現岩田地崎建設)によって日本に強制連行され、愛知県大府飛行場及び北海道で苛酷な強制労働を強いられた496人の中国人被害者に対する日本政府及び関係企業による謝罪と補償を実現させ、併せて強制連行中に亡くなられた人々を追悼し、この歴史を広く社会及び次世代に伝えることを目的とする。 3.活動 支援する会は主に次の五つの活動を行う。 1)強制連行・強制労働による死者を追悼する行事を行うこと。 2)強制連行・強制労働による死者を悼み、併せてこの歴史を伝える記念碑を建立すること。 3)愛知県大府飛行場及び北海道での強制連行及び強制労働の歴史を調査すること、そしてこの歴史を広く社会に知らせるために書籍・冊子等の刊行と普及、講演会・学習会の開催等を行うこと。 4)関係企業及び日本政府による謝罪と補償と歴史の伝承を求める被害者の要求を実現するために、関係企業及び日本政府に働きかけること。 5)日本各地及び中国で戦時中の日本による中国人強制連行・強制労働の被害者を支援するための活動を行っている多くの人々との協力・連帯を深め、この問題の全面的な解決に寄与すること。 4.会員 支援する会の趣旨に賛同する個人及び団体は誰でも会員になることができる。 5.総会 総会は、会の最高決議機関であり、役員の選出、運動方針の決定、会計報告、会則の改正等、支援する会の重要事項の決定を行う。総会にはすべての会員が出席できる。総会は原則として年一回開催する。 6.役員会 支援する会に代表(複数可)、事務局長、会計責任者を置く。これらの役職者によって役員会を構成する。 7.執行機関 役員会の下に、執行機関として「大府飛行場中国人強制連行愛知対策委員会」(以下「対策委員会」)を位置づける。対策委員会は役員と対策委員によって構成され、支援する会の日常の活動の中心となる。対策委員は役員会が依頼する。 8.顧問 支援する会に顧問を置く。顧問はそれぞれの学識経験に基づき、適宜対策委員会に出席し、意見を述べることができる。 9.財政及び会費 支援する会の財政は会費、趣旨に賛同する人々の寄付、及び書籍等の出版による事業収入による。 会費は年間個人1口1000円以上、団体4000円以上とする。しかし、趣旨に賛同だが会費負担が困難な場合は申し出により無料とする。 10.事務所 事務局は日中友好協会愛知県連合会事務所内に置く。 住所:名古屋市千種区末盛通4-18 電話:052-763-1152 Fax:
052-763-1153 この会則の発効日は2013年3月3日とする。 以上 −14− |
大府飛行場中国人強制連行被害者を支援する会・役員等一覧
2013年3月3日 顧 問 池田陸介・戦争遺跡研究会 佐藤明夫・半田空襲と戦争を記録する会代表 高橋 信・名古屋三菱女子勤労挺身隊を支援する会共同代表 竹内 平・弁護士.名古屋南部法律事務所 代表委員 代表委員 南 守夫・元愛知教育大学教授 代表委員 石川賢作・日中友好協会愛知県連合会会長 代表委員 石川勇吉・愛知宗教者平和の会代表世話人 代表委員 伊藤充久・日中友好協会愛知県連合会理事 事務局体制 事務局長 冨田好弘・日中友好協会愛知県連合会理事長 会計責任者 八木幸夫・日中友好協会愛知県連合会事務局長 事務局協力メンバ−(朝倉嗣喜、五十嵐昭、鳥當暁人、原由紀子) 対策委員会委員 伊藤三朗 日中友好協会愛知県連合会理事 木俣博 日中友好協会愛知県連合会常任理事 高木礼次 日中友好協会愛知県連合会理事 永井淑子 日福大福祉専門学科長 西 秀成 日本近代史研究者
西脇髟v 日中友好協会愛知県連合会常任理事 水野磯子 新婦人県本部代表委員
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設立総会新聞報道< |
青島・高密 2013年4月 〜劉連仁生誕百年記念訪中団参加記〜 南守夫(愛知・大府飛行場中国人強制連行被害者を支援する会・代表委員) 2013年4月5日から8日まで劉連仁(りゅう れんじん)生誕百年を記念した訪中団に参加して、山東省青島(ちんたお)及び高密(こうみつ)を訪れた。旅の中心は4月7日午前に高密市草泊村にある劉連仁紀念碑及び墓の前で行われた生誕百年記念墓前祭とその日の午後高密市内のレストランでの日中の強制連行補償問題に取り組んでいる遺族団代表・弁護士・支援団体関係者らによる座談会であった。 <劉連仁生誕百年墓前祭>(4月7日午前、高密草泊村) 墓前祭では子息の劉煥新(りゅう かんしん)氏をはじめ強制連行遺族団の人々、康健(こうけん)弁護士、付強(ふきょう)弁護士など、日本からは東京・京都・北海道などから26人が参加し、永村誠朗(ながむら まさお)氏(劉連仁連仁裁判勝利実行委員会委員長)、高橋融(たかはし とおる)弁護士(劉連仁裁判弁護団長)、大田宣也(おおた のぶなり)氏(日中友好協会副理事長)などが挨拶し、徳永淳子(とくなが じゅんこ)氏、布川雅章(ぬのかわ まさあき)氏が流暢な中国語で通訳を務められた。日中双方の挨拶の中では、劉連仁の北海道山中での13年の苦闘を偲び、その生命力を讃え、20年に及ぶ裁判闘争の努力と成果を振り返り、まだ実現していない強制連行被害者への補償問題の解決のための努力を続ける決意がそれぞれの言葉で語られた。特に高橋融弁護士が日本の弁護団を代表して、裁判闘争終了後も問題の最終的な解決まで努力することを墓前に誓うと述べられた言葉を私は頼もしく聞いた。それと共に、補償問題にようやく取り組み始めたばかりの愛知からの参加者として、多くの人々の挨拶を聞きながら、改めて長い運動の重みを感じていた。
<三菱マテリアル被害者団体関係者らとの交流会>(4月7日午後、高密市内) 墓前祭のあと、紀念館と故居を訪れ、高密市内での交流会場へと向かった。墓前祭と並んでこの交流会(座談会)が今回の訪中の中で特に重要な意義を持つ集まりであった。それは、澁谷廣和(しぶや ひろかず)氏(日中友好協会東京都連常任理事)らの努力によって裁判終了後の補償交渉の焦点となっている三菱マテリアルとの日中の交渉関係者が会して、今後の運動のあり方について意見を述べ合う機会となったからである。訪中直前の3月31日に5つの中国側被害者遺族団体が要求内容について合意したとの報道があり、その経過と内容について王万営(おう ばんえい)氏(山東省三菱被害者連誼会秘書長)及び康健弁護士から報告された。そこでは、遺族達が交渉実現のために自らのイニシアチヴで大同団結したこと、及び康健弁護士が補償金額の問題よりも団結の重要性を粘り強く説いたことなどが語られた。日本側からは森田太三弁護士がやはり中国側被害者団体の団結及び日中関係者の団結の重要さを熱意を込めて訴えられた。中国側でなお一部に異論がある問題も率直に語られたが、全体として大同団結して交渉実現の方向に向かおうとしている中国側の状況を関係者から直接聞くことができたことが一番の成果と感じた。また、交流会では大谷猛夫(おおたに たけお)氏(中国人戦争被害者の要求を支える会[SUOPEI]事務局長)、鴫谷節夫(しぎたに せつお)氏(日中友好協会北海道連合会理事長)、桐畑米蔵(きりはた よねぞう)氏(日中友好協会京都府連合会理事長)がそれぞれ長年の運動の経過を語り、劉煥新氏が日本での運動に貢献してきた人々への感謝と敬意を繰り返し強調されたことが印象に残った
−17− <崂山(ろうざん)、そして青島の海など>(4月5〜6日) 青島到着の4月5日には 青島近郊の毛子埠(まおずぶ)虐殺事件紀念館を訪れ目撃者の証言を聞いた。また、翌日の午前は青島の観光名所「崂山」の古い道教寺院を散策し、樹齢二千年を越える見事な樹木などを鑑賞して長い歴史を思いながら静かな時間を過ごした。その行き帰り、バスは青島の海岸線を辿り、晴天に青くまた緑色に輝く穏やかな海を眺めた。そのとき私がしきりに思い浮かべていたのは、旅行前に地図を広げてはじめて気付いたこと、青島・ソウル・名古屋・東京は緯度がほぼ同じで直線に並ぶということ、つまり青島から海を真東に辿ると日本が遂行した明治以降の朝鮮と中国への侵略、そして米国との争いの中で多くの命が失われた海と陸と空がひろがっていることだった。中国や北朝鮮との「戦争」を煽るような人々が公然と国会やテレビ、ジャーナリズムに登場するような近年の日本のナショナリズムの表面化という愚かで危険な状況を思い、「ふたたび戦火で乱すな」という今は誰も歌わない古い歌の一節を思い出していた。午後は劉連仁が日本行きの船に乗せられたいう今は軍港の一部となっている青島港第二埠頭、第二労工訓練所として利用された体育場なども見学した。
<青島第一労工訓練所跡>(4月8日、青島) 旅行最終日、私だけ午後遅くの名古屋便だったので、青島に残る第一労工訓練所跡を赤旗尾崎吉彦(おざき よしひこ)記者の2009年11月21日の記事を頼りに、張樹楓(ちょう じゅふう)教授(青島社会科学院)に前日場所を詳しく教えていただいた上で、一人捜しに出かけた。そして見つけることができた。当時平屋だった建物はすべて取り壊されて、今は7階建ての民間アパートと一部は警察署となっていた。張教授の努力で残されたという古い煉瓦の南門跡の一部がなければ、見つけることはできなかっただろう。この場所は今回の訪問で是非訪れたいところの一つだった。というのは、劉連仁も短期間ここに収容されたが、私たち愛知の支援する会に関わる496人が石家荘と済南の収容所から青島大港駅に移送されて出港直前に収容されたのもこの場所だったからである。これで、彼等の日本連行前の主な足取りを確認できたことになる。ここで出発直前に虐待や病気で亡くなった人々も少なくない。収容所は大港駅から歩いて数分のところである。青島港からも近い。この建物跡を写真に収めて、今回の私の旅は終了した。日本側中国側それぞれの思いをもって参加された多くの人々とお会いすることができ、中国人強制連行被害者の補償運動の歴史を思い起こし、裁判終了後の運動の方向を確認できた有意義な旅だった。長い運動の列の最後に加わった愛知の支援する会の一人として、運動の関係者、特に直接関連する北海道の関係者の皆さんに今後の協力をお願いし、最後にこの旅を企画・実行された澁谷廣和氏や大谷猛夫氏らにお礼を申し上げる。 (2013年4月30日)
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愛知・大府飛行場中国人強制連行被害者を支援する会への入会の呼びかけ 2013年3月3日 事務局 日中友好協会愛知県連合会内 名古屋市千種区末盛通4・18 電話052-763-1152 FAX
052-763-1153 Eメール obutyugokujin@yahoo.co.jp ホームページ http://www13.plala.or.jp/oubtyugokujin/ 日頃の暮らし、民主主義、平和のためご活躍の皆さんに心から敬意を表します。 戦時中、約4万人の中国人を強制連行し、残酷で非人道的労働により7千人死亡させたなかで、愛知・大府飛行場拡張工事では480人を連行し183人(5名の死者を含む)の死傷罹病者を出したことが明らかになりました。2007年に日中県連の呼びかけで、調査と学習会を始め愛知の戦争展などで展示、講演会を行うなど県民に歴史的事実を知らせる取り組みを進めてきました。それらの取り組みをとおして犠牲者の慰霊祭が検討され東海市の玄猷寺様のご理解とご協力で実施してきました。さらに大変困難な中、調査活動を中国で実施、生存者め発掘、証言を集約してきました。その過程で「強制連行の事実を忘れてくれるな、この非人道的扱いに対して謝罪と補償を、歴史的事実を残す記念碑の建立を」と今回の生存者5名(85歳から90歳)による岩田地崎建設(本社札幌市)に対する申し入れとなりました。岩田地崎建設に対する取り組みは全国35企業135事業所のなかのーつとなりますが、人道的、道義的な責任を感じない相手に対して、不再戦平和を願う立場から、国民世論に訴え正義と良識に頼って解決していくしかありません。3月3日に設立しました「大府飛行場中国人強制連行被害者を支援する会」へ入会して頂きご一緒に解決のためにご協力を心から訴えるものです。 会の目的:@追悼活動 A記念碑の建立 B企業と国に謝罪と補償を求めること 年会費:個人 1000円、団体:4000円 郵便振込口座 番号:00810-8-135432 加入者名:大府飛行場中国人強制連行 (呼びかけ人) 青木茂・撫順の奇蹟を受け継ぐ会、池田陸介・戦争遺跡研究会、東海市在住、石川賢作・日中県連会長、石川勇吉・真宗大谷派僧侶、石原洋一・日中緑支部事務局長、伊藤三朗・日中県連理事、伊藤充久・日中県連理事、伊藤良孝・年金者組合県本部委員長、井上和子・日中シルクロード支部長、木俣博・日中県連常任理事、杵淵弘・日中名古屋南部支部、久保田武・愛知民医連事務局長、樽松佐一・愛労連議長、佐藤明夫・半田空襲と戦争を記録する会代表、澤村巧・日中豊田支部長、高木礼次・日中県連理事、高橋信・名古屋三菱朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会共同代表、高林誠・元豊田織機長草工場勤務、竹内平・名古屋南部法律事務所弁護士、冨田好弘・日中県連理事長、鳥居達生・日中県連副会長、永井淑子・日福大福祉専門学科長、西秀成・日本近代史研究者、西脇隆夫・名古屋学院大学教授、平山良平・ノーモア南京の会、廣瀬務・真宗大谷派僧侶、松浦均・日中県連事務局次長、水野磯子・新婦人県本部代表委員、南守夫・元愛知教育大教授、森賢一・アジアボランテアネットワーク東海、森谷光夫・みなと医療生協理事長、矢崎正一・北医療生協理事長、八木幸夫・日中県連事務局長、若山晴史・元港民商事務局長 (2013年3月3日現在) −19− |
みかん畑の大きなテント 〜愛知・大府飛行場中国人強制連行被害者を支援する会 ニュース 〜 創刊号 2013年4月30日 発行 編集担当:冨田好弘、西秀成、南守夫、八木幸夫 表紙・裏表紙絵:桜井久美子 事務局: 日中友好協会愛知県連合会内 名古屋市千種区末盛通4・18 電話052・763-1152 FAX
052・763・1153 Eメール obutyugokujin@yahoo.co.jp ホームページ
http://www13.plala.or.jp/oubtyugokujin/ |
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