こう書くたびに、自分が小市民であることを痛感させられるのだけれども、アタシは『新世紀エヴァンゲリオン』が引き金となって、ガレージキットにハマったクチ。しかも、その直接的な理由が、コトブキヤのカヲル&シンジ、というのだから、典型的なガレキ少女(気持ちはいつも少女なんだよ)。

それでまあ、延々と、賽の河原で石を積み上げるがごとく、ひたすらガレキを作り続けていますが、それにはそれなりのワケがあるのです。

といっても、ね、そんな大仰な理由なんかじゃございません。

アニメのフィギュアは、オフィシャルな設定があって、それを忠実に立体化したお人形、という固定観念がありましてね、そうじゃないんだよ、と優しく語りかけてくれたのが、カヲルくんであり、シンちゃんだったワケです。「そうじゃない」と気づかせてくれたのは、語りかけてきたのが「木下カヲルくん」であり、「木下シンちゃん」だったこと。つまり、木下悟っていう原型師が、カヲルくんなりシンちゃんなりを表現するのに立体化=ガレキという手段を用いたということに、えらく感銘を受けたのです。

いやもちろん、そんな崇高なものじゃなく、「ガレキに興味もっている女ドモを、カヲシンで『コチラ側』へ引きずり込め」っていう、メーカーのストレートな発想に基づいたものかも知れませんけどね。多分そうでしょ。

まあ、そういうことなんです。だから、オリジナルと似ている、とか、似ていない、というのは、私にとってはどうでもいいことで、原型師が何をどう表現しているのか、ということのほうが大事。表現力とか構成力ね。もちろん、造形力やデッサン力も欠かせない要素だけど、今はおいとくとして。

そんなわけだから、「エヴァ」という同一のテーマに対し、複数のメーカー、原型師が大量に作品を発表したことに起因するガレキ・ブームに、巻き込まれてしまったのです。もう、巻き込まれるしかないやろー、て感じ。流行の推移に疎いアタシは、ブームも終息に向かい始めた97年から、ガレキを作り始めたんだけどね。この辺りの鈍さが、我ながら愛おしい。

エヴァ関連のガレキ全般にいえるのは、玉石混淆だってこと。「エヴァなら売れる」てなもんで、綾波レイ、みたいなものや、アスカもどきな物体が、平然と店頭に並べられていたものね。けれど、「エヴァなら売れる」というマーケットの需要が、プラスに働いた面もあるでしょ。エヴァという作品そのものが隙だらけだったこともあり、原型師が、思い思いの表現方法で立体化に取り組むことができたってこと。どうしようもないくらい似ていないのに、妙に魅力的なフィギュアって、結構あるものね。

ガレキを始めて3年目、つまりエヴァのフィギュアとつきあい始めて3年になります。以前ほどではないにせよ、エヴァ関連のガレキはコンスタントに新作が発表されており、相変わらずアタシも、作っていたりするのです。これが。

最近の傾向として、「貞本顔の再現」が注目されているようですが、アタシにとってはどうでもいいこと。語るべき言葉をもった原型師が、きちんと語ってくれれば、それで良いのです。

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