よもやまばなし2005

          このページは”エジプトがどぅわーい好きっ!”の私が、旅行記とは直接関係ない”よもやま的な話”を、
          ただただ意味なく書き連ねるものです。でも、現地で実際に頭に入った情報を元に書いている場合もありますので、
          そういう意味では多少旅行記と関係あるかも知れません。さらに、頭が疲れたとき適当に思ったことを書いたり、
          或いはブログ的に書く場合もありますので、あまり本気で読まない方が良いかも知れません。

2005年10月16日(日)
ピラミッド

姪の○○ちゃんが書いたピラミッド。

先日、姪の○○ちゃんからもらった”絵”。
ピラミッドである。
(なんとも、か〜わゆ〜い。 だしょ?)
そうか・・・小さい子には、ピラミッドはこんなイメージなんだ。
まあ近い。確実にピラミッドに見える。
「ピラミッドは”角(カド)”から写すと写真がきれいに撮れるんだよ。」と教えたことがあるので、
きっと角から見た絵なんだね。 v(^^)/ イエイ
でも「階段ピラミッドは6段なんだよ」とも教えたのでクフのピラミッドと階段ピラミッドが混ざって
いるような気もする・・・。

今度エジプトに行くときに、この絵をエジプトに持って行って欲しいと言う。
簡単にすぐまた行くと思ってるし。(準備やだんどりや根回しやらで結構大変なんだじょ。)

2005年10月13日(木)
散る桜 残る桜も 散る桜  (良寛)

バハレイヤオアシス
より。

ブラックマウンテンから見る塩湖。

まだまだ、俳句や短歌に感動するような年齢でもないのだが、
先日、強烈なインパクトのある句に出会った。
(単に自分の勉強不足で知らないだけで、知っている人には超有名な句)
上のタイトルがそれ。

 「 散る桜 残る桜も 散る桜 」

なんとも”強烈”に寂しい良寛の句。
桜の花は早い遅いはあっても、いずれは散ってしまう。
人間もまったく同じで、人の命の散る様を見ても、すぐに自分の命の散る時が必ず来る、と言う意味。

なんとも寂しい句である。歴史的な背景はわからないが、この時の良寛の心情はどんなだったのだろう?

2005年10月12日(水)
俳句

ナイル川クルーズ船より。

エドフを出航してエスナに向かう途中のゆったりした時間。

先日、ふと思い立って部屋を模様替えする気になった。
と言っても1日で完成させようというのもなく気長にゆっくりと。
もともと旅行記の更新やもろもろやることはいっぱいあるのだが、時間の許す範囲で
「まずは古い書物から整理しよう・・・。」という感じ。

と、最初のダンボール箱を整理していると、さっそく小学校6年生のときに作った俳句?
(季語がわからず”川柳”になってるのもある。)を発見!
で、読んで見ると恥ずかしい。もともと昔から国語のセンスは全くなく、自分で読み返しても
頭の悪さを痛感して恥ずかしい。でも一応下に5つほどおひろめ。

@ 「おしょうがつ おすしを食べて おなかいっぱ〜い」 (字余り?)
               ・・・・・・(評)・・・ 私、おすし、だ〜いすき〜。

A 「秋くれば 山の葉っぱが 赤くなる」
               ・・・・・・(評)・・・ そりゃ、そうだ〜。

B 「カレンダー あと2かげつで 今年もおわり。」
               ・・・・・・(評)・・・ 文面から、10月に作ったんだねぇ。

C 「台風で 屋根のカワラが 空に舞う」
               ・・・・・・(評)・・・ 北海道はあまり台風が来ないのだが、何を見て
                          こう詠んだのだろう??

D 「ストーブが 燃える燃えるよ まっくゎっくゎぁ〜。」
               ・・・・・・(評)・・・ この頃から自分の頭がヤバイかったことに気づく。
                          私は、小学生の段階で既におかしい・・・。
                          でも、確かに北海道の冬の寒い日は、ストーブが
                          真っ赤になるくらい燃えないと寒いのだ。

で、通知表やら写真やら文集やら他にもいっぱい出てきて、全然整理できず・・・。
「わー、なつかしー、おーなつかしー。」とか見ているうちに、
なんだかんだで、祝日もまるまる一日ぶっとんだ。(ま、予想通りの結果か。)

2005年9月15日(木)
いそがぴーーーーっ

↑ 途中で寄った
シンガポールから
出した絵はがき。
切手込みで1ドル。
はにゃぁー。
忙しくて、ぜーんぜん更新できなーい。
ごめんなさーい。


 ← お詫びに(?)シンガポールから無事日本まで戻ってきた絵はがきでも
    見てください。
    シンガポールは優秀で、出したはがきは4日かかって全部日本に戻ってきた。
    それに比べてエジプトは・・・・。ぷんぷ〜ん。
 
2005年9月11日(日)
JR寝台特急”北斗星”の切符

”北斗星”の切符 ↑
(上)乗車券
(下)寝台券
の2枚が必要。
寝台券の購入には
神経を使う。

北海道に住んでいる私は、成田から出国する場合まずなんらかの手段で東京まで行く
必要がある。
一番安くて手っ取り早いのは、新千歳から羽田まで飛行機を利用することだ。
飛行機は90分ほどで行くから早いのだが、真冬の新千歳は天候でたま〜に閉鎖する。
そこで今回、のんびり時間がかかり、さらにお金もかかる贅沢な寝台車を利用。
上野まで16時間もかかっちゃうが確実性が高いのでしょうがない。
寝台車と言う名のホテルに泊まる感じだ。

で、寝台車に乗るには、”乗車券”と”寝台券”の2枚の切符が必要だが、
この”寝台券”の購入に異常な神経と労力を使う。

知っている人は知っているが”寝台券”は30日前の午前10時から一斉に発売
される。(10時より前には購入できない。)
で、私が利用する”北斗星”という寝台特急は人気の寝台車みたいで、
個室の寝台券はものの数分で売り切れ。人気のロイヤル個室になると、なんと5秒で
売り切れるという恐ろしい世界。
(窓口で操作する例のマルス端末機で全国一斉に処理される。早い者勝ちの世界。)

でもこの寝台券、”専用個室部屋”を購入しても札幌→上野まで6300円で、そんなに
高いわけでもない。(運賃の大部分を占めるのは”特急・乗車券”の方。)

ちなみに”乗車券”の方は当日でも出発間際でもいつでも買える。
問題は”寝台券”の購入なのだ。
現に、私は上野から帰りの寝台券を一発で購入できていない。
10時30分頃行ったら、本当に売り切れていたのだ。
非常に焦ったが、なんとかキャンセル待ちで購入できた。
危なく、危険を冒して飛行機にのるところだった。

2005年9月10日(土)
と〜っても忙し〜い
ので、今日の”よもやまばなし”はお休み。
その代わりと言ってはなんですが、
昨年のクリスマスで食べたケーキでも見てて下さい。 (^^)/ ホレッ
別に特に意味な〜し。

 ← クリスマス・ケーキ。 あにゃ〜、おいしかったにゃ〜。
2005年9月9日(金)
東京は都会だねぇ。

上野公園の西郷
さんの銅像の前で
はしゃぎまくる
女子高生3人組。

更新もままならないまま、ビデオテープを整理していると、
1ヶ月くらいエジプトに滞在した後、ひさしぶりに帰国した時の映像が目に止まる。
すっかりエジプトの感覚に慣れてしまって、どうも違和感があった(事を思い出した。)。
変な話だが、廻りのあちこちで日本語を話しているのが当たり前だけどどうも変。
上野公園を散歩していると、キャピキャピ言っている女子高生3人組。
「いや〜だぁ〜。」とか「写そうよ〜。」とか「いやぁ〜っ。」とかキャーキャー言って
”西郷さん”の銅像の前ではしゃいで?いる。
「私たち地元なのに、記念写真は変だよ〜。」
「地元でも、上野なんてなかなか来ないしさ〜。じゃー写すよ〜。」
「いやぁ〜。」とか言っている。
なるほどねぇ。東京も広いから地元でも上野にはなかなか来ないかもね。
で結局、「いちーたすーいちーはー?」・・・「にっ!!」・・・パチリッ!

こんな、日本語があちこちから聞こえる状況がなんだかとても変。
後ろを振り向くと、ちょうど上野駅。2〜3分おきに電車がガシャン・ガシャン通っている。
下を見ると”アメ横”の看板や”ヨドバシカメラ”の看板が見える。ビルもいっぱい。
ちょうど信号が青になって、一斉に大量の人が横断歩道を渡る。
いやぁ、東京は大都会だねぇ。

でもカイロのグッチャグッチャした喧騒と違って、東京は整然としたきれいな”騒がしさ”だな・・・。

2005年9月8日(木)
どうでもいい話だけど

五郎の石の家。
(でも知らない人は
 誰も知らない。)

そういえば、8月のお盆休みに富良野に行ってきた。
「お盆だから、みんなお墓参りで誰もいないだろう。」と思ったら溢れるほど人がいた。
たぶん富良野の人口より、観光客の方が圧倒的に多かった。
富良野は「北の国から」の舞台の町。(知らない人は知らない。)
自宅から車で片道3時間、往復で6時間。
一旦太平洋に出て鵡川、門別、平取、日高、占冠村を経由して富良野へ。
私、車でのーんびり旅するのが好き。
いつか”北海道を紹介!”みたいなHP追加しようかな。
「今度、北海道行くんですけど、いい所紹介してー。」というメールも意外と多いし。
でも、そんなことはどうでもいい話だねぇ・・・。

エジプト旅行記と全然関係ない話だねぇ。更新すすまないねぇ。 (^^)/ ホイッ!

2005年9月7日(水)
オアシスのホテル。

自室のドアを
開けると、いき
なり外である。
廊下のてすりの
上には、きれいな
小さい石ころが
いっぱい。
いまだによく思い出すオアシスでの日々。
日本と違って、一日中なんだか非常にのんびり。
時間が完全に止まっている雰囲気。
もっとも、砂漠のど真ん中にあるオアシスで特に急ぐことは何もない。
宿泊ホテルの自室の部屋のドアを開けると、そこはもう外。
レストランは違う建物。
フロントも違う建物。
つまりここは宿泊専用の建物。ドアを開けると一応廊下だが、
廊下自体が外にある。その廊下の手すりにズラーッと並ぶ小石が
妙に美しい。誰がここに置いたんだろう?ホテル関係者か?
観光客か?
次の日、黒砂漠・白砂漠と観光してガッパリ小石や砂を集めてきた。
そして日本に持ち帰るにはちょっと多すぎたため廊下の通路に少し置いた。
そうか・・・この小石は、過去にここを訪れた観光客が置いていったおみやげだったんだね。
2005年9月6日(火)
なかなか進まないんだぁ。

いやぁ、HPの更新がなかなか進まない。
頭の中には、今後さらに公開したいページのアイディアや情報が無尽蔵にあるんだけど、
テキパキテキパキと思ったように作業が進まない。
ま、一日のうちHPの更新に当てられる時間は、平均15分程度という事情もあるんだけど・・・。なんだか毎日が忙しーーい。何も考えない贅沢な時間が・・・また欲しいな・・・。
←数千年前の”人類の仕事”がはっきりと残る”カルトーシュ”と”ヒエログリフ”
 (フィラエ島のイシス神殿)

2005年9月5日(月)
楽しかったね・・・。
今年もまた・・・長く寒い冬がやってくるね・・・。まだまだ後だけどね・・・。
実は私、冬はきらい・・・。寒いし・・・。
生まれた時から北海道に住んでいるから・・・もう飽きたのかな?
毎年やってくる冬は・・・きらい。
だから、真冬に日本を離れるのかな?それは違うか・・・。

←今年の夏、庭でみんな遊んだ”花火”。楽しかったね。
 また1年間、おあずけ・・・だね。。
2005年9月4日(日)
久しぶりだね・・・この新鮮な感覚は・・・
今日はちょっとCDを一枚買ってきた。
たぶん知っている人は知っている。
熊木杏里さんの2枚目のアルバム。
杏里さんの曲はなんだか久しぶりに新鮮な感覚。
そのCDを一日中聴いていた。
2005年9月3日(土)
そうだね・・・

そんなに長生きできなくてもいいから、
自分が納得できる人生を送りたいな・・・。

毎日、「あぁ、生きているなぁっ」ていう感じを味わえて・・・。
最後に、「あぁ、いい人生だったなぁっ」て自信を持って言えるような・・・。

←サレキサンドリアのヘルナン・パレスタイン・ホテル
  モンタザ宮殿の敷地内にある。

2005年9月2日(金)
あら?久しく書いていなかったね・・・。

過ぎた日々は二度と戻ってこない悲しみ。
自分では、その時の記憶が残っているような気がするけれど、
はたして、その何%が確実な記憶だろう?

←バハレイヤ・オアシスに向かって疾走する車から。(一面の砂漠地帯)

2005年5月29日(日)
そういえば、写真を現像してない・・・。

出発当日。
北斗星2号に乗る私を
見送ってくれる
甥の○○○くんと、
姪の○○○ちゃん。

ほらー、よそ見してると
下まで落ちるよー。

そういえば・・・
すっかり忘れていたが、エジプトで撮影したフイルムを現像していない。
デジタルカメラの写真ではなく、フイルム。
帰国してから3ヶ月ほどたつので、どんな場面を撮影したのかも
忘れている。

今度暇あったら現像してこよう。

24枚撮りのフィルム何本もあるけど、
いったい?何、写ってるんだろ?????

2005年5月28日(土)
ビデオカメラ壊れるし・・・。

シナイ山3合目あたり
から撮影。

1時間ほど前に日の出
を迎えてもうこんなに
明るい。

ご来光も見たし、
すがすがしい朝だなぁ。
でも、足が笑ってウヒョ
ウヒョ状態。

ホームページ更新にビデオカメラは欠かせない。
映像をキャプチャーしたり、頭の中の情報を整理したりするのに必ず活用する。
でも一番の活用は、旅行の際のできるだけ正確な記憶を思い出すため。
毎日3〜6時間(その日の様々な状況によって変わる)ポイントをはずさないよ
うに意味なく?長時間ただ撮影。(ビデオは身体に固定し、勝手に録画してい
るので、本人は撮影していることを忘れている。)
で撮った時間は120時間ほど。ほとんどの記憶がビデオテープに収められている。
当の本人がすっかり忘れていてもテープの記録が忘れていない。
だから旅行第○日目の第○巻のテープを回すと・・・
「おーっ!こんなことが、あった、あった、あったーっ!!」
「あっ、おっかしいーっ!!プ・プ・プ・プーッ!」
と、しばし懐かしさにふけり、ホームページ更新を忘れるのであった。

そのビデオカメラが壊れてしまった。
やはりシナイ山登頂で何回も岩にぶつけてしまったからかな?
先週修理に出したのに、まだ直らないな・・・。

ビデオカメラが直るまで、しばし更新は中止。
間違った情報で更新するとちょっとまずい。
人間の記憶ほど怪しいものはないし。

だから、あたりさわりのない部分だけちょこちょこっと更新。

2005年5月27日(金)
久しぶりの日本がなんか不思議

帰国後。
上野駅で買ったお弁当。
帰りの北斗星1号で食べ
た。なつかしくて妙に感
動。お茶と缶コーヒーを
飲みながらだんだん日本
を思い出す。

  変な話だが、久しぶりに帰って来た日本にちょっとした違和感を感じた。
日本を離れて1ヶ月ほどの間に、頭が”エジプト化”しているのがわかる。
目に映る景色が全然違うからそう思うかも知れないが、もともと見慣れた景色
だったはず。廻りの景色の問題ではない。
  例えばお買い物の際、財布を出す行為に違和感を感じる。(向こうでは財布
を持ち歩かない。「私はお金をガーッパリ持っています」と言ってるようなもの。)
  缶コーヒーの自動販売機や切符の自動券売機もちょっと変。(会話しなくても、
コミュニケーションを取らなくても買えてしまう。値段交渉も必要ない。)
  そして当然だが日本語が通じる。簡単に言葉が通じて希望通りにしてもらうと、
思わず”ショコラン”とか言いそうになる。(危ない危ない。)

  でも根本的に感じる”違和感”はもっと違うところにある。
  この感覚は・・・なんだろう?
 
ずっと考えながら、空港を出て東京に向かう。
上野に向かう電車の中でわかった。
「時間の流れるテンポが違う・・・。恐ろしく早い・・・。」
ここ最近、時間なんて気にしたこともない。
昼の3時に出航する船が、夜の10時に出航しても許容範囲の国である。
そう思いながら、自分も廻りの時間の動きに合わせているのがわかる。

いろいろ考えている瞬間にも、時間とともに急激に”日本”に順応して行く自分が
わかる。

電車の中でふと顔を見上げると、あらゆる人の顔に表情がない。
電車を降りると、歩いている人の顔に表情がない・・・。
昨日まで、毎日毎日”ワーワーギャーギャー”うるさい環境の中にいたから、
妙に違和感がある。

急激に現実に引き戻される。

2005年5月26日(木)
いつも、思うこと・・・。

ギザの第一ピラミッド
北東側のチケット売り
場から撮影
 こうしてホームページを作りながら、いつも思っていること、、、。
それは「やはり写真で見るより、自分の目で見た方が絶対にいい」と言うこと。
写真では、どうしても伝えきれないものがある。
文章でも動画でも、伝えきるにはどうしても限界がある。
それは単に情報不足だけではなく、意に反して誤った知識として伝達している場合もある。

 事実、昨年までの私がそうだった。
それまで、膨大な情報量を吸収していたつもりだった。
ピラミッドもツタンカーメンもなんとなくわかったような気になっていた。
でも、実際に自分の目で見て感じた”衝撃”は、それこそ言葉で伝えきれるものではない。

 このホームページもできるだけ高い完成度で、
正確な情報を公開しようとしているし、
少しずつでも毎日更新しようとしている。
でも公開する画像を一生懸命探したり、選んだ動画にコメントをつけても、
そこにはどうしても”限界”という壁がある。

 だから「いつか、かならず、自分の目で見て判断して欲しい、、、」
きっと、私と同じように間違いなく感動するだろうから、、、と言う思い。
2005年5月19日(木)
そういえば、、、。
「ナイルに死す」の表紙カバー部分
 そう言えば【エジプト旅行記2004】の”ナイルに死す”のコーナーで出した問題の解答をしてませんでした。正解は「コンム・オンボ」のコム・オンボ神殿またはハロエリス・ソベク神殿でした。
 正解した方おめでとうございました。パンパカ・パ〜ン。
2005年5月18日(水)
エジプトは昨年と変わっていた。
今年のムハンマド・アリ・モスク
今年はロープが張
られて城壁ギリギ
リまで行けなくなっていた。
観光するのに別に不便ではない。む
しろ安全。
昨年のムハンマド・アリ・モスク
昨年はロープも
何もない。
石段の上に乗っ
て記念撮影している外国人もいた。

 そういえば、すべての観光地の入場料がものすごく高くなっていたのには驚いた(これはどっかにも書いた)が、それぞれの観光地でどっかこっか(これって標準語ですか?)変わっていた。
 アスワンの切りかけのオベリスクではしっかり転落防止のロープが張られていたし、ムハンマド・アリ・モスクではこれまた転落防止のロープが張られていた。
 さらにハトシェプスト女王葬祭殿では、昨年は自由に入れた場所がロープで仕切られて進入禁止になっていたり、そんなのばかり。
 で、ちょっと見た感じでは気がつかない変更も多くあった。たとえばアブシンベル神殿も昨年は通路に板がなかったのにきれいに板張りされていたり、照明がなかったところに照明が配置されたり。何も手を加えていないようで、けっこう手が入っているんだね。

2005年5月17日(火)
エジプト考古学博物館のミイラ展示室に新しいミイラが、、、。
ワールド・ガイドには
たしかに一番左にトトメス
3世がいる。
ちょっと見にくいか?
しかし”歩き方”には左は空白のまま。昨年は確かにこの場所には何もなかった。
 ミイラ展示室。ファラオの中のファラオ、ラムセス2世のミイラの置かれている場所は、いつもの”特等席”だ。
しかし、そのラムセス2世の向かい側、ある意味メイン通路の場所に昨年はなかったミイラがある、、、。
 ん?どれどれ”歩き方”で配置を調べると、、、ありゃ?、、、載ってないぞ。いや配置図は載っているのだが、今探している場所にミイラは存在しない。あん?
 ではワールド・ガイドで調べてみると、、、お?、、、トトメス3世!!!おー、昨年はなかったぞ?でも有名なトトメス3世とは、、、。どうして増えたんだろう?いままでどこにあったのかな?でもこのトトメス3世、、、。プレートも何も書いてない。なぜか急に置かれた感じ。最近おかれたばかりかな?
フレーム”エジプト箱”から少し
ホテルから記念に持ち帰った石鹸とかシャンプー
それぞれ強烈な匂いがあり外に出してはおけない
2005年5月16日(月)
ベッドの下にある宝物、それは”エジプト箱”
 昨年と今年でエジプトから持ち帰って来た大量のビデオテープや写真類、膨大な資料はすべて箱の中。それも一箱ではなくて、いろいろ分類しているから十数箱になる。
 その中でも私が個人的に”エジプト箱”と読んでいる箱が一つ。その箱の中身は、ホテルから持ち帰った石鹸とかシャンプーとか、購入した絵ハガキとかむこうで着ていたTシャツ(洗えって)とか砂漠の砂とか石とか。
 それで、その箱を開けた瞬間に例の”エジプトの匂い”がドワーッと復活してくる(あ、あのねッ!)。エジプトから石鹸を持ち帰った人はわかると思いますが、石鹸だけでも強烈。で、ホームページを作成する時など、ある意味一種のトランス状態に入り込んで(おいおいっ!)実際にエジプトにいる境地に陥ってから(は、はい?)パソコンに向かうのである。
 ま、それは半分冗談だが半分本当である(どっちじゃー)。だから、いつでもなつかしい匂いを思い出せるのじゃ(あっそ)。
フレーム
カイロ空港内にズラっと並ぶ銀行
入国審査カウンターのすぐ目の前にある
それぞれの銀行で微妙に交換レートが違う
2005年5月15日(日)
エジプトのなつかしい”匂い”と”ホコリ”

 昨年に続き今回エジプトに行ってみて、初めて(というかあらためて)気がついたのは、エジプトの匂い。
カイロ空港に降り立った瞬間に感じるアノ独特の匂いだ。なんて言えばいいのか「あー、エジプトだー。」と言う匂い(笑)。
 良く分からないけどたぶん、香辛料の混ざったような人の汗のような中世のようなモスクのような(なんじゃ?それ?)そんな感じ。
 「あ?これだこれだこの匂いだ。おー、エジプトにまた来たんだなぁ〜。」
 (インターネットは昔と比べかなり進歩してきたけど、これだけはうまく伝えられないね。)

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