エジプトの世界遺産
世界遺産は人類共通の宝物
1972年の第17回ユネスコ総会で「世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約」
通称【世界遺産条約】が採択されました。
世界遺産条約が生まれたのは、地球上に存在するさまざまな文化遺産、自然遺産を、
ある特定の国や民族のものとしてだけでなく、世界の全ての人にとってかけがえのない宝物として保護し、
未来の世代に引き継いで行こうという考え方からでした。
世界遺産は3種類
【文化遺産】・・・普遍的な価値を有している記念工作物、建造物、遺跡。
【自然遺産】・・・鑑賞上、学術上、保存上顕著な普遍的価値を有している地形や生物、景観などを含む地域。
【複合遺産】・・・両方の要素を兼ね備えているもの。
エジプトの世界遺産は以下の6地域。(すべて文化遺産です。)
1 Nubian Monuments from Abu Simbel to philae
(アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群) 1979年文化遺産登録 登録型 Cの@、B、E
【解説】
・ここがもともとユネスコの「世界遺産」の始まりになった超有名な地域。
・現地に行った人はその地理的な背景が把握できると思うが、一口にヌビア遺跡群と言っても、ここで登録された
地域は非常に広大な面積に分布している。南はスーダン国境に近いアブシンベルから、北はフィラエ、つまりア
スワンまで、ナイルに沿って南北に長い。
・そもそも1954年にナセル・エジプト大統領がアスワン・ハイ・ダム建設計画を発表。もし完成した暁には上流50
0キロメートルにおよぶ貴重な古代遺跡やヌビア村が水没する。そのためヌビアの遺跡群は「人類にとって貴重な
財産」だと言う研究者達の提唱でユネスコによる遺跡救済計画が打ち出され、世界的な広がりを見せ国際的な
救済事業となった。
・上の地域の中で14の神殿・3つの聖堂・1つの墳墓は移築されたが、膨大な他の遺跡やヌビア村はすべて
水没してしまった。
・1963年〜1968年に渡って移築されたアブシンベル神殿は、遺跡救済活動のシンボルとなり、その後世界
的な観光地になった。
・紹介ページにつなげる予定ですが紹介ページはまだです。 m(__)m ペコリ
2 Abu Mena
(アブ・ミーナ) 1979年文化遺産登録&2001年危機遺産登録 登録型 CのC
・エジプトに”キリスト教”は
・紹介ページまだ
3 Islamic Cairo
(イスラム都市カイロ) 1979年文化遺産登録 登録型 Cの@、D、E
・
・紹介ページまだ
4 Ancient Thebes with its Necropolis
(古代都市テーベとその墓地遺跡) 1979年文化遺産登録 登録型 Cの@、B、E
・
・紹介ページまだ
5 Memphis and its Necropolis - the Phyramid Fields from Giza to Dahashur
(メンフィスとその墓地遺跡ーギザからダハシュールまでのピラミッド地帯) 1979年文化遺産登録 登録型 Cの@、B、E
・
・紹介ページ まだ
6 Saint Catherine Area
(聖カトリーナ修道院地域) 2002年文化遺産登録 登録型 Cの
・
・紹介ページまだ
●関連ページ●