【発掘の歴史とエジプト考古庁】         まだまだぜんぜん途中。

前書き & 箇条書き

失われた古代エジプトの記憶

エジプトの神官達は、古代文字・言葉を伝承する形で生きていた。しかしデオドシウス帝の異教の神殿閉鎖決定。

BC47のジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)のアレキサンドシア占領で、アレキサンドリア図書館全焼。70万冊の蔵書が煙に。中でも神官マネトーが残したプトレマイオス1世の求めで作成した「エジプト史」全30巻の損失は大変な不幸だった。(当時の神官団はまだ古代語を理解しており、マネトーも古代エジプト語をすべてギリシャ語に翻訳していた。)

当時は、まだ印刷技術がなく原本1冊。写本はセラピス神殿にあったが、そのセラピス神殿もAD391年に閉鎖・&打ちこわし&焼失。

AD450頃には、神官団の追放により、とうとう古代エジプト語を読みこなせる者が誰一人いなくなった。

エジプト人が自分の国の歴史を知らせる書物はすべて失われてしまった。。

1799年 フランス人将校がロゼッタ(エル・ラシーダ)で玄武岩発見 →ロゼッタストーン
       プトレマイオス5世(BC210-180)の布告 ヒエログリフ(象形文字)、デモティック(民衆文字)、ギリシャ文字
       デモティックとはBC7世紀にヒエラティック(神官文字)に変って普及した文字。




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