アスワン・ハイ・ダムができる前のナイルの氾濫。
氾濫と言っても「台風で川が氾濫した。」と言う氾濫と違う。
一気に水が押し寄せるわけではない。
たぶん、じわじわ、じわじわ”増水”の方が日本人のイメージに合っている。
水位がジワジワ上がり、はるかカイロ側にあった川岸が、写真のようにピラミッド近辺まで迫ってくる。太古の昔からあった景色だが、現在では決して見ることができない。
中央のカフラー王のピラミッドからまっすぐのびる参道や大スフィンクス、さらに河岸神殿が見えるだろうか?(ちょっと見にくいか、、、。)河岸神殿が河岸神殿たるゆえんが良くわかる。本当に”河”の”岸”に存在する神殿になる。
このくらいの水位になると船で河岸神殿近くまで切り出した岩を運びやすい。しかし1年中ここまで水位が迫っているわけではない。それでも1年中ピラミッド建設をしていたのだろうか?遠い岸辺から岩を運んでいたのだろうか?
ナイルの氾濫は、数ヶ月だけのできごとなのに、2〜3分に1個のペースで休みなく石を積み上げ、30年かけて完成させたという説にはどうも、、、わからないなぁ。本当にそうやって作ったのかなぁ??
氾濫の時期。ポツンと取り残された農村。
この時期は、あちこちにこの風景ができる。
回りの畑には肥えた土と栄養が一気に行き渡る。
でも、取り残された住民は不便ではないのだろうか?
でも氾濫も数ヶ月のできごとなので、取り残された感じはしないのだろうか?
ちょっと画質が悪く良く見えないかも知れない。
稜線に沿って一直線に伸びる登山?者の道。
手前がクフ王のピラミッド、奥にカフラー王のピラミッドが見えている
クフ王のピラミッドの北西側から稜線に沿って、観光客や地元エジプト人が頂上目指して登っている。
石を数段上がったところで止まっている人もいれば、かなりの高さまで登っている人もいる。
現在ではピラミッドは登頂禁止になっている。
地上では気づかないが、ピラミッド上部は常時突風が吹いている。(らしい。)
その風にあおられ転落したり、登頂途中で足元を滑らせ転落死する人が絶えなかった。
現在では決して見られない写真である。が現在でも監視のゆるい夜間から早朝にかけて逮捕覚悟で登頂を目指す人がいる。
地上220キロメートルから見る3大ピラミッド
ロシア(旧ソ連)の軍事衛星コスモスの画像。
さすがに軍事衛星だけあって、解像度を上げると、歩いている人間や
ラクダまで見える。
トトメス4世の碑文。
ギザのスフィンクスの両足にかかえられている有名な碑文。
自由将校団のメンバー。
1952年7月の「エジプト革命」(王政打倒のクーデター)のメンバー。
写真一番下に革命の指導者:英雄ナセル中佐が写っている。(鼻が高い人。カッコイイーッ。)
1番奥には、後の第三代大統領サダトの姿も見える。
詳細は【エジプト旅行記2004】参照。
観衆に手を振っているのがナセル。
「エジプト革命」直後のパレード。
共和制初代大統領ムハンマド・ナギーブ (右)
(在位1953−1956)
と2代大統領ガマール・アブデル・ナセル (左)。
(在位1956−1970)
共和制第3代大統領 ムハンマド・アンワル・ア・サダト。
(在位1970−1981)
1981年全世界にテレビ中継されている中で暗殺。
共和制第4代大統領 ムハンマド・ホスニー・ムバラク。
(在位1981−現在)
若くてカッコイイ〜。
初代から現在の第4代ムバラクまで、大統領はすべて軍人である。
ムバラクは第4次中東戦争の空軍の英雄。サダト大統領暗殺当時は副大統領。
スエズ運河で。
渡河作戦を成功し、スエズ運河の前で歓喜するエジプト軍兵士。
(第4次中東戦争)
これが、過去の話かと思っていたら、なんと現在も状況はそんなに変わっていない。スエズ付近の警備は非常に厳重だ。シナイ半島に入るとイスラエルに近くなるため警備も半端じゃない。
出展 【エジプト:新潮社】ほか