編集後記

サボテン
しゃぼてん通信
2018年8月9日更新

編集後記





『楽譜と解説』は音の連接の本です、と言っていいのだろうか。
音楽家はまだ見ぬ連接を夢見る。
しかしどうしたって、「のようなもの」としての
ある種の同一性、ないしはイメージ、記憶、磁場は残るだろう。
であるなら、
西洋音楽というテンプレートを放棄することには、
どのような意味があるのだろうか。
そこでは、非テンプレートとしての
新たな「のようなもの」が出現しはしないだろうか。
とはいえじっさいの音楽はこのような二択であるはずもないし、
その放棄と保持との境い目はきわめてあいまいだ。
言葉はじっさいから離れがちになる。
であるならば、音楽を言葉で考えることは適当なのだろうか。
そんなことを考えながら、
著者対談には細馬宏通さんをお呼びすることにした。
細馬さんの作曲は、テンプレートのなかで脱臼しつづけている、
と言えないだろうか。

高橋悠治さんが綴りつづける音の線や結び目や網などといった言葉たちも同様だ。
それはどのようにしてそこにあり、
綴ったひとの頭のなかではどのように響いているのだろう?
それらはいかにして重力に抗って上昇するのか?

工藤冬里さんは前号にひきつづき、
小社にて書籍を「鋭意制作中」ということで、
書き下ろしではなく、
ふだん工藤さんにメールテキストのみでピアノを習っている小社浜田との
そのやりとりを原稿に仕立ててみた。


浜田淳(サボテン書房)



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