は行
ほりみつかた
堀 光器
天保九年(1838)−慶応四年(1868)
江戸時代末期の武士。陸奥国会津藩士。通称粂之助。
会津藩普請奉行配下の下級武士、堀清左衛門の長男として生まれる。温厚篤実な人柄で文武両道に秀で、中、下級武士の藩校南学館の助教授を勤めたという。
慶応四年(1868)戊辰戦争では初め母成峠の守備に就くも敗走、城下へ戻り籠城戦に参加するが、藩より出羽国米沢藩への援軍要請の使者を命ぜられ、吉村寅之進とともに出立した。しかし、奥羽越列藩同盟の盟主であり主に越後国に出兵していた米沢藩も、新潟港を奪われ総督であった家老色部久長を失うなど苦境にあり、既に藩論は恭順へと傾いていた。米沢城下へ到着し、すぐさま家老竹俣久綱に藩の危急を伝えて援軍を求めた堀だったが、その要請は拒否されてしまう。
米沢藩が駄目ならば仙台藩へ援軍を要請すべしとする同行者吉村に対し、米沢からの援軍を得よとの使命を果たせない以上若松に戻ることは出来ないとした堀は、滞在していた旅籠越後屋の主人に金子を渡して後事を託し自刃した。享年31歳。
辞世 神かけて誓ひしことのかなはねばふたたび家路思はざりけり山形県米沢市大町4-1-46(龍泉寺)
ご意見、ご感想は下記まで。
sakushiro.3946@gmail.com