大正四年(1915)に発生した、日本史上最悪の熊害事件である三毛別羆事件(三毛別事件、苫前羆事件)犠牲者7名の慰霊碑。
大正四年(1915)十二月九日昼から十日夜にかけて、北海道苫前郡苫前村三毛別六線沢(現苫前町三渓)の開拓農家をエゾヒグマが数度にわたって襲い、7名が殺害、食害され、3名が重傷を負う事件が発生した。通報を受けた増毛警察署羽幌分署は十二日に討伐隊を組織し、また翌日には陸軍歩兵第二十八聯隊からも討伐隊が派遣され、官民合わせて約600名が討伐にあたった。そして十四日、地元猟師の山本兵吉によって加害ヒグマが射殺され事件は収束した。該当のヒグマは金毛を交えた黒褐色の7〜8歳と推定される雄で、重さ340kg、丈2.7mの巨熊であったという。
討伐隊本部は三毛別地区長大川興三吉宅に置かれたが、その家の息子で当時7歳の大川春義は事件被害を目の当たりにし、慰霊のため10名の被害者に対して一人10頭のヒグマを撃つことを誓い猟師となった。そして昭和五十二年(1977)七月、遂に100頭目のヒグマを仕留めたことを機に、三渓神社境内に建立したのがこの熊害慰霊碑である。
この事件や事件現場付近に当時の粗末な開拓小屋などが復元されていることは知っていましたので、娘の進学に当たり志望校が札幌だったことに抵抗がなかった訳ですが…(^-^;
北海道の冬季閉鎖を考慮せずに復元地に向かった結果、2km手前で目的を果たせずに引き返しましたが、その際にこの慰霊碑に訪問することが出来ました。自宅も山に囲まれており、趣味的にも山に登ることが多々ありますので、静かな山中で急にがさがさという音が聞こえる恐怖は判っているつもりですが…犠牲者の方々の恐怖は如何ばかりだったか…。娘のアパート付近も出没地ではあるので、一層敏感になりましたよ(-_-;
なお事件の詳細は吉村昭氏の小説「羆嵐」や木村盛武氏の著作「慟哭の谷」、Wikipediaの記事が詳しいです←投げやり。読むと山本兵吉→銀オヤジ(羆嵐)→二瓶鉄造(ゴールデンカムイ)ってのも判ります(笑) |