喜多方市
旧耶麻郡熱塩加納村(〜H18) ‐ 旧熱塩村(〜S29)
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間瀬館

間瀬館遠望
【所在地】 喜多方市熱塩加納町熱塩
【別称】 間瀬館山陣地
【築城年】  
【築城者】  
【城主変遷】  
【廃城年】  
【現状】 山林
 まほろん“文化財データベース”を参考に遠望のみ撮影して来ました。熱塩温泉を挟んで湯館の北方1kmほどにある山城で、「福島県の中世城館跡」に記載はあるものの詳細は不明の様です。

 湯館同様、摺上原合戦後に民衆が立て籠もった館なのでしょうか? 仮に旧121号国道が戦国時代に利用されていたとしても、この館との間は高森山があるため機能するとも思えませんし、むしろ121号国道バイパス(大峠道路)に対しては山麓西側を押切川も流れており有効かとも思えますが…。
 まずは、会津と米沢を結ぶ道路がどの時代にどの様に通じていたのかから始めないとダメかなー。
 なおここまでくれば日中ダムはもう目の前です。日中ダムではダムカードの配布を行ってますよー。
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湯館

湯館遠望
【所在地】 喜多方市熱塩加納町熱塩
【別称】 熱塩砦、湯館山陣地
【築城年】 天正十七年(1589)
【築城者】 樹芳
【城主変遷】  
【廃城年】 天正十七年(1589)
【現状】 山林
 北麓にある示現寺17世樹芳により、天正十七年(1589)摺上原合戦の後に伊達勢の襲来に備えて構えたものという。しかし僧侶、近郷の民衆によって築かれたものとは考え辛く、以前よりあった城館を修築して拠ったものと推定されている。
 なお北方約1kmには間瀬館が所在するが、当館との関連は不明である。

 熱塩温泉に所在する示現寺南東、湯館山(示現寺山)山頂に築かれた臨時の砦とのことです。『会津・仙道・海道地方諸城の研究』には熱塩砦として記載があり、押切川の流れによって西側からの攻撃は難しく、急峻な高森山を登坂しての東側からの攻撃も難しいとあります。そうなると、当時会津と米沢を結ぶ間道がどの様に通じていたのかで、この館が機能した時代、性格が変わって来ますね。

【参考文献】「会津・仙道・海道地方諸城の研究」(伊吉書院1980)、「日本城郭大系3 山形・宮城・福島」(新人物往来社1981)、「福島県文化財調査報告書第197集 福島県の中世城館跡」(福島県教育委員会1988)

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