![館山チャシ跡二重堀東端部。](photo/dt_tateyama.jpg)
館山チャシ跡二重堀東端部。 |
【所在地】 |
伊達市館山町
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【別称】 |
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【築城年】 |
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【築城者】 |
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【城主変遷】 |
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【廃城年】 |
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【現状】 |
館山公園 |
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伊達市街地を南流し噴火湾へと注ぐ気門別川河口より約700m北方、比高約40mの丘陵先端部に所在する。
丘陵先端は鋭角の三角形をなし、東西はともに急峻な崖となっており、なだらかに下る北面は弧状の二重の堀が切られ、その両端は東西両斜面に竪堀となって落ちている。
内部は高低差5mほどの東西2段の平坦面で構成されているが、もともと西から東にかけて傾斜している地形のため、意図的なものというより自然地形を均した結果と思われる。東西の平坦面はほぼ同等の規模であり、数棟の建造物を築くだけの広さを有している。 北面の堀は前述の通り二重となっており、丘陵先端部を弧を描きながら幅約15m、東西約100mに渡って画しているが、最高所である西側平坦面に続く部分が通路造成のために埋められており、東側平坦面に続く部分には橋が架けられている。
伝承などは残っていないため詳細は不明ながら、平成十一年(1999)の発掘調査の結果10世紀後半から15世紀前半の間に築かれたものであり、噴火湾を望む立地やその要害性から、軍事的な性格の強いチャシと推定されている。
なお江戸時代末期に蝦夷探査を行った松浦武四郎は、「道ヶ上に昔、貴人が住せしと言ふ居あるなり、土人小屋も近年迄有りしが、今は一軒もなし」と記しているという。その貴人の居は長流川と気門別川の間とされるので、この館山付近であったと考えられている。
伊達紋別は以前より訪問したい場所だったんですよね…父母の出身地を治めた亘理伊達氏の入植地でございますので。学生の頃に相方のゆきむらくんと一緒に通過したことはあったんですが、その時は苫小牧、室蘭からのフェリーが欠航、函館からなら出てるってことで向かう途中だったので、呑気に車外を眺めてる暇もなかった…(そして函館手前で速度超過で捕まった)。
今回も亘理伊達氏関連の史跡をじっくりと見ることは出来ませんでしたけど、また間違いなく訪問すると思います。何せこの時の訪問は、ある意味有名な"たこの遊具"に一旦騙されて時間かかっちゃいましたからね(^-^; |