石狩市
トップさくらとおしろ北海道石狩市岡島チャシ
岡島チャシ
岡島チャシ跡遠望。
岡島チャシ跡遠望。
【所在地】 石狩市浜益区浜益
【別称】  
【築城年】  
【築城者】  
【城主変遷】  
【廃城年】  
【現状】 山林
 崖上に濠跡が一条認められるという。北麓には縄文〜擦文文化期までの7期間にわたる住居跡と確認された岡島洞窟遺跡が所在しており、その内部からは人骨、土器、石器などが多数出土している。


 娘を北海道に送り込んだ?理由の一つ、三毛別羆事件復元地訪問に向かう際に立ち寄りましたが、落石のため付近一帯は立入禁止となっているとの情報だったので遠望を撮影したのみでございます。
 
トップさくらとおしろ北海道石狩市川下チャシ
川下チャシ
川下チャシ跡遠望。
川下チャシ跡遠望。
【所在地】 石狩市浜益区川下
【別称】  
【築城年】  
【築城者】  
【城主変遷】  
【廃城年】  
【現状】 山林
 「日本城郭大系」に、崖上にC字状の濠が一条確認出来ると記載される。またハママシケ陣屋が設置された際には、この丘陵上に見張台が置かれたと考えられている。


 娘を北海道に送り込んだ?理由の一つ、三毛別羆事件復元地訪問に向かう際、当然途中に所在する陣屋跡訪問も目的でしたので、ハママシケ陣屋訪問後に写真だけ撮影しました。北海道でも希少な日本海側にあるチャシとのことですが、この丘陵上で良いのかな…?
トップさくらとおしろ北海道石狩市コタンチャシ
コタンチャシ
コタンチャシ跡遠望。
コタンチャシ跡遠望。
【所在地】 石狩市厚田区古潭
【別称】  
【築城年】  
【築城者】  
【城主変遷】  
【廃城年】  
【現状】 牧草地?
 「日本城郭体系」には記載なく詳細不明。


 娘を北海道に送り込んだ?理由の一つ、"三毛別羆事件復元地"訪問に向かう際に立ち寄りました。と言っても231号国道から遠望を眺めただけなんですけどね(-_-;
 丘陵式チャシで段が4つあるとのことなんですが、正直なところ全く判らず…。画像中央の丘陵がチャシ跡みたい?
 車の通行も多いし先を急ぐので、早々に立ち去りました(^-^;
トップさくらとおしろ北海道石狩市ハママシケ陣屋
ハママシケ陣屋
ハママシケ陣屋復元大手門。
ハママシケ陣屋復元大手門。
【所在地】 石狩市浜益区川下
【別称】  
【築城年】 万延元年(1860)
【築城者】 酒井氏
【城主変遷】 酒井氏(1860-68)
【廃城年】 慶応四年(1868)
【現状】 国指定史跡荘内藩ハママシケ陣屋
 嘉永七年(1854)に締結された日米和親条約により江戸幕府の鎖国政策は終止符が打たれ、続いて英、露、蘭国とも和親条約が締結された。条約により開港が決定した函館には翌安政二年(1855)箱館奉行所を設置されたが、依然としてロシアの南下政策に対する緊張が続いていたため、幕府は松前藩のほか東北諸藩に対して蝦夷地の分割警備を命じた。同六年(1859)蝦夷地警備に加えられた荘内藩は、ハママシケ(浜増毛)、ルルモッペ(留萌)、テシホ(天塩)、テウレ(天売)、ヤンゲシリ(焼尻)を下賜され、ヲタスツ(歌棄)からアツタ(厚田)までの地の警備を命じられた。
 同年荘内藩は蝦夷地総奉行、用掛、元締役、箱館留守居役を任命、翌万延元年(1860)には幕府箱館奉行より所領引渡を受け、その後新領地諸役人や警備開墾の派遣人数を定めた。元陣屋となるハママシケ陣屋に副奉行以下約200名、脇陣屋の
トママイ陣屋に約160名、出張陣屋のルルモッペ陣屋に約60名が置かれたという。
 陣屋構築にあたり、資材の多くは荘内から船で運ばれ、さらにその資材を陣屋まで運搬するために浜益川から陣屋まで通ずる運河が掘られた。その運河には多額の費用が費やされたため、千両堀と称されたという。陣屋の主要な建物は万延元年(1860)には完成、翌文久元年(1861)には領内より入植した移民による開墾も始められた。
 しかし慶応四年(1868)に戊辰戦争が勃発すると、荘内藩は藩士、移民の総引揚を決定、多額の費用を投じたハママシケ陣屋は設置後わずか8年で放棄されることとなった。


 陣屋は日本海近くの浜益川北岸の丘陵地に構築され、現在も土塁や復元された大手門などを見ることが出来る。陣屋内部は山林や耕作地となっているが、遺された絵図などにより建造物の位置などは明瞭であり、所々に設置された標柱で往時の姿を想像出来る。
 陣屋から直接日本海を望むことは出来ないが、遺された絵図面には北西丘陵上に吹流しを描いたものがあり、見張台として機能していたと考えられている。なおこの丘陵頂部には川下チャシが所在している。


 苫前町の三毛別羆事件復元地へ向かう途中、何としても立ち寄りたかった場所の一つです。思いの外ゆっくりと内部を散策してしまいましたが、それでも先を急ぐということもありもっとしっかりと見たかった…というのが正直なところ。
 一緒に歩いていた娘と奥さんは、木々の間をちょろちょろ動き回るえぞりすに心を奪われていました。えぞりすかわいいですねえ。

【参考文献】「日本城郭大系1 北海道・沖縄」(新人物往来社1980)

ご意見、ご感想は下記まで。
sakushiro.3946@gmail.com