角田市
旧伊具郡北郷村(〜S29) |
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江尻城 |
江尻城跡遠望。 |
【所在地】 |
角田市江尻
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【別称】 |
地蔵城 |
【築城年】 |
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【築城者】 |
江尻氏か |
【城主変遷】 |
江尻氏… |
【廃城年】 |
天正年間(1573-92)か |
【現状】 |
宅地、耕作地 |
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築城年代、築城者ともに不明、天正年間(1573-92)に江尻紀伊守が居住したと伝わる。
394号国道沿に所在し、城跡東側を国道が南北に貫いている。国道西側、高倉川、尾袋川が北に接する微高地上の東西70m、南北50mほどの平場が主郭であり、現在宅地、畑地となっている。主郭部の周囲には明瞭な壇が確認されるが、土塁、空堀などの遺構は確認出来ない。しかし二の丸と推定される主郭部南側の耕作地の周囲には複雑な水堀跡が認められ、国道沿いの一角には土塁の痕跡が残る。また国道を挟んで東側、現在の諏訪神社境内地も城域と推定され、東側に水堀が巡っていたと考えられている。往時は阿武隈川とその支流によって形作られた湿地上に浮かぶ、周囲を深い水堀で囲まれた堅牢な平城であったものであろう。
わたしは諏訪神社付近から西側集落内に進入し、農道を利用して館跡南側から西側を巡って尾袋川の堤防沿い、主郭部西側へと至りました。西側耕作地から登路が付いていたので、そこから現在畑地となっている主郭部へと進入しました(不法侵入ですね、スミマセン…)。
現在の国道が往時どれほどの重要な街道であったかは判りませんが、この城の位置は角田市街から柴田、亘理方面へと通じる場所であり、当時の流路は判りませんが阿武隈川も直ぐ至近にあります。それなりに重要なお城だったと思いますが、現在はあまりその面影を残してはいないですね〜。 |
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扇館 |
扇館跡遠望。 |
【所在地】 |
角田市神次郎字扇館
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【別称】 |
駒鳥城 |
【築城年】 |
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【築城者】 |
中森氏か |
【城主変遷】 |
中森氏… |
【廃城年】 |
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【現状】 |
山林 |
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築城年代、築城者は不明、館主として中森神次郎の名が伝わる。中森氏は周辺諸城館の館主として名が現れている。
比高約40mほどの台地頂部、東西約50m、南北約100mほどの楕円形平場が主郭であり、その北端、南端には土塁、空堀が巡らされているという。大手口は主郭部北東端と考えられ、館跡南麓へと通じている。
すみません、主郭部へは行っておりません(^-^;
場所確認のために訪問した程度ですので、機会を設けて再訪して参ります。 |
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白岩館 |
白岩館跡標柱。 |
【所在地】 |
角田市岡字阿弥陀入
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【別称】 |
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【築城年】 |
平安時代か |
【築城者】 |
白岩氏か |
【城主変遷】 |
白岩氏… |
【廃城年】 |
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【現状】 |
山林 |
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館主は白岩玄蕃と伝えられており、源義家によって攻め滅ぼされたという。従って平安時代の築城となるが詳細は不明であり、「日本城郭大系」には遺構不明と記載される。
「宮城県遺跡地図」には白岩A〜C館と館前館の名前があり、これを総称して白岩館と呼ばれていたものなんでしょうね。標柱が建てられているのは館前館付近の道路沿であり、その西側に所在する北郷小学校北側丘陵がA館、阿武隈急行線を挟んで南東に所在する深山神社の丘陵がB館、B館の南東に隣接してC館が所在しています。
A館は斜面をよじ登ってみましたが、特に人の手が加わっている様子の平場もなく、土塁、堀状の地形も見られませんでした。このA館の丘陵は道路で東西に分断されているのですが、道路東側は未確認です。またB館は現在深山神社の社地となっていますが、こちらも特に目立った遺構は見られない様子。我らがベイスターズの将来のエース、熊原健人投手のご実家の神社としての方が有名かも知れません?
「仙台領内古城・館」の角田市分はまだコピーしてないので、紫桃正隆氏の見解を見て再訪したいですね。 |
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【参考文献】「日本城郭大系3 山形・宮城・福島」(新人物往来社1981)、「伊達諸城の研究」(伊吉書院1981) |
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