仙台市青葉区
旧宮城郡宮城町(〜S62) - 旧大沢村(〜S30) |
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大原館 |
大原館跡標柱。 |
【所在地】 |
仙台市青葉区大倉大原新田
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【別称】 |
おかな館、(三方川古城) |
【築城年】 |
戦国時代 |
【築城者】 |
作並氏か |
【城主変遷】 |
国分氏[作並氏]…伊達氏[作並氏]… |
【廃城年】 |
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【現状】 |
耕作地、宅地 |
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築城年代、築城者は明確でなく、国分氏家臣作並宮内が天正年間(1573-92)初めに居住したという。作並氏は藩政時代には伊達氏家臣となるが、天正年間後期には既に従っていたと見られ、作並新左衛門尉が天正十六年(1588)に敵方の首級3を伊達政宗に献上し腰物を拝領した、また翌年正月に政宗へ年賀献上を行ったなどの記録が残る。また『仙台藩家臣録』に見られる延宝五年(1677)に記された作並九郎兵衛の由緒書上に、祖父の兵衛が国分譜代であることが記されている。
西を青下川、東を大倉川、南を広瀬川と、三方を川に囲まれた北から伸びて来た段丘の突端に築かれた城館で、川に面した三方は何れも急崖となって終わっている。現在は台地中央を道路が貫き、その西側の民家入口に沿って僅かに土塁が確認出来るが、往時は台地を東西真一文字に横切る形で設けられていたとみられ、北側の守りとしたと考えられている。現存土塁は西端が比較的良く残存しており、その北側には堀と見られる僅かな窪地がある。なお平成元年(1989)にこの西端部で範囲確認調査が行われ、現存のものを含む三重土塁とその間の二重堀が発見されている。失われた二重の堀、土塁は現存土塁の北側にあり、太平洋戦争直後に耕作地とするため平坦化されたという。
東西、南北とも約200mの規模を持つ単郭方形館であるが、北端と南端で高低差が約2mほどあり、複数の曲輪に分かれていた可能性も考えられる。
現在は耕作地及び宅地となっており、上記の台地中央を貫く道路脇、土塁が切れるところに標柱が立てられています。川を挟んだ対岸から望むと、まさに断崖上に築かれた城館ですが、地続きの北側の防御が土塁、空堀のみというのもどうにも貧弱です。往時の街道は館跡南西端に取り付き、館跡中央を貫いて北方へ向かうとのことですので、南側を特に意識した造りなのでしょう。
なお紫桃正隆氏は大原館の別称として三方川古城という名を挙げています。しかし「仙台市史」に拠れば、三方を川に囲まれた大原館の自然的特徴を述べた「古城書上」の記述と、下大倉館を指す「古城」を結合させた記述であり、誤りであると指摘しています。 |
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【参考文献】「資料 仙台領内古城・館 第四巻」(宝文堂1974)、「日本城郭大系3
山形・宮城・福島」(新人物往来社1981)、「仙台市史
特別編7 城館」(仙台市2006) |
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