大河原町
トップさくらとおしろ宮城県柴田郡大河原町小山田城
小山田城
小山田城跡遠望。
小山田城跡遠望。
【所在地】 大河原町小山田字中山、館前
【別称】  
【築城年】 天正年間(1573-92)
【築城者】 小山田頼定
【城主変遷】 伊達氏[小山田氏]…
【廃城年】  
【現状】 山林
 天正年間(1573-92)伊達政宗家臣小山田筑前守頼定が築城、居住したとされる。

 小山田頼定は天正十六年(1588)中新田合戦の際に軍奉行に任ぜられ、留守上野介政景、泉田安芸守重光らとともに大崎領へと侵攻した。大軍を以て
中新田城を囲んだ伊達勢だったが、城将南条下総守隆信の激しい抵抗に遭い敗走、殿軍を務めた頼定は深田に脚を取られ、敢え無く討死した。


 細長い舌状丘陵に所在し、標高35mの頂部に東西50m、南北80mの平場があり、やや傾斜した平場の中央に一辺20m四方、高さ1mほどの土塁が見られる。しかし遺構らしいものが見られるのはわずかにこの平場のみで、ほかに明確な遺構は見られない。『仙台領古城書立之覚』に東西三十六間、南北三十五間、城主小山田筑前とある。


 現在は丘陵裾部に標柱が建てられていますが、その字も消えかかっていました。訪問したのもかなり前で、それから久しく行ってませんので状況は変わってるかもなあ…。ご覧の通り大した丘陵じゃないので、久しぶりに登って来たいですねー。当時よりは多少は見る目も肥えた…かもしれないし(^-^;
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見城ヶ館
見城ヶ館跡標柱。
見城ヶ館跡標柱。
【所在地】 大河原町大谷字上谷前
【別称】  
【築城年】 戦国時代か
【築城者】 斎氏、大谷氏か
【城主変遷】 葛西氏[斎氏、大谷氏]…
【廃城年】  
【現状】 山林
 標柱には築城年代、館主とも不明とあるが、「日本城郭大系」には館主として葛西氏家臣斎氏、あるいは大谷修理亮の名が挙げられている。


 宝泉寺背後の標高約50m丘陵上に、愛宕社の祀られる楕円形の平場があり、南から東にかけて2〜3mの土塁が見られるという。なお大谷修理亮は、西方約2kmほどに所在する
大谷城主としても名前が挙げられている。大谷城の築城年代が戦国時代後期とされているため、見城ヶ館も同年代に構築、使用されたものか。


 現在丘陵は雑木林となっており、登り口がみつけられませんでした…。従って上記の遺構は未確認です。館主として挙がっている斎氏と大谷氏も正体不明な様ですし、さくら的に謎がいっぱいの城館です。そもそも斎氏なる人物は葛西家中で名前聞かないし、戦国時代であれば葛西氏の勢力はここまで及んでないだろ〜って感じですが、「城郭大系」は紫桃正隆氏「仙台領内古城・館」を参考にしている箇所が多いので、あるいは氏の著述があるのかも…?「仙台領内〜」は柴田郡の項を入手(コピー)してないので判らないんですよね…。
 なお江戸時代、
村田城主であった伊達宗高が死去した際、殉死した10名の家臣の中に斎丹波なる人物がいます。この斎氏に連なる人物なんでしょうね。

【参考文献】「日本城郭大系3 山形・宮城・福島」(新人物往来社1981)

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