大郷町
旧黒川郡大松沢村(〜S29)
トップさくらとおしろ宮城県黒川郡大郷町大窪城
大窪城
大窪城跡解説板。
大窪城跡解説板。
【所在地】 大郷町大松沢論山
【別称】 大松沢城、大松沢所
【築城年】 戦国時代
【築城者】 宮沢時実か
【城主変遷】 伊達氏[宮沢(大松沢)氏](1704頃-1869)
【廃城年】 明治二年(1869)か
【現状】 大窪城址公園
 藩政時代の仙台藩伊達氏所の一。
 築城年代、築城者は不明で、はっきりとするのは戦国時代の永正年間(1504-21)頃、伊達氏13代尚宗、あるいは14代稙宗によって宮沢掃部時実が入城して以降となる。しかし当地方は周辺諸勢力の接点であり、それ以前から城館が築かれていた可能性は十分にある。

 宮沢氏は、飯田八郎左衛門藤原吉実が伊達氏初代朝宗に仕えて以来、伊達氏一族の家格に列せられた世臣であった。。その後伊達郡宮沢を治めて宮沢姓を称し、さらに吉実の玄孫である掃部時実の代に大崎、葛西氏らに備えるべく大松沢へと配された。その4代孫元実は武勇に秀で、天正年間(1573-92)伊達氏16代輝宗、17代政宗に従って北の大崎氏、南の相馬氏らとの合戦で常に先陣を務め、さらに天正十八年(1590)の大崎、葛西一揆討伐、文禄元年(1592)の朝鮮出兵でも大いに功を挙げている。政宗は元実を大いに頼りとし、永く居住している所領の大松沢を称するよう命じ、改めて伊達氏一族の家格に列している。

 江戸時代以降も大窪城は城、要害に次ぐ所拝領として存続し、大松沢氏が一貫して城主に任ぜられた。そして慶応四年(1868)15代掃部輔衡実の代に明治維新、戊辰戦争を迎え、衡実は仙台藩白河口軍事総督として藩士300名を率いて従軍している。なお仙台藩が降伏した後は剃髪して菩提寺眞観寺の住職となり、戦死者の霊を弔ったという。


 標高約80mの丘陵頂部に東西約100m、南北約40m本丸が置かれ、その南西に二の丸、三の丸となる平場が連なっている。本丸は中央部南側がくびれた楕円形となっており、北から東にかけて空堀が巡っている。また二の丸西端には土塁が見られ、その外側にも空堀が切られている。なお大窪城は前述の通り近世以降も大松沢氏居館として利用されているが、概ね中世の遺構であると推定されている。


 現在は大窪城址公園として整備されており、西側山麓から車道が通じているため楽に上れます。とは言っても訪問したのはやっぱり10数年前、現状は変わってるのかな…?仕事で宮城県に行っていた頃も以外と訪問していない黒川郡の城館、コースが大体仙台→古川→佐沼か仙台→石巻だったからな〜。同様に加美郡もあまり訪問していないので、是非ともぐるっと再訪してみたいものです。

【参考文献】「日本城郭大系3 山形・宮城・福島」(新人物往来社1981)

ご意見、ご感想は下記まで。
sakushiro.3946@gmail.com