池上本門寺と梅園
2022年3月
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池上駅北口前 |
今年の冬は寒さが厳しかったんだけど、特に梅の花の咲く頃には寒い日が続いたために、梅の開花が遅れて見頃が長く続くらしいとの情報を耳にして、それじゃぁ折角だから梅の花見にでもと思い立ち、人気の梅園がある東急池上線の池上駅までやって来ました。 |
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駅前五差路を渡る |
ところでここ池上には、日蓮宗の大本山池上本門寺という都内有数の大寺院があるので、ここに寄って行かない手はないってことで、梅の花見の前に先ずはこの名刹へと向かう事にしようと思います。
池上駅の北口に出たら、目の前の五差路を横断歩道で渡ります。 |
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本門寺通りへ入る |
駅前から見て、五差路を斜め右方向へと延びて行く通りは本門寺通り。これが池上本門寺の参道です。 |
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突き当りを右折 |
本門寺通りに入ったら、商店街をそのまま道なりに進んで行きましょう。そして250mほど歩いた先の突き当りを右へ。 |
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本門寺前交差点を左折 |
すぐその先に、信号のある交差点が見えています。これは本門寺前交差点。今度はこれを左折します。 |
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題目宝塔と霊山橋 |
法華経の題目「南無妙法蓮華経」と記された巨大な題目宝塔がありました。宝塔の裏側には「文化八」と刻まれているのが確認出来るので、1811年(文化八年)の建立と思われます。 |
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本門寺総門 |
題目宝塔のすぐ先、呑川に架かる霊山橋を渡ると、正面に寺の総門が現れました。 |
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総門と扁額 |
案内板によると欅造りのこの総門は、元禄年間 (1688-1704) に造立されたもの。そしてここに掲げられた扁額は、それより遡る寛永年間の1627年に彫られたものです。 |
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此経難持坂 |
総門を抜けて池上本門寺の境内へと入って来ました。この急な石段は、肥後熊本藩の初代藩主で熱心な日蓮宗信徒だった加藤清正(1562-1611)
から、1606年に寄進された此経難持坂(しきょうなんじざか)。 |
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此経難持坂を振り返る |
此経難持坂を登り切って後ろを振り返ると、遥か下方に総門が見えていて、この寺院が相当な高台に在る事が分かります。この本門寺は武蔵野台地と、そのむかしの江戸湾へと至る海岸低地との高低差を上手に生かして造られた寺院なんです。 |
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仁王門 |
これは寺の三門である仁王門。元々は1608年に建立されたこの仁王門ではありましたが、残念ながら先の大戦時に焼失してしまい、現在のものは昭和52年に再建されたもの。因みに太平洋戦争時の東京大空襲の中でも特に大規模で被害が大きかったと言われるものの一つ、昭和20年4月15日の空襲によって、この寺院の貴重な文化財の多くが焼失してしまったのでした。 |
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大堂 |
仁王門のその先に控える、日蓮聖人を祀ったこの大堂も戦後再建されたもので、戦災で失われる以前の旧大堂は、前出の加藤清正が建立した荘厳な大建築物だったらしい。とっても残念です。 |
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鐘楼 |
鐘楼がありました。大きな鐘楼と、その隣に小さめの鐘楼が並んでいます。何が違うかというと・・・
右側の大きな鐘楼には現役の梵鐘が納められ、左側の小さめの鐘楼には現役引退した梵鐘が安置されているんです。 |
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旧梵鐘 |
左側のこの梵鐘は1714年に鋳造されたものなのですが、空襲で損傷したために現役引退となったのでした。しかしながら江戸時代初期の貴重な文化財であることから、現在でもこの様に保管・公開されているんです。 |
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経蔵 |
この経蔵は最初のものが焼失してしまった後の、1784年に再建されたもの。寺院内の文化財の中でも、東京大空襲の被害を奇跡的に免れたものの内の一つです。 |
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五重塔 (重文・国) |
同じくこちらも戦火を免れた1608年建立の五重塔。徳川2代将軍秀忠の、武士としての幸運が永く続く事を祈念して建立されたもので、発願主は徳川秀忠の乳母にして日蓮宗に深く帰依していた大姥局(おおうばのつぼね)。国の重要文化財に指定されています。 |
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前田利家室の層塔 |
その徳川秀忠の娘、珠姫を妻に娶ったのは加賀藩前田家藩主の前田利常。そしてその生母である、前田利家の側室の寿福院が、生前供養のため1622年に建立した層塔がここにありました。 |
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力道山墓所 |
一方こちらは時代が一足飛びに現代に下って、伝説のプロレスラー力道山の墓所であります。今にも空手チョップが飛んできそうな、太い腕と厚い胸板の銅像が、墓前で睨みを利かせています。 |
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大堂裏の横断歩道を渡る |
本門寺大堂の裏手にある参拝者用駐車場の先には、公道を隔てて本殿が控えています。公道を一旦横断歩道で渡り、境内北側の奥にある本殿へ。 |
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本殿 |
空襲で焼失した釈迦堂を、昭和44年に再建したのがこの本殿。コンクリート造りで歴史も浅く、文化財としての価値はそれ程高くはないのかもしれないけど、静寂な空気の中でドーンと控えるこの雰囲気は、かなりのインパクトであります。 |
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御廟所 |
そして本殿の裏手、本門寺境内の最も奥に控えたこの建物は、日蓮宗の開祖日蓮聖人(1222-1282) を祀った御廟所、お墓であります。しかしまぁ、本殿も含めたこの境内北側最奥のスペース、シーンと静まり返って自分以外に人っ子一人見当たらないんです。場所的に分かり難いっていうのもあるけど、知る人が少ないんでしょうか。 |
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本殿をあとにして右へ |
さっきの横断歩道の所まで戻り、大堂と参拝者用駐車場を前方に置いて、一旦公道を右方向へ進みましょう。 |
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正面に見える石段を下る |
すぐ先の正面には丘陵を下って行く石段と、傍らに「日蓮大聖人御入滅之霊場」と記された指導標が確認出来ます。指導標の意味は、日蓮上人が亡くなった場所という事なんですが、その場所へは少し後で寄る事にして、取り敢えず正面の石段を下って行く事にします。 |
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大坊坂 |
大坊坂と名付けられたこの石段を下り切った先に、日蓮上人入滅の旧跡があるんですが、ここは大坊坂を下り切らずに、坂の途中の踊り場を右手に折れると・・・ |
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多宝塔 (重文・国) |
目前に、大きな朱塗りの宝塔が現れました。日蓮の亡骸を荼毘に付したとされる場所に、1828年供養塔として建立された木造の建造物で、空襲の被害を免れた本門寺の文化財としては、五重塔と共に国の重要文化財に指定されているんです。 |
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紀州徳川家墓所 |
多宝塔のその奥には、紀州徳川家の墓所があります。ここには主に、紀州藩の奥方達が眠っているらしい。 |
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大坊坂を上って左折 |
既述のように、大坊坂を更に下って行くと日蓮上人入滅の旧跡へと至るんですが、その前にちょっと他も見て行こうって事で、来た道を引き返します。大坊坂の石段を上り切ったら左へ。 |
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旧跡への指導標に従い左折 |
100mあまり進んだ先の左側に、またまた「日蓮大聖人御入滅之霊場」への指導標がありました。ここからも旧跡に行けるらしい。と、いう事でこれを左折。 |
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歴代聖人御廟所 |
間もなく右手に、本門寺歴代貫首の墓所が見えて来ました。この場所は、本門寺の境内でも一番の高所なんだそうです。 |
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見晴らしバツグンです |
そしてこの見晴らしの良い高台から、石段で一挙に麓へと下りて行きましょう。 |
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大坊本行寺の境内へ |
道なりに進んで行くとやがてそのまま、長崇山本行寺の境内へと入って行く事になります。そしてこの寺院こそが、さっきの指導標にあった「日蓮大聖人御入滅之霊場」なのでありまして、池上本門寺の子院という事になるんです。因みにこのお寺、通称は池上大坊本行寺と言い、さっき歩いた石段の大坊坂の名前は、この寺院の通称から取られたものなんです。 |
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大坊本行寺 山門 |
境内の案内板によれば、この寺院の成り立ちはというと・・・
日蓮は予てより患っていた病が悪化し、その療養のため1282年に甲斐国身延山から常陸国へと湯治に向かう事になります。 |
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大坊本行寺 本堂 |
そしてその途上で立ち寄ったのが、この地にあった鎌倉幕府の作事奉行(土木建築を司る奉行)池上宗仲の館でしたが、病はさらに進行し、ついにこの館で亡くなってしまいました。 |
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御灰骨堂 |
そして日蓮の教えの熱心な信者だった池上宗仲は、広大な自邸の土地を寄進して、それが現在の池上本門寺と大坊本行寺となったのでした。 |
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ご臨終の間 |
この建物は、日蓮上人入滅の部屋の跡に建てられたご臨終の間です。日蓮はここ池上邸に、臨終までの間のおよそ一月ほど滞在していたんです。 |
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御硯井戸 |
古井戸がありました。日蓮がこの地に到着した日に使用した井戸なんだそうで、その翌日にこの井戸の水で墨をすって書をしたためた事から、御硯井戸(おすずりいど)と言われています。 |
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西側の門を抜けて |
大坊本行寺境内の三箇所にある門のうち、西側の門を抜けて境内の外へ。池上梅園を目指しましょう。 |
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突き当りを右折 |
そのまま直進するとすぐに突き当りになるので、これを右折。 |
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道標に従って右へ |
およそ150mほど進んだ先、正面に見えて来た都営地下鉄の引込線のガードの手前を、池上梅園への道標に従って右へ。 |
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池上梅園 入口 |
そして100m足らずで、大田区立池上梅園に到着です。ここ池上梅園は、かつては日本画家伊東深水(1898-1972) の自宅兼アトリエだった場所。丘陵の斜面を利用して造られた庭園で、東側の台地で池上本門寺と接しています。入園料一般100円。 |
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丘陵斜面を利用した庭園 |
梅園という名称が付けられてはいますが、春先の梅の時期だけでなく、サクラ、ツツジ、アジサイなどを楽しむ事も出来るんです。 |
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ちょうど良い見頃です |
記事の冒頭でも記したように、今年は梅の開花が遅れているらしく、3月も2週目に入った取材時でも八分咲きと、この先まだまだ見頃が続く状態で、とってもタイムリーでありました。 |
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聴雨庵 |
園内には梅の花以外にも見逃せないものが。それは大田区に寄付されここに移築された、歴史ある二つの茶室。そのうちの一つこの聴雨庵は、外務大臣などの閣僚を歴任した昭和の政治家、藤山愛一郎(1897-1985) の自宅に建てられていた茶室です。 |
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清月庵 |
一方こちらは清月庵と呼ばれる茶室で、伊東深水のアトリエを設計した設計家が自らの自宅に建てたもの。既述のように、嘗てこの地に伊東親水のアトリエがあった縁で、ここに移築されたのでした。 |
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T字路を右折 |
梅のお花見もたっぷりと楽しむ事が出来ました。そろそろこの辺で梅園をあとにする事にしましょう。梅園を出て右手に進むとT字路の突き当りになるので、これを右へ。 |
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次の十字路を左折 |
すぐに上り坂がありました。貴船坂と呼ばれるこの坂を100mほど上った先にある十字路を左へ。因みにこれを右手に進むと、本門寺へと戻ることになります。 |
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左手の陸橋を渡る |
狭い通りを道なりに100mあまり進んで行くと、左手に陸橋が見えて来るのでこれを渡りましょう。 |
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道々め木橋 |
この陸橋に取り付けられた橋銘鈑には、道々め木橋と記されています。 ・・・ウーン、読めない。
なんて読むんだろうと調べた結果、「どどめきばし」という名前だって事が分かりました。実はこの場所、鉄道ファンにはちょっとは知られた人気スポットらしい。 |
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フェンス越しに覗いてみると・・・ |
長さ100m以上は優にあると思われるこの陸橋の、高々と張り巡らされたフェンス越しに下の方を覗いてみると、ずらりと並んだ地下鉄の車両。という事でこの場所は、東京都交通局の馬込車両検修場と呼ばれる、都営地下鉄の車両基地だったんです。確かに、これだけ多くの車両が並んでいる車両基地を見渡せる場所って、そうそう無いかも知れない。 |
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陸橋の先は第二京浜 |
陸橋を越えて階段を下ると、正面には第二京浜(国道1号線)が走ります。これを右へ。 |
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西馬込駅南口 |
国道沿いに歩く事、およそ300m。都営地下鉄浅草線の起点駅、西馬込駅南口前に到着です。 |
★交通 |
東急池上線 池上駅下車 |
★歩行距離 |
約 3.5 km |
周辺地図
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