旧岩崎邸庭園と池之端
2022年9月
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都営大江戸線本郷三丁目駅 4番出入口 |
本日の散歩はタイトルにある様に、東京の池之端辺りをブラブラと歩こうと思っているんですが、先ず始めにこの池之端という場所を少し説明すると・・・
池之端とは東京都台東区にある地名でありまして、文字通り池の畔って意味なんですが、何処の池なのかというと、上野恩賜公園内にある天然の池、不忍池なのであります。上野の繁華街がすぐ近くにあるとはいえ、この池之端辺りの一角はとっても静かなエリアです。
散歩のスタートは、地下鉄の都営大江戸線と東京メトロ丸の内線が乗り入れる本郷三丁目駅から。今日先ずは、大江戸線側の4番出入口に出て来ました。 |
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国道を左折 |
地下鉄駅の階段を上って表に出たら、目の前の静かな狭い通りを左方向へ。間もなく広くて大きな国道254号線春日通りに交わるので、これを左に折れましょう。 |
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本郷中央教会 |
春日通りを100mほど歩いて行くと通りを隔てた右側に、クラシックなキリスト教の教会堂が見えて来ました。明治23年創立の日本基督教団本郷中央教会で、この教会堂は前のものが関東大震災で焼失した後の、昭和4年に再建されたもの。あの夏目漱石の明治41年の作品、三四郎に出て来る会堂のモデルだとも言われています。 |
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本郷消防署(手前)と本富士警察署(奥) |
そのすぐ先の今度は左手に、東京消防庁の本郷消防署と、警視庁の本富士警察署の建物が並んで建っています。大きな消防署と警察署が隣同士に並んでいるなんて、この界隈はセキュリティバッチリだね。 |
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本富士警察署前交差点 |
警察署を過ぎた先にある交差点は、本富士警察署前交差点です。これを左折。 |
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国道を外れて進む |
国道を外れて通りを歩いて行くと、100mほど先の正面にレンガ造りの門柱が現れました。 |
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東京大学 龍岡門 |
これは東京大学の龍岡門。そしてその奥のタワーの様なビルが、丹下健三設計の東京大学本部棟。更にその少し先には、東京大学医学部附属病院があります。因みにこの門に門扉はありません。門柱のみの門なんです。(昔はあったらしい)
と言う訳で、レンガ造りのこの門柱の向こう側は、東京大学のキャンパスって事になるんです。だけど今日はキャンパス内には入らずに、龍岡門に突き当たって右へカーブするこの道を、そのまま道なりに進む事にします。 |
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東大キャンパスに沿って道なりに進む |
そしてこの先、東京大学のレンガ塀沿いに左へ右へとカーブが続きますが、東大キャンパスを左手に置いて、更に道なりに進んで行きましょう。 |
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右手に見えるのは三菱経済研究所 |
龍岡門を過ぎて道なりに350m程歩いて行くと、正面に白い塀のT字路が見えて来ます。本日のお目当ての場所、タイトルにもある旧岩崎邸庭園に行くには、このT字路を左方向へと進むのですが、今日はその前に寄り道をして、ほんの少し予習をして行きましょう。通りの右手に見えている、三菱経済研究所のレンガ造りの建物にちょっと寄って行く事にします。という事で、正面のT字路を右折して建物の入口へ。 |
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三菱資料館入口 |
旧岩崎邸とは戦前の三菱財閥三代目総帥にして、創業者岩崎彌太郎の長男にあたる岩崎久彌(1865-1955)の本邸だった建物。そしてここ三菱経済研究所の建物内には三菱資料館が併設されていて、創業から終戦後の財閥解体に至るまでの三菱の歴史を、貴重な写真や資料で詳しく知る事が出来るんです。但し残念ながら館内は撮影不可のため、今日のところはレンガ造りの建物の正面入り口のみの撮影であります。入館は無料。 |
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突き当りを右折 |
戦前の三菱財閥の歴史をにわか勉強したところで、早速旧岩崎邸へと向かいましょう。三菱資料館を出たら左方向へ進んで行くと、間もなくT字路に突き当たるのでこれを右へ。 |
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無縁坂 |
やがて行く手になだらかな下り坂が現れました。これは無縁坂。この坂、森鴎外の明治44年の小説「雁」の作中に頻繁に登場する坂で、物語を構成する重要な要素の一つにもなっている坂なんです。そして右手に見えている、石垣とレンガが重なった塀の向こう側が旧岩崎邸でありまして、小説「雁」にも、「無縁坂の南側は岩崎の邸(やしき)であった・・・」と記されています。 |
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坂下の十字路を右折 |
無縁坂を下り切ったら、その先の十字路を右へ。旧岩崎邸の石垣の塀に沿って進んで行きましょう。
因みにこの十字路を曲がらずに、そのまま直進したすぐ先の正面には、冒頭の説明どおり、ここ池之端の地名の由来にもなった不忍池があるんです。 |
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旧岩崎邸庭園正門 |
間もなく通りの右手に、スチール製のスライド式門扉が見えて来ました。旧岩崎邸庭園に到着です。この正門を抜けて中へ。入園料金は一般400円也。 |
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旧岩崎邸洋館と正面玄関 |
旧岩崎邸のシンボル的な建造物が、明治29年竣工になる木造のこの洋館。設計は旧古河邸やニコライ堂などの他、多くの歴史的建造物を手掛けたイギリス人建築家、ジョサイア・コンドル(1852-1920)の手によるもので、現在では国の重要文化財に指定されています。 |
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ホール内の暖炉 |
正面玄関から建物内に入ってホールに立つと、先ず目に飛び込んでくるのがこの大きな鏡付きの、大理石で造られた暖炉。 |
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暖炉のデザインはすべて違います |
暖炉はこのホールに設置されたものの他、各部屋にもそれぞれ設置されていて、全てデザインは異なります。ところで、施設スタッフの方のお話によるとこの暖炉、元は薪を燃やして暖めていたんだけど、三菱がガス事業を始めたタイミングでガス式に変えたらしい。明治の時代に人の住まいで、もう既にガスで暖を取っていたなんてびっくりです。 |
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1階婦人客室 |
こちらは1階の婦人客室。ジョサイア・コンドルによる、イスラム風内装デザインの部屋なんですが・・・ |
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天井の刺繡 |
見落としてならないのが、この部屋の天井のゴージャスな装飾。薔薇や菊をあしらった、シルクの刺繍パネル32枚がはめ込まれているんです。 |
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2階客室 |
一方こちらは2階の客室。この部屋では、煌びやかな壁紙の装飾に注目です。 |
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金革唐紙(きんかわからし) |
この壁紙、金革唐紙と呼ばれる革を模した和紙で、金属箔をはった和紙を手作業の複雑な工程で仕上げる、高度の加工技術が施された日本の伝統工芸品なんだとか。 |
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2階トイレ |
2階にトイレがありました。大理石が施された小便器と洗面台。そして寄木造の床。とってもオシャレでキレイで重厚で、用を足すのがもったいないくらい。
(もちろん今は、実際にここで用なんか足したらオコラレマスケド。)
そしてなんとこのトイレ、竣工当時からの水洗式なんです。さっきのガス式暖炉と言いこのトイレと言い、明治の時代に時代を先取りした最先端の技術が施されていたんですね。 |
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1階サンルーム |
室内側から張り出した1階の明るいサンルームからは、芝生の庭園を望む事が出来ます。 |
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1階ベランダの床 |
同じく芝生庭園を望む事が出来る1階ベランダの床には、四葉の紋などをあしらったタイルが敷き詰められています。案内板によるとこのタイル、イギリスの高級陶磁器ブランドのミルトン社製で、このミルトンのタイルはイギリスやアメリカの国会議事堂などにも使用されているもので、この様に個人の邸宅に使用される事は極めて稀らしい。 |
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1階ホール大階段 |
正面玄関に接したホールに戻って来ました。そしてここには2階へと続く大階段があるんですが・・・ |
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地下通路へ |
この大階段、どうやら地下へも続いているらしい。実はこの階段は、ある建物へと向かう地下通路に繋がっているんです。 |
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地下通路の通気口 |
地下通路の行く先はこの画像の建物、撞球室(ビリヤード場)なんです。画像右下に写っている井戸の様な石組は、地下通路の為の通気口。 |
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撞球室 |
この撞球室は、ジョサイア・コンドルがスイスの山小屋をイメージして設計した木造の建物で、国の重要文化財に指定されています。しかしながらビリヤード場とは言え、昭和に入ってからはビリヤード台は撤去されて、図書室として使われていたんだって。 |
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通路から撞球室へ |
ここは地下通路から階段を上がって、撞球室へと入ってきた場所です。ところでこの壁、前にどこかで見たような?
これは金革唐紙の壁紙でした。撞球室内部の壁にも、この壁紙が使用されていたんですね。 |
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和館の広間 |
旧岩崎邸には、洋館と共に和館も建てられています。現在残されているのは、当時主に冠婚葬祭に利用された大広間の4室のみなのですが、竣工当時は建坪550坪で14もの部屋があって、洋館が主にゲストハウスとして使われていたのに対して、この和館は岩崎家の家族や使用人の居住スペースとして使われていたんだそう。国の重要文化財指定。 |
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菱紋の引手 |
実はこの和館の広間には、ちょっとした秘密が隠されています。それは岩崎家の家紋で、あの三菱スリーダイヤモンドマークの元にもなった「重ね三階菱」。この画像の襖の引手や、上の画像に写っている欄間の様に、所々に菱紋のモチーフが隠れているんです。 |
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和館通路 |
和館では、手に入れる事が困難でとても貴重な木材が所々に使われていて、この通路の天井も、長さ16mの檜の一枚板が使用されています。 |
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芝生庭園より洋館・和館を望む |
洋館と和館はご覧の様に隣同士に建てられていて、館同士が繋がっています。共に明治29年竣工。往時には5万平米近く、東京ドームがすっぽり入る程の敷地面積があったのですが、現在の開園面積は1万8千平米余りで、洋館、和館、撞球室と、和・洋の庭園が公開されています。 |
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来た道を戻る |
たっぷり2時間かけて、じっくり旧岩崎邸庭園を廻って来ることが出来ました。だけど、今日はこのあとまだもう少し見て廻る所があるんです。
と、言う訳で、旧岩崎邸庭園の正門を抜けたら目の前の通りを左へ。旧邸宅のレンガ塀を左手に眺めながら、来た道を戻ります。 |
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無縁坂を左手に見て |
間もなく、さっき下って来た無縁坂が左手に見えて来ました。この無縁坂との十字路はそのまま直進。 |
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境稲荷神社 |
道なりに歩く事400m足らず。左手に現れた鳥居の先にある小さな神社は、境稲荷神社です。そしてこの神社の本殿裏手に、ちょっとした遺跡が残されているんです。 |
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弁慶鏡ヶ井 |
それがこの井戸、弁慶鏡ヶ井。兄、源頼朝の勢力に追われ、奥州へと逃れる途上の源義経の一行がこの辺りを通り掛った時に、武蔵坊弁慶がこの井戸を見つけて皆で喉を潤した、との言い伝えからこの名前が付いたんだとか。 |
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東京大学 池之端門 |
弁慶鏡ヶ井のすぐ隣にある、まるで井戸と一体になっているかの様なこの石造りの門柱は、東京大学の池之端門。静かでひっそりとした場所にあるこの門を抜けるとその先には、東京大学附属病院の病棟があります。 |
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横山大観の名前が |
ところで弁慶鏡ヶ井の傍らに建立されている、この井戸の由緒が記された記念石碑を眺めていたら、その裏側に刻まれた建碑者有志一同の名前の中に、横山大観の名前を発見。
実は近代日本画の巨匠あの横山大観(1868-1958)は、ここから100m程の目と鼻の先に住まいがあって、そこで長く暮らしていたんです。これは寄らない訳にはいかない。 |
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鳥居の前の道を左折 |
・・・ってワケで、これからそこへ向かう事に。境稲荷神社のさっきの鳥居の前まで戻ったら、鳥居を右手に見て、左手へと分かれる道に入ります。 |
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通りの向こうは不忍池 |
すぐ先の正面を走る通りは都道437号線の不忍通り。そして通りを隔てた樹木の向こう側に、不忍池が見え隠れしています。 |
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横山大観記念館 |
これを右折して不忍通りに入るとすぐに横山大観の旧居があって、現在は横山大観記念館として公開されています。入館料一般800円。 |
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横山大観の自邸兼アトリエでした |
横山大観がこの地に居を構えたのは明治41年。その後昭和20年に空襲を逃れて熱海の別荘に疎開し、29年に戻って来るまでの一時期、この場所を離れてはいましたが、昭和33年に亡くなるまでの長きに亘って、ここ池之端の自邸兼画室で暮らしていたんです。 |
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画室として利用されていた部屋 |
さっき見て来た旧岩崎邸と比べてしまえば、かなり質素で小ぢんまりしてはいるんだけど、館内には彼の作品や関連した所蔵品が展示されていて見応え十分。 |
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庭園も質素です |
木造2階建てのこの建物は、明治41年に建てられた元の家が昭和20年の空襲で全焼してしまったために、昭和29年になって、庭園を含めて焼失前の家とほぼ同じ様に再建されたものなんです。 |
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大観旧居の門を抜けて右へ |
明治生まれの大実業家と日本画の大家。同じ時代に活躍した同年代の二人の邸宅を、今日は十分堪能できました。そろそろこの辺で、散歩のゴールへと向かう事にしましょう。横山大観記念館の門を抜けたら、その前を走る不忍通りを右へ。 |
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不忍通り沿いに進む |
都道437号線不忍通り沿いを、そのまま道なりに進んで行きます。途中池之端一丁目交差点で不忍通りは左手に逸れて行きますが、交差点をそのまま真っ直ぐに横断して、今度は都道452号線に入ります。 |
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東京メトロ湯島駅1番出入口 |
横山大観記念館をあとにして、道なりにおよそ450mほど。東京メトロ千代田線湯島駅の1番出入口に到着です。 |
★交通 |
地下鉄都営大江戸線または東京メトロ
本郷三丁目駅下車 |
★歩行距離 |
約 3.0 km |
周辺地図
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