池袋から
マンガの聖地椎名町へ
2022年11月
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池袋駅西口 |
東京山の手の巨大ターミナル駅、と言うより、世界屈指の乗降客数を誇る巨大ターミナル駅、池袋駅はちょっと不思議な駅なんです。と言うのも、ここの駅ビルでは西武百貨店と東武百貨店という二つの大きなデパートが営業しているんだけど、駅の東口に西武百貨店が、西口に東武百貨店があるんです。まぁ、どーでもいいって言えばそうなんだけど、ナゼ東西が逆なのか、考え出したら眠れなくなります。
・・・って訳で、この画像の「TOBU」の看板でも分かる通り、今日は池袋駅の西口前から歩いて行く事にします。 |
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駅前のスクランブル交差点を渡る |
池袋駅西口の中央出口に出て来ると、目の前は池袋西口広場。そして、そのすぐ先にある大きなスクランブル交差点の一番左側の横断歩道を渡って、先へと進んで行きましょう。 |
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池袋路西口公園内を進む |
間もなく池袋西口公園が見えて来ました。そのまま、この公園の中を通る歩道を歩いて行きます。 |
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東京芸術劇場 |
公園内にあるのは東京芸術劇場。この池袋西口公園は、東京芸術劇場の前庭公園として整備されたものなんです。 |
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彫像を眺めながら左折 |
公園内の歩道を、端から端まで100mほど歩いて来ました。正面には都道441号線が走り、その手前には女性二人が向き合うブロンズ像があります。これを都道沿いに左折。彫像のタイトルは「マリとシェリー」。作者は彫刻家で朝倉文夫の次女でもある、朝倉響子(1925-2016)です。 |
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都道沿いに進む |
右手は都道、左手は東京芸術劇場に挟まれた歩道を、そのまま進んで行きましょう。 |
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としま産業振興プラザ |
都道に沿っておよそ300m程歩いて行くと、左手に池袋消防署があります。そしてその一つ先のビルはとしま産業振興プラザ(IKE・Biz)。今日はこの7階にある豊島区立郷土資料館に、ちょっと寄って行こうと思います。入館は無料。 |
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終戦直後の闇市の風景 |
この施設では豊島区の歴史や文化を、様々な資料や展示物で知る事が出来るんですが、必見は昭和の時代の池袋周辺を忠実に再現した、幾つかの精密なジオラマ。
画像は終戦直後、池袋にあったヤミ市の風景です。売り手と客、おでん屋で一杯やる人、リヤカーを引く人、米兵がいたり、街娼と思しき女性が立っていたり。一人ひとりの表情も鮮明に再現されていて、つい見入ってしまいます。 |
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池袋西口駅前 |
一方こちらは昭和30年代後半頃の、池袋西口の風景。ガラスケースに周囲の様子が写り込んでいて少々見難いですが、奥の大きなビルはそのロゴマークから、当時の東武デパートである事が分かるので、ちょうど今回のこの記事の最初の画像や、二つ目の画像とほぼ同じ場所の風景と思われます。見比べると驚くんだけど、昔の池袋西口駅前は木造家屋がこんなに密集していたんですね。 |
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IKE・Bizの前の道を進む |
としま産業振興プラザの建物を出たら、歩いて来た目の前の道をそのまま進んで行きましょう。 |
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十字路を直進 |
そのすぐ先の十字路を直進。通りの道幅は急に狭くなって、辺りは住宅地になりました。 |
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指導標に従い左折 |
次の目的地、自由学園明日館への指導標が電信柱に掲出されているので、それに従って住宅地の中の静かな道を歩いて行きます。そして150mほど進んだ先の十字路を、指導標に従い今度は左折。 |
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自由学園 明日館(重文・国) |
間もなく学校法人自由学園の旧校舎、明日館(みょうにちかん)が左手に現れました。見学料は500円。
自由学園は大正10年に、当初プロテスタント系の女学校として創立されました。そしてその校舎として建てられたのが明日館で、現在では国の重要文化財に指定されています。 |
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ホール(礼拝堂) |
この明日館は、自由学園創立当時にちょうど来日していた、アメリカ人建築家のフランク・ロイド・ライト(1867-1959)と、その日本人の弟子だった遠藤新(1889-1951)の設計によって、大正10年から昭和2年にかけて漸次建築されて行きました。
自由学園そのものは、その後東京の郊外へと移転したので、現在この明日館は学校の校舎としては使用されてはいないのですが、イベントやセミナーなどの為の貸しスペースとして、誰でも利用できるようになっているんです。国の重文を貸し切りに出来るなんてすごい! |
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食堂で珈琲・紅茶の喫茶が出来ます |
見学料金の500円に300円をプラスすれば、この食堂でゆっくりと、焼き菓子付きの喫茶が出来る様になっています。
ところで、この食堂に立派な暖炉があるのを発見したんですが・・・ |
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ホールに設けられた暖炉 |
館内の案内板によると設計者のフランク・ロイド・ライトは、団欒の場を共有できる場所づくりとして暖炉を設ける事にこだわり、したがって彼の手掛けた建築物の多くには暖炉が設けられているらしい。
と言う訳で、この明日館にも食堂やホールなど5カ所に暖炉があって、禁止となっている木造重要文化財での火の使用を、わざわざ消防署に申請して許可を取り、年に何回か特別に暖炉に火を入れているんだって。 |
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明日館の前の通りを一旦戻る |
自由学園明日館を出たら、建物を右手に眺めながら、明日館の前の道を一旦戻りましょう。 |
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公園前を左折 |
そのままおよそ150m程直進すると、右方向に小さな公園が見えて来ます。これは豊島区立上り屋敷公園。その手前の十字路を左へ。 |
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目白庭園 表門 |
途中で西武池袋線の踏切を越えて200mほど直進すると、豊島区立目白庭園の表門前に到着です。入場無料。 |
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池泉庭園 |
ここは平成2年に開園した日本庭園で、岸に造られた浮見堂や、山や滝や川などの風景を眺めながら、池の周りをぐるりとひと回り出来る池泉回遊式の日本庭園なんです。面積は2,800平米余りと、東京ドームの16分の1程の小さな庭園ではありますが、池の畔にボーっと佇んで、気持ちをリフレッシュするにはもってこいの穴場であります。 |
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庭園前の道をそのまま先へ |
・・・という事で、気分もリフレッシュ出来たので、いよいよこれからマンガの聖地、椎名町へと向かう事にしましょう。目白庭園の前の通りをそのまま先へと歩いて行きます。 |
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前方の目白通りを右折 |
住宅地の中の静かな道を、目白庭園から南方向へとほぼ道なりに歩いて行く事300m足らず。目の前に見えて来た大通りは都道8号線の目白通りです。これを右折。 |
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大通り沿いの商店街を進む |
目白通りに入って来ると、大通り両側の歩道沿いには目白銀座商店街が続きます。そして、ここから暫くはこの都道沿いを進んで行く事になります。ところで、これから向かおうとしている椎名町と言う場所、何故マンガの聖地って言われているんでしょうか?
まず最初に押さえておかなければならないのは、現在において「椎名町」と言う住所は存在しません。昔はあったんだけど、今は豊島区南長崎という町の一部になっているんです。そして、その場所が椎名町だった昭和27年にトキワ荘というアパートが建てられ、新築当時からこのトキワ荘には多くの若手の漫画家が暮らしあるいは出入りし、そして創作活動をしていて、その中には手塚治虫を始め後々驚くようなビッグネームになるであろう人達が、たくさん入居していたんです。正にマンガの神様たちのルーツがそこにはあって、だから椎名町イコール・マンガの聖地と呼ばれる様になったのでした。 |
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目白聖公会 |
都道沿いを歩き始めて間もなく右側に、キリスト教の聖堂と思しき白いクラシックな建物を見つけました。これは、日本聖公会東京教区目白聖公会の聖堂で、昭和4年の建立です。因みにこの所在地は東京都新宿区下落合。今日の散歩は殆どが豊島区内である中で、一部この辺りだけが新宿区となります。 |
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山手通りを越えて直進 |
さてさて、広い都道歩きも優に1kmを越えたでしょうか。前方に大きな交差点が見えて来ました。目白通りと片側2車線の山手通りが交差するこの交差点は、トキワ荘ゆかりの地南長崎一丁目交差点。これを越えて更に直進です。
ところで、なぜトキワ荘ゆかりの地なのかって? それはもう少し後で分かります。 |
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二又交番を右へ |
山手通りを越えて250m余り。行く手はY字路で左の目白通りと、右の南長崎通りに分かれます。そのちょうど真ん中にあるのが、目白警察署の南長崎交番、通称二又交番です。これを右へ。いよいよここから、マンガの聖地のメインストリートが始まります。 |
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トキワ荘通りお休み処 |
二又交番を右手に入って来ると、そこからの商店街の道は通称トキワ荘通り。地元と豊島区は地域活性化の協働プロジェクトを立ち上げて、地域興しに意欲的に取り組んでいるのですが、その一環でこの通り沿いには、たくさんのトキワ荘関連施設が並んでいるんです。その初めが通りの右側にある2階建ての施設、トキワ荘通りお休み処。ここでは、トキワ荘のマンガ家たちの作品を自由に手に取って読む事が出来る他、関連グッズの販売もしています。入館無料。 |
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トキワ荘の一室を再現 |
2階に上がると、トキワ荘の四畳半の一室が再現されていました。部屋の中にはてんや物の器や、酒瓶が散乱しています。時間を見つけては、皆で年中酒盛りをしていたらしい。ところで特に目についたのが、サイダーの瓶と焼酎の瓶。当時のトキワ荘の若手漫画家たちは焼酎をサイダーで割って、「チューダー」と称してよく飲んでいて、アパート内での飲み会を「チューダーパーティー」と呼んでたんだって。 |
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音楽喫茶エデンの客席 |
同じく2階に展示されていたこの椅子とテーブルは、トキワ荘の漫画家たちが足繁く通った、エデンという音楽喫茶で使用されていた客席なんです。エアコンなんか全く普及していなかった当時、暑さをしのいで夏場などは特に、冷房設備のあるエデンにゾロゾロと皆で出向いたのでした。そして、嘗てそのエデンのあった場所が、少し前に通過して来た南長崎一丁目交差点の一角。だからさっき言ったとおりこの交差点は、トキワ荘ゆかりの地って訳なんです。 |
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トキワ荘マンガステーション |
トキワ荘お休み処の三軒先にある施設は、トキワ荘マンガステーション。ここでも、トキワ荘関連の書籍やマンガ家の作品を、無料で自由に読む事が出来るんです。その数およそ5,000冊。
そして、その一軒置いた先の右へ分かれる路地に、「子育地蔵尊入口」の看板が。このお地蔵さんは、トキワ荘の漫画家たちの作品にも描かれている、ゆかりのお地蔵さんなのであります。 |
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子育地蔵尊 |
路地を右に入った突き当りに、その子育地蔵尊はありました。案内板によるとこのお地蔵さん、1710年(宝永7年)に造立されて、初めは二又交番の辺りにあったのですが、昭和13年にこの場所へと移転されたのでした。 |
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中華料理 松葉 |
トキワ荘通りへと戻って50m余り進んだ先、通りの左側に小さな中華料理店があります。当時からずーっと営業している松葉という屋号のこの町中華、ここもやっぱりゆかりの店。マンガ家たちが頻繁に出前を取ったり食べに行ったりした御用達の店であり、そして其々の作品にも登場するような特別な店なんです。なにより、あの藤子不二雄の「オバケのQ太郎」などに出て来る、ラーメンばかり食べているお馴染みの「小池さん」は、この松葉からひらめいたんだとされています。
但し、小池さんの食べているラーメンは、インスタントラーメンらしい・・・ |
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トキワ荘があった場所へ |
松葉の向かい側には、トキワ荘通りから右方向へと入る路地があります。この路地の正面突き当りには、一企業の何てことの無い社屋が建っているんですが、この場所こそが、昭和27年12月に棟上げされてから、昭和57年12月に老朽化で解体されるまでトキワ荘が建っていた、正にその跡地なのであります。 |
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トキワ荘跡地モニュメント |
現在では当時の面影は全くありませんが、傍らにはトキワ荘の記憶をいつまでも伝えるために、モニュメントが建てられています。
既述の様にこのトキワ荘には、多くの若手マンガ家達が居住していました。その中には、当時もう既に売れっ子だった手塚治虫や、その才能が世間に認められる以前の藤子不二雄のふたり、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、紅一点の水野英子、そして住んではいなかったけれど頻繁に出入りしていた、つのだじろうや園山俊二、つげ義春など、その他にも大勢の天才マンガ家たちが、このアパートと関わってきたのでした。 |
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昭和レトロ館 |
再び中華料理松葉の前まで戻ったら、その並びの一軒置いた先にあるのが、豊島区立のトキワ荘通り昭和レトロ館。この施設その名の通り、建物自体かなりレトロな雰囲気ではあるんだけど、元々は「味楽百貨店」という、トキワ荘とほぼ同じ時代に建てられた食料品商業施設の古い貴重な建物で、それを取り壊さず外観はそのままにリノベーションして、令和4年11月にオープンした施設なんです。 |
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各部屋は展示室になっています |
この昭和レトロ館は、トキワ荘の関連施設というよりは、古き良き昭和の時代の暮らしや文化を、次世代へ伝え続ける事を目論みとした施設。だからトキワ荘に関係した展示やイベントは、基本的にはありません。
施設内では、ご覧の様に当時の間取りが再現されていて、各部屋にはそれぞれ、昭和の時代の暮らしや豊島区の様子を知る事が出来る、たくさんの展示物が並んでいます。 |
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プラレールがありました |
そんな中の一つのこの部屋では、あのプラレールを複雑に組み合わせて、現在の池袋駅構内の様子が再現されていました。昭和の時代に発売されて、令和の今に至っても子供たちに大人気のプラレール。これをずっと作り続けている玩具メーカー、タカラトミーの前身トミーの創業の地は、実はここ豊島区だったんです。 |
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神田川周辺ジオラマ |
こちらの部屋に展示されているのは、東京都三鷹市の井の頭公園内にある池を水源として、豊島区や新宿区などを経て隅田川へ合流し東京湾に注いでいる神田川と、その周辺の昭和時代の街並みの様子を再現したジオラマ。この他にも、池袋に嘗て在ったいにしえの飲み屋街のジオラマなども展示されていて、今日の散歩の最初の方で見て来た、豊島区立郷土資料館のジオラマ同様、むかしの街並の鮮明な再現に、時間を忘れて見入ってしまいます。 |
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トキワ荘公園入口 |
昭和レトロ館からおよそ150mあまり先に進むと、通りの左手に児童公園の入口ゲートが見えて来ます。 |
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南長崎花咲公園 |
これは南長崎花咲公園、通称トキワ荘公園です。一見何の変哲もない普通の児童公園なんだけど、何故トキワ荘公園と呼ばれるのかというと・・・ |
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トキワ荘マンガミュージアム |
公園を奥の方まで歩いて行くと、古い木造アパートが現れました。これはあのトキワ荘を忠実に再現して建てられた、令和2年開館の豊島区立トキワ荘マンガミュージアム。だからこの公園は、トキワ荘公園と呼ばれているんです。 |
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トキワ荘を忠実に再現 |
建物の裏側に回ってみると、こちら側も手を抜くことなく、古アパートが当時のままに再現されていました。一番手前には2本の土管と、その上層2カ所に設けられた、新鮮な空気を取り入れて循環させる為と思しき小窓を発見。これはポットン便所に違いないと確信し、確かめるべくトキワ荘の中へ。入館無料。 |
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四畳半部屋が並ぶ |
2階へと上がると、長い廊下を挟んで四畳半部屋9室が、向かい合わせに並んでいます。これこそ漫画界のレジェンド達が駆け出しの頃、製作に勤しんだり、飲んで騒いだりした場所なんですね。 |
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共同便所 |
2階のいちばん隅で、例のポットン便所を見つけました。案内板によると男女共用で、汲み取り式のため当時は臭いがきつくて、目も染みる程だったんだとか。 |
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共同炊事場 |
こちらは共同の炊事場。生前の赤塚不二夫が嘗てあるテレビ番組で語っていたところによると、この正面の流しに入って、しばしば裸で水浴びをしていたらしい。 |
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部屋の広さは四畳半 |
各部屋の室内は家具や雑貨、調度品など当時の様子がそのままに再現されていて、それぞれの作家の当時の生活が目に浮かぶようです。因みに昭和30年当時のトキワ荘の家賃は3,000円。大卒男子の初任給が11,000円の時代です。 |
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トキワ荘通りを進む |
トキワ荘公園をあとにしたら、今日の散歩のゴールへとトキワ荘通りをそのまま進んで行きましょう。通り沿いにはこんな旧家の、立派な木造建築がありました。 |
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右折して長崎銀座へ |
トキワ荘公園からおよそ500m程。右手に長崎銀座のゲートが見えて来ました。これを右折してトキワ荘通りを外れます。 |
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商店街を歩く |
長崎銀座商店街は、西武池袋線東長崎駅の駅前商店街です。 |
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東長崎駅南口 |
ほんの200m余りの商店街歩きで、今日のゴール東長崎駅の南口に到着です。 |
★交通 |
JR線その他 池袋駅下車 |
★歩行距離 |
約 4.5 km |
周辺地図
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