色々な資料の受け売りながら、ここで少し佃島とこの住吉神社の成り立ちをお話しすると・・・
1582年本能寺の変で主君織田信長を自刃に追い込んだ明智光秀は、今度は清州同盟で信長と形の上で同盟関係にあった徳川家康を追います。 その時、少数で堺を見物していた家康一行は、明智の軍に退路を断たれた事を知り狼狽しますが、家臣の進言により伊勢を経由して海路で領地三河へ帰るルートを選んで堺からの脱出を図り、無事成功します。途上、摂津国を流れる大河に差し掛かった時、近くの佃村(現 大阪府大阪市)の漁民たちが船を集めて、一行の渡河を手助けしました。この事を後々まで恩義に感じていた家康は1590年関東へ国替えになった時、佃村の漁民33名と住吉神社(現 田蓑神社)の神職者1名を江戸に呼び寄せました。その後の1644年に隅田川河口の三角洲を埋め立てて島が造られ、漁民たちはそこへ移り住み、1646年には神社も創建されて、これが江戸の佃島と住吉神社の起こりと伝えられています。そんな訳で江戸幕府は佃島の漁民たちに、江戸近海で優先的に漁が出来る様な特権をも与えて保護し、そして漁獲されたものは、将軍や御三家などにも献上されたと言われます。 |