和田堀公園を歩いて
心身リフレッシュする

2023年12月






 
西永福駅北口
 西永福駅北口

 地球温暖化のせいとは思いたくないけど、12月に入ったっていうのに、気温20度を超す暖かな日が続いている今日この頃。しかも本日は朝から雲一つない快晴。まぁ、ともかく絶好の散歩日和って訳で、シンプルに川沿いの自然に囲まれた公園を、のんびり散歩でもしてみようかと思ってやって来たのは、京王電鉄井の頭線の西永福駅です。





西永福商店街
 西永福商店街

 駅の北口に出たら、駅前の踏切を背にして、先ずは西永福商店街を進みましょう。現在時刻は午前9時半を少し回ったところ。通り沿いの店舗のシャッターは、まだ概ね閉まったまま。しかも今日は日曜日とあって通勤の人波もなく、商店街は静かです。





正面を走るのは井の頭通り
 正面を走るのは井の頭通り

 商店街を歩く事150m足らずで、正面突き当りに見えて来た広い通りは、都道413号線の井の頭通り。横断歩道で一旦通りを渡ったら左折して、都道沿いに進みます。





西永福交差点を右折
 西永福交差点を右折

 井の頭通りを歩くのも束の間、50mほど先にある西永福交差点を今度は右折。





方南通り沿いに進む
 方南通り沿いに進む

 都道14号線の方南通りへと入って来ました。暫くはこの通り沿いに歩いて行きましょう。





大宮八幡宮 南大鳥居
 大宮八幡宮 南大鳥居

 400mほど進むと通りの左手に、朱色の大鳥居が現れました。ここは大宮八幡宮で、これより先が神社の南参道。

 と、いう事で、大宮八幡宮境内へ。

 ところで、昭和58年建立になる比較的新しいこの大鳥居は、日本初のステンレスで造られた鳥居なんだって。





拝殿
 拝殿

 大宮八幡宮の境内はおよそ1万5千坪。東京ドームとほぼ同じで、神社としては都内屈指の広さ。だから「大宮」なんです。1063年の創建と伝えられ、主祭神は八幡宮の名の通り、八幡神と呼ばれて武運の神様とされる、応神天皇です。





大正8年建立の沿革碑
 大正8年建立の沿革碑

 この大宮八幡宮を創建したのは、鎌倉幕府を開いた源頼朝の、5代前の祖先であった平安時代中期の武将、源頼義 (988-1075)

 今の東北地方あたりでゴチャゴチャともめていた豪族を、朝廷の命を受けて平定したり(前九年の役)、色々と武功を挙げたこの源頼義さん。境内に建立された沿革碑によると、丁度その奥州での戦いの勝利を祝って、戦地へ赴く前に立ち寄った事のあるこの地に八幡神を祀ったのだとか。そんな訳でこの人は、ここ大宮八幡宮の他にも、武運の神様を祀る八幡宮を複数創建していて、鎌倉の鶴岡八幡宮もその一つだったりします。





水神様
 水神様

 広い境内を散歩していると、興味深いものを色々と見付ける事ができます。

 これは多摩清水之社(たましみずのやしろ)。境内に湧き出る湧水で、延命長寿や厄除開運のご利益があって、水神様として祀られています。





御神水を汲み取れます
 御神水を汲み取れます

 御神水はハンドルを回して、この竜の口(龍口)から汲み取る事が出来る様になっています。但し湧水とは言え、現在では水脈が細ってしまっている為にポンプで汲み上げているので、水源が枯渇しない様に、給水量や給水時間の制限が設けられています。





力石
 力石

 江戸時代から明治・大正の頃くらいまで、力自慢の男達が重たい石を持ち上げて、力試しに挑戦するといった様な事が、娯楽として日本の各地で行われていた様ですが、それに使われていた力石が境内にゴロゴロと並べられていました。中には五十貫(187.5kg)なんて刻まれている石もあったりします。





夫婦銀杏
 夫婦銀杏

 イチョウの大木がありました。画像左側のものは26m程の高さがある男銀杏。そしてその右隣りが女銀杏で、二つ合わせて夫婦銀杏。夫婦和合のシンボルなんだって。

 歳と共にスキマ風の風力が強くなりつつある、ウチのカミさんを一緒に連れて来ればよかった・・・





共生の木
 共生の木

 一方こちらの大木も、夫婦和合の御神木。なぜ夫婦和合なのかというと・・・





2本の木が1本に
 カヤ(左)とイヌザクラ(右)

 それはこんな風に、二つの木が一つの幹に結ばれているからなんです。案内板によると共生の木(ともいきのき)と言うらしい。カヤの木の大木にイヌザクラが寄生しているもので、夫婦和合の他にも相互扶助や協調・協力のシンボルなんです。





赤門(北神門)
 赤門(北神門)

 東京ドーム並みの広い境内をひと回りしたところで、そろそろ大宮八幡宮をあとにする事にしましょう。神社の北側に構える、江戸時代中期頃に建立されたと言われるこの北神門を抜けて、境内を外れます。





大宮遺跡
 大宮遺跡

 神社北側の裏手で隣接しているのは、大宮遺跡。昭和44年の発掘調査で弥生時代後期の墓が発見された場所で、それに伴い弥生式土器や勾玉・ガラス玉などが多数出土しています。





八幡橋を渡る
 八幡橋を渡る

 大宮遺跡の石碑脇の階段を下ったら、善福寺川に架かるコンクリートの橋、八幡橋を渡りましょう。





善福寺川
 善福寺川

 善福寺川は神田川の支流で、この場所から直線距離で北西5km余りに位置する、善福寺池が水源。そしてこの川の左岸一帯(画像左側)には、緑溢れる都立和田堀公園が広がります。





和田堀公園
 和田堀公園

 公園の開園面積は26万平米、東京ドームで5つ程の広さ。園内や川沿いには静かな散策路が設けられていて、今日のこの記事のタイトル通り、心身ともにたっぷりとリフレッシュする事が出来ちゃいます。





和田堀池
 和田堀池

 そして園内には野鳥の棲む和田堀池やバーベキュー広場、野球場・運動場・テニスコートなどが揃っているんです。





松ノ木遺跡
 松ノ木遺跡 復元住居

 公園の北側に隣接した場所には、松ノ木遺跡があります。さっき見て来た大宮遺跡などもそうですが、杉並区内のこの善福寺川や本流の神田川流域では、こうした古代遺跡が幾つも見つかっているんです。





古代住居跡
 古代住居跡

 ここには復元された6世紀頃の竪穴住居と並んで、実際に発掘された古代の住居跡が保存・公開されていました。





実際の竪穴住居跡です
 実際の竪穴住居跡です

 案内板によると大きさは縦5.3m、横3.9mの長方形で、6世紀頃の古墳時代のものです。





住居入り口脇に設けられたカマド
 住居入り口脇に設けられたカマド

 この時代の頃にはカマドが急速に普及して、多くの住居に設置されるようになったので、この住居跡でもカマドが設けられていたと思われる入口近くの場所に、当時の様に復元されたカマドを見る事が出来ます。





武蔵野園
 つり堀 武蔵野園

 公園北側の松ノ木遺跡の傍で、古めかしくて大きくて、かなり目を引くユニークな建物を見つける事が出来ます。ここは、釣り堀と食事処を一緒に営むつり堀武蔵野園





じゃじゃ丸ポップコーン
 忍者じゃじゃ丸ポップコーン

 店舗前にガチャマシンと共に置かれているのは、忍者じゃじゃ丸ポップコーン。100円玉を2枚入れて待っていると、間もなくカップに盛られたポップコーンが忍術の様に出て来るという、シュールなマシン。塩味、バター味、キャラメル味と、3種類から選べるのがまたニクイ。

 実はこの釣り堀、大昔ウチの子供たちがまだ小さな頃に、何度か連れて来た事もあり、食事もしたことがあって、自分としてはとっても懐かしい場所。ちょうどお昼時でもあるので、この辺でちょっと1杯だけ昼飲みしながら(微笑) ランチをする事に。





釣り堀を眺めながらランチタイム
 釣り堀を眺めながらランチタイム

 外見はオールドファッションで、店内もビニールハウス風と、一見迷店の様ではありますが、実は中々の名店でありまして、テレビドラマの「孤独のグルメ」ではSeason1で早々に取り上げられるほど。そして、あの某人気グルメサイトでも好評価なのであります。

 本日は日曜日とあって、お一人さまからカップル・家族連れまで、広い店内はほぼ満席。丁度空いていた、釣り堀が見晴らせるカウンター席に座って、合鴨の燻製をつまみに、「オトナの義務教育」633(ミリリットル)の大瓶ビールで先ずは1杯。メニューも、中華・洋食・日本そばから、居酒屋おつまみメニューまで、チョイスするにも悩む程とっても豊富なんです。因みにテレビドラマでは、確かお汁粉が絶品と言っていたかと・・・





善福寺川沿いに歩く
 善福寺川沿いに歩く

 さてさて、武蔵野園でボリュームたっぷりの美味しいランチをお腹いっぱい食べて、ちょっと眠くなったところではありますが、まだまだ散歩は続くのであります。

 いったん善福寺川沿いの遊歩道まで戻ったら、川の流れを右手に眺めながら、川下方向へと歩いて行きましょう。





大宮橋
 大宮橋を渡って

 武蔵野園の前からぶらりぶらりと、川岸散歩を楽しむ事700~800mほど。前方に見えて来た橋は大宮橋。これを渡って善福寺川の向こう岸へ。





今度は川の右岸を進む
 今度は川の右岸を進む

 「杉並区立郷土博物館まで160m」の指導標に従って、今度は善福寺川を左手に眺めながら、川の右岸を歩きます。





このテニスコートは重要な施設です
 このテニスコートは重要な施設です

 間もなく、フェンス越しにテニスコートが見えて来ました。実はこのテニスコート、とても重要な施設でして、大雨で善福寺川が氾濫などして、地域が洪水に見舞われた場合に、ここへ川の水を貯める事で、調整池の役割を果たす事が出来る様になっているんです。そしてこのテニスコートの他にも、和田堀公園内にある野球場もまた、同様の役割を担っています。





郷土博物館入口 長屋門
 郷土博物館入口(旧井口家住宅長屋門

 指導標に従ってテニスコート脇を進んで行くと、間もなく杉並区立郷土博物館の入口門に到着です。





長屋門(裏側)
 旧井口家住宅長屋門(裏側)

 この入口門は、19世紀の初め頃に建築されたもの。元は、江戸時代に代々名主を勤めた旧家の長屋門で、杉並区内の別の場所にあったものを、所有者から杉並区へ寄贈されて、この場所へ移築されたものなんです。





杉並区立郷土博物館
 杉並区立郷土博物館

 ところで、この杉並区立郷土博物館もまた、和田堀公園内の施設という事になるんです。入館料一般100円。





板碑(鎌倉時代~室町時代)
 板碑(鎌倉時代~室町時代)

 博物館の開館は平成元年。施設は平成27年に改装もされているので、明るく綺麗です。





昭和中期頃の住宅 風呂場と台所
 昭和中期頃の住宅 ・ 風呂場と台所

 常設展示室では原始時代から近・現代までの、杉並区の歴史や文化・暮らしを、貴重な所蔵品や資料の展示で深く理解できるようになっているのですが、杉並区に直接関わり合いがなくとも、日本の文化や歴史を十分に知る事が出来て、且つ楽しめる内容になっています。





昔の冷蔵庫
 昔の冷蔵庫

 これは「昭和のくらし」のコーナーに展示されていた、古い冷蔵庫。左側は昭和30年代、右側はそれ以前のものなんですが、特に右側の冷蔵庫は木製で作られていて、上段の扉の中に入れた大きな氷を利用して、下段の扉の中に入っている食品を冷やすというもの。自分が物心ついて間もなく位の頃に、うちの家にもあったのを思い出しました。その昔は、中に入れる氷を氷屋さんがリヤカーで運んで、お客の家の前でのこぎりを使って切り分けていたようですが、自分が子供の頃は、今で言う軽トラの様な車(3輪自動車だったかな?)で配達してくれていた記憶があります。

 何にしても懐かしい・・・





旧篠崎家住宅 主屋
 旧篠崎家住宅 主屋

 屋外の展示場には、同じ杉並区内から移築された古民家がありました。これは18世紀末頃に建てられた、農家の住宅です。





旧篠崎家住宅 内部
 旧篠崎家住宅 畳の間

 建坪はおよそ26坪で、板の間の広間を中心に、床の間が設けられた畳敷きの部屋と納戸、そして土間という構成になっていて、当時の武蔵野の本百姓(農地を所有する自作農)の住宅としては典型的なスタイルらしい。部屋も広いし、けっこう現代の住宅よりも快適だったかも。





Y字路は右へ進む
 Y字路右方向は荒玉水道道路

 そろそろこの辺で、今日のスタート地の西永福駅へと戻る事にしましょう。郷土博物館入口の長屋門を抜けたら、目の前の道を右手方向へ。暫くはこのまま道沿いに歩いて行くのですが、途中この様に左前方へ分かれる道が。だけどここも道なりに右側の通りを進みます。

 実はこの道、大正時代の末頃から昭和の初めにかけて設置された地下水道管の上に造られている、荒玉水道道路と呼ばれる道なんです。そして特筆すべきは、全長およそ9kmに及ぶこの道の殆どが、気持ちが良いほど真っ直ぐ一直線に造られているんです。東京都内で、これほど長く真っ直ぐ続く直線道路はとっても珍しい。





右折して方南通りへ
 右折して方南通りへ

 郷土博物館前から450mほどで、大通りの方南通りと荒玉水道道路との交差点になります。ここは右折して、方南通りに入りましょう。





右手に大鳥居が
 右手に大鳥居が

 300m足らずで、あのステンレス製の、大宮八幡宮南大鳥居の前に戻って来ました。鳥居を右手に眺め、そのまま先へ。今日最初に歩いて来た道を駅まで戻ります。





前方の踏切手前を右へ
 前方の踏切手前を右へ

 西永福商店街を進み、京王線の踏切手前まで来たら右へ。西永福駅の北口に到着です。









★交通 京王電鉄井の頭線 西永福駅下車
★歩行距離 約 4.5 km



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