横浜山手 洋館めぐり

2021年10月






 
元町・中華街駅 駅舎内
 元町・中華街駅 駅舎内

 横浜高速鉄道みなとみらい線は、横浜駅と元町・中華街駅の間、路線距離にして4km余りを結ぶ地下鉄道で、東急東横線との相互直通運転になっています。そして今日は、その終点駅である元町・中華街駅の6番出入口(アメリカ山公園口)からスタート予定なんだけど、実はこの駅舎と出入口がちょっとユニークなんです。





エスカレーターで屋上へ
 エスカレーターで屋上へ

 元町・中華街駅を先ずは下車すると、そのホーム階は地下4階。そして1階までエスカレーターで上り、改札を抜けたら更にエスカレーターで、カルチャースクールや保育園などの施設が入った4階建て駅舎の屋上階まで上って行きます。





駅舎の屋上は公園です
 駅舎の屋上はアメリカ山公園

 そして元町・中華街駅の6番出入口はこの屋上階にあって、その先には洋風庭園が広がります。これがアメリカ山公園





6番出入口(アメリカ山公園口)
 6番出入口(アメリカ山公園口)

 港町横浜を一望できる丘の上に造られた、このアメリカ山公園。台地の起伏を上手に利用した駅舎ビルの屋上と一体になっている、いわゆる立体都市公園で、平成21年に開園されました。





エレベーター乗降口
 エレベーター乗降口

 6番出入口の後方にはエレベーターの乗降口があって、上り下りにはこちらの利用も出来るので便利。





公園の散策路を進む
 公園の散策路を進む

 6,000平米足らずの公園面積は東京ドームの8分の1程度と、それ程大きな公園ではないんだけど、ベイブリッジやマリンタワーも望める眺望や、よく整備された洋風庭園には心身ともに癒されます。

 駅舎の6番出入口を抜けたら、公園中央の散策路を進みましょう。





正門を抜けて山手の街へ
 正門を抜けて山手の街へ

 間もなく見えて来る公園の正門を抜け、アメリカ山公園をあとにしたら、今日のタイトル通り横浜山手洋館巡りのスタートです。ところで、今日散歩する横浜山手には、歴史ある洋館が数多く残されているんだけど、どうしてなんだろう?

 江戸幕末の日米修好通商条約や、安政五カ国条約によって日本の鎖国は終焉を迎え、西洋との貿易の窓口として安政6年(1859年)、横浜に港が開かれます。それに伴って、港に隣接したこの高台の土地が慶応3年(1867年)に外国人居留地に定められ、山手と呼ばれるようになったのでした。だから今でもその名残で、古い洋館が残されているっていう訳なんです。





横浜地方気象台
 横浜地方気象台 本庁舎

 アメリカ山公園の正門前からまっすぐ延びる道を、右手に横浜外人墓地を眺めながら歩いて行くと、間もなく左手に今日最初の古い歴史ある洋館が現れます。これは昭和2年竣工の横浜地方気象台本庁舎。この建築デザインは、当時の20世紀初め頃に欧米で流行していたアールデコと呼ばれる装飾で、この様な建築物のほか、美術工芸品やファッションなどにも取り入れられていました。





井戸遺構
 井戸遺構

 敷地内で見つけたこの遺構はレンガ造りの古井戸で、明治10年代から20年代に作られたものらしい。





ブラフ積み
 ブラフ積みの石垣

 この辺りを歩いていると目につくのは、この様な石垣。棒状に加工された石の長い面と短い面を交互に組み合わせた、フランス積みと言われるデザインです。そして、この山手や横浜周辺ではこの積み方の石垣が多く、山手ならではの風景の一つとなっているのですが、特にこの辺りではブラフ積みと呼ばれ親しまれています。

 ところでこの英語のブラフ(BLUFF)とは絶壁とか崖とかいう意味で、ここ山手の高台の地形から、当時の外国人たちに呼ばれていたこの土地の愛称なんです。





行く手は3方向に分かれます
 行く手は3方向に分かれます

 さてさて、アメリカ山公園から150mほど歩いて行くと、右手に見えて来た横浜外人墓地の正門前で、行く手は3方向に分かれます。右方向へと延びる道は、今日あとで歩いて行く予定の、洋館が建ち並ぶ山手本通り。真ん中は坂を下りて谷間の住宅地、諏訪町へと至る道。そして左手の道へ折れると、港の見える丘公園へ。ここは一旦左折して、港の見える丘公園にちょっと寄って行く事にしましょう。





岩崎博物館
 岩崎博物館 <ゲーテ座記念>

 通りを左折すると間もなく、右手に見えるレンガ造りの洋館は、昭和55年開館になる服飾とアートの資料館、岩崎博物館。入館料大人300円。明治18年、この地には商業劇場ゲーテ座の建物が建てられ、大正12年に関東大震災で倒壊するまで、居留外国人の娯楽の場として営業していたのですが、その跡地の一部に建てられたのが、この岩崎博物館です。





港の見える丘公園へ
 港の見える丘公園へ

 間もなく正面に、港の見える丘公園の入り口が見えて来ました。ここには、二つの歴史ある洋館が残されているんです。





展望広場
 展望広場

 面積およそ58,000平米。東京ドームと比べて1.2倍の広さのこの公園の開園は昭和37年。戦後、進駐軍に接収されていた高台のこの土地を、接収解除後に横浜市が買い取って整備し、都市公園として一般開放されたのでした。





港が見えます
 港が見えます

 展望台からの眺めは180度のパノラマ。公園のその名前の通り、横浜の港を一望する事が出来ます。





香りの庭
 香りの庭

 中央に噴水があるこの香りの庭。周囲より一段低い場所に造られた沈床花壇と呼ばれるこの花壇には、バラを始めとしてここに植えられている多くの花々の、美しい香りが溜まる様な構造になっているんです。





大佛次郎記念館
 大佛次郎記念館

 香りの庭の噴水越しに見えていた赤レンガの建物は、大佛次郎記念館。時代小説「鞍馬天狗」や、新聞連載小説「天皇の世紀」等の作品で知られる横浜生まれの作家、大佛次郎 (1897-1973) の文学館です。入館料大人200円。





横浜市イギリス館
 横浜市イギリス館

 先にも触れた、公園内に残された歴史ある二つの洋館の内の一つが、この横浜市イギリス館。昭和12年に建築された旧英国総領事公邸です。入館無料。

 横浜港開港当時、この丘の辺りにはイギリス軍とフランス軍が駐屯し、この場所より200m余り北側にはフランス領事館が建てられていたのですが、現在その建物は残されていません。





山手111番館
 山手111番館

 もう一つの歴史ある建物は、大正15年建築の洋館、山手111番館。アメリカ人居留民の住居だった、スペイン風の建物です。入館無料。





横浜外人墓地正門
 横浜外人墓地 正門

 二つの洋館を巡った後、港の見える丘公園をあとにして、横浜外人墓地の正門(山手門)の前まで戻って来ました。





横浜外人墓地
 横浜外人墓地

 幕末のペリーの黒船来航の折に事故死した、ある水兵の埋葬がきっかけとなって出来たというこの墓地。現在でもおよそ4,500人程の外国人が、永遠の眠りについているんです。





山手本通りを進む
 山手本通りを進む

 これから先は横浜外人墓地の正門前を走る道、洋館が建ち並ぶ山手本通りを暫し歩いて行きましょう。





山手資料館
 山手資料館(旧・中澤兼吉邸)

 間もなく左手に見えてくる洋館は、山手資料館。西洋の文化や風俗にあふれた、明治維新の頃のこの横浜あたりを偲ぶ資料が展示された資料館です。この建物自体は、明治42年に横浜市内に建てられた日本人の住宅を移築したもので、関東大震災にも耐えた明治期の木造建築物。今日巡る洋館の中では、一番歴史の古い建物なんです。





グリーンベンチ
 グリーンベンチ

 これは山手資料館の庭に展示されたベンチ。案内板によると、明治の初めの頃にアメリカから、この山手にある学校の横浜共立学園へ贈られたものらしい。





横浜山手聖公会
 横浜山手聖公会と元町公園

 山手資料館を過ぎると間もなく通りの左手には、横浜山手聖公会(ヨコハマ・クライストチャーチ)の昭和6年建築になる、大谷石造りの荘厳な聖堂が現れます。そしてその向かい側、通りの右手一帯にある公園は元町公園。ここには三棟の洋館が残されているので、順番に巡って行く事にしましょう。





山手234番館
 山手234番館

 先ずは山手234番館。山手聖公会の少し先、山手本通りの左側にあるので、通りを挟んだ右側の元町公園からは外れている様に感じるけど、この建築物も公園の施設の一つなんです。昭和2年頃の建築と言われるこの家は、元々1棟4戸の外国人向け共同住宅だったもの。現在2階は貸しスペース、1階は当時の室内が再現されて、入館無料で見学する事が出来るんです。





クラシックな電話ボックス
 クラシックな電話ボックス

 通り右手の公園敷地側に目をやると、何やらクラシックな六角形の公衆電話ボックスを発見。これは明治33年東京の京橋に、日本で初めて設置された電話ボックスを復元したものらしい。中にはちゃんと、本物の公衆電話が設置されてました。





エリスマン邸
 エリスマン邸

 公園内に残された洋館の二つ目は、大正15年建築の、このエリスマン邸。スイス系貿易商社シーベルヘグナー商会の支配人、フリッツ・エリスマンの私邸だった建物を、平成2年にこの元町公園内に移築復元したものです。入館無料。





ベーリック・ホール
 ベーリック・ホール

 そして三軒目は、昭和5年建築になるこのスペイン風の洋館、ベーリック・ホール。イギリス人貿易商の住宅だったもので、今日巡る個人住宅の洋館としては最も大きい建物です。入館無料。





フェリス女学院
 フェリス女学院

 元町公園から山手本通りを300m余り歩いて来ました。右手に見えるアーチ窓の建物は、フェリス女学院中学・高等学校の校舎。





カトリック山手教会
 カトリック山手教会

 そしてそのすぐ先の左手にあるのは、カトリック山手教会の、昭和8年に建てられた聖堂です。この辺りはこの様な文化財と共に、洋風の広くて大きい一般住宅も建ち並んでいて、ワタクシ如きからすると憧れの閑静な住宅地なのであります。





指導標に従い右折
 指導標に従い右折

 カトリック山手教会を通り過ぎて300mほど進んだ先の右手に、次なる目的地の「山手イタリア山庭園」への指導標が建っていました。これを目印に、右方向へと別れる道に入って行きましょう。





Y字路を右へ
 Y字路を右へ

 通りを右折すると、その先すぐに今度はY字路になるので、ここも指導標に従って右方向へ。





山手イタリア山庭園
山手イタリア山庭園 正門

 間もなく、山手イタリア山庭園の正門前に到着です。名前の由来は明治の初め頃、この場所にイタリア領事館が置かれていた事から。





外交官の家
 外交官の家 重文(国)

 この公園内にも二棟の古い洋館が残されていて、そのうちの一つが、国の重要文化財に指定されている、この外交官の家と呼ばれる建物。明治43年に建築された、明治政府の外交官だった人物の住宅で、東京都渋谷区からこの地へ移築復元されたものです。入館無料。





ブラフ18番館
 ブラフ18番館

 もう一つの建物がこのブラフ18番館カトリック山手教会の司祭館として平成3年まで使われていたものですが、元々は大正末期にこの山手に建てられた、オーストラリア人貿易商の住宅でした。入館無料。





小さな西洋館の丘
 小さな西洋館の丘

 園内には、洋館のミニチュアがたくさん集まった一角がありました。ここは小さな西洋館の丘





裏門を抜けて外へ
 裏門を抜けて外へ

 それ程広くはない公園内をぐるっと一廻りしたら、今日入って来た正門から見て東側にある裏門を抜けて、公園の外へ。





大丸谷坂
 大丸谷坂

 すぐ目の前は、大丸谷坂と呼ばれる坂道です。これを下って、横浜山手の台地から丘の麓へと下りて行きましょう。





突き当りを右折
 突き当りを右折

 大丸谷坂を下り切った辺りで、正面突き当りに首都高速道路の高架が見えて来ました。そしてそのすぐ下を流れるのは中村川。これを左折すれば、JR京浜東北・根岸線の石川町駅はもう目の前。今日のタイトル通り、横浜山手の洋館巡りという目的は果たしたので、ここをゴールにしてもいいんだけど、今日はちょっと寄り道して、ウインドショッピングしながら帰ろうかと。

 ・・・って言う訳でこの突き当りは右へ。





石川商店街
 石川商店街

 商店街がありました。ここは石川商店街。石川町駅前の地元商店街です。





元町交差点を越えて
 元町交差点を越えて

 間もなく商店街は広い大通りと交差します。この元町交差点を渡って更にその先へ。





横浜元町商店街
 横浜元町商店街

 交差点を越えても商店街は続きます。だけどここからは横浜元町商店街。「横浜と言えば」とか、「横浜を代表する」って言っても良いくらいの、知名度が高い人気のショッピングストリートであります。それにしても今日は平日だというのに、この人出は流石です。





バッグショップ キタムラ
 バッグブランドショップ キタムラ

 ボク等の年代で元町商店街と聞いて連想するのは、ハマトラ。横浜トラッドを略した言葉で、短期間だったけどその当時(昭和55年前後)の若い女の娘達の間で流行った、ここ元町商店街発のちょっとキレイ目で落ち着いた、お嬢様っぽいファッションスタイルなんです。その必須アイテムの一つだったのがこのブランドショップ、キタムラのバッグ。時はずいぶん経ったけど、今でも店内は大盛況です。





元町中華街駅5番出入口
 元町中華街駅5番出入口

 全長600m程のファッションストリートを、あちこちウインドウショッピングしながらブラブラと歩いて来ました。元町商店街を抜けたすぐ先にある今日の散歩のゴール、みなとみらい線元町中華街駅5番出入口に到着です。









★交通 横浜高速鉄道みなとみらい線
元町・中華街駅下車
★歩行距離 約 4.0 km



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