蓑輪弘「触覚の配列」

10/7(火) - 10/13(月)
展示風景
  • 写真1
  • 写真2
  • 写真3
  • 写真4
  • 写真5
  • 写真6
常々感じることがある。作品は作家とイコールだということを。

1940年生まれの作家はかれこれ50年近く美術の仕事にかかわり続けている。

作家は「美術の仕事に永い間かかわり続けてこられたのは、時世の流れに身を委ねた生活は送りたくはない。美術の仕事で名誉を得るかわりに自分自身を見つめ考える思考の手段としての方の仕事を選ぶ、作品が変化してゆくことはまだ、自分自身の奥底の軸が見えないことに尽きると思う。」と語っている。蓑輪の活動は極めて精神的な行為のように思える。

武士道、華道、茶道、書道…と日本の伝統的な習い事にはだいたい道がつく。蓑輪の制作活動はさながら絵画道と呼べるのではないだろうか。

蓑輪は17才の時に大野五郎に師事。東光会、新協美術協会など団体展に出品。1968年に退会してからは1984年まで個展を中心にコンセプチュアルなインスタレーションを発表。<見えない事物の存在>を<無作為による創作>により展開しようと試みる。これも蓑輪流の絵画道の追求の仕方だったのだが、あまりにも困難な問いかけであったため自身でも混迷を深め何も出来ない11年が経過した。

1995年より平面による制作を再開、1997年〜2001年にかけて3回アートフォーラム谷中で開催された個展に私は立会う機会を得た。アートフォーラム谷中の床は土間だった。

2001年の3回目の個展ではその土間の土も含め、様々な色の土を絵具として短時間で一気に描きあげられた大作を発表。土のもつ原初的エネルギーと蓑輪の意識下の根源的なものが出会って躍動感がみなぎる作品となった。

谷中は多くの亡骸が眠る地である。蓑輪は雨の谷中の墓地を歩きながら泥土に抱かれて同化し、土にかえっていく亡骸を思いつつ何故だかほっとすると言う。

その土からの誘いをうけ今回も土を絵具としギャラリーの壁面に高さ約2mの大作が並ぶ。見るものはまるで土に抱かれる亡骸のように土に囲まれることになるだろう。そしてそれに対峙すると、現世の迷宮に迷い込んだ私達に作品たちは深く静かに語りかけてくるにちがいない。

(岡田紅子)