せきねちか「Champagne & the Rock'n'Roll」

彼女は、きのう親知らずを抜いた。
だというのに、きょうも彼女は、カフェへ繰り出す。
バーカウンターの横にちょっとした踊りのスペースのあるカフェだ。
彼女はシャンパンを注文し、一杯目をあおるように飲み、神経を少しだけ音に集中させた後、床にまっかなヒールの踵をうちつけながらカウンター越しの僕に言う。
「ねぇ、あたしきのう親知らずを抜いたばかりなのよ！」
アイリッシュ・バイオリンが掻きならされ、カート・コバーンが愛したグラスゴーのロックンロールが流れ出すと、彼女はシャンパンをもう一杯注文し、押し返すようにバーカウンターから放たれ、他の客にまじって踊り出した。

僕は想像した。一匹の仔猫が彼女の親知らずの中に迷い込み、いつの間にかそこに居座って、いつでもそこで彼女ににっこりと微笑みかけウィンクするのを。
そうでもなければ、僕にはあの手術後の痛みに耐えられるだけの強さを彼女が持ち合わせているとは到底思えなかった。
そんなことをふと思いながら、僕はその夜、彼女の飲み干したシャンパングラスを磨き続けた。

（せきねちか）

せきね　ちか

プロフィール
1975年生まれ。
カラフルな森や、オレンジ色の小鳥を愛している。
真理探究のために、大学で哲学を専攻する。
大学卒業後に、ロンドンへ。
セントラル・セントマーチンズ・カレッジにて、グラフィックを学ぶ。
中退後、N.Y、ミラノ、ベルリン等ヨーロッパ各地を旅し、2002年10月帰国。
以後、東京を中心に活動。