延喜式内社 陸奥国一之宮

御祭神
味秬高彦根命 大国主命 誉田別命

鎮座地 福島県石川郡石川町字下泉269
社務所 福島県石川郡石川町字下泉150

 当社は福島県石川町の中央、通称八幡山に鎮座し、境内及び神社森は三芦城の跡地として県及び町の史跡に指定されております。
古くより山岳信仰の場として山そのもの、又参道両側に点在する磐境(巨石)が信仰の対象として、崇敬されていたと思われます。
 当社が始めて文献上にみえるのは延喜式年間(西暦901年)に全国の神社を調査した時である。その時に確認された神社を延喜式内社と呼び、当社もその一社に数えられています。
 京都の住人、初代福田安芸守源有光(初代石川有光)は永承六年(1052年) 父頼遠と共に源頼義・源義家に従って、奥州の豪族安倍氏追討に加わり、その功により奥州仙道のこの地を賜った。康平六年(1063年)源有光はこの地に移り住み、名を石川有光と改めた。石川有光は、四方を山々に囲まれ、阿武隈川の支流今出川が東より南を巡り、磐境(巨石)が重なり自然の要害となっているこの八幡山(当社鎮座地)に三芦城を築城し、治暦二年(1066年)石川有光は源氏の氏神である京都石清水八幡宮の御分霊(大国主命・誉田別命)を当社に合祀し、その日が旧九月十九日で、この時よりこの日を例祭日と定め、毎年旧九月十三日から十九日までを例祭期間とました。例祭日も時代と共に変わり、昭和五十年より新暦の九月十一日から十五日迄となり、平成十五年より九月の第二土曜日に例祭式、同日夕刻より翌日夕刻迄が渡御、第二土曜日前三日間を参篭とした。