ビール

ビール造りに挑戦しました。下準備から、わくわくしながら作りました。
下記の様な案内状まで作りました。一次発酵(大きな鍋で作って1週間保管)の時、たまたま旅行と重なって重要な温度管理ができずに、発酵が不十分でした。二次発酵(瓶詰め後)でも気温が上がらなかったのが原因と思われます。大瓶50本ぐらいできたと思います。

「おーい、西島そろそろ行くぞ。」20歳の頃の盛夏のある日のことです。
当時大分のほとんどのビアガーデンに生ビールを卸している酒屋でアルバイトをしていました。まだ運転免許を持っておらず、また会社の方からもかわいがられ、進められるままに仕事中でも大型冷蔵庫に入っている木樽の生ビールによく口をつけて飲んでいました。この頃からビールに魅せられ、いつか自分で造ってみたいと夢みていました。この度念願の材料が英国より手に入り、わくわくしながら造ってみましたのでご賞味ください。
成   分: 麦芽・ホップ・砂糖・男池湧水
度    数: 7%〜8%
製造工程: 発酵開始     1994年6月12日
瓶詰め熟成   1994年6月22日
お願い @  瓶の中では完成後も熟成を続けています。
   1〜2カ月が飲み頃です。
A  瓶底に酵母のおりが溜まっています。
 濁りを防ぐため、静かに注いでお飲みください。
B  日本の酒税法に違反しておりますので、よろしく お願いします。
追記
学生時代にアサヒビール系の卸会社でアルバイトをしていた頃の話です。
当時アサヒビールは全国的にも、特に西日本のシェアは圧倒的に高く、生ビ
ールに関しては木樽(右画像)で容量は14キロリットルから0.5キロリットル
刻みで26キロリットルまであり、それ以外はサントリーが2〜3種類のアルミ
樽を出している程度で、これまたアサヒビールの独壇場でした。
ここ大分にもアサヒ会、ほろにが会とアサヒビール愛好家の盛大な会が開か
れていました。現在のような自動的にビールを注ぐのではなく、氷で冷やして
注ぐサーバーで、ガスの調整が難しく、泡が多かったり少なかったりして苦労
したことを思い出します。

追記2
英語が堪能の従兄がいました。私も中学3年間英語の家庭教師をしても
らいました。1970年代のこと、従兄は香港に事務所を構えマーケティング
の仕事をしていました。ある日酒好きの父に番号だけのラベルの貼った
小瓶のウイスキーを数本持ってきました。事情を聴くとキリンとアメリカ
のシーグラム社が提携し日本向けにウイスキーの発売を計画し市場調査
のためのサンプル品でした。後から知りましたがこのウイスキーがロバート
ブラウンでした。いとこは51歳という若さでアメリカで亡くなりました。
ウイスキーを飲むときよく従兄のことを思い出します。

追記3
日本のウイスキーの父といわれた竹鶴昌隆の本です。40年前に買った愛読書です。




おいしいお酒


お酒が大好きです。特にビールはとても美味しいです。ベルギーのシメイのトラピストは新鮮な酵母をビンの中で発酵させているので豊かな味です。